第87話 コロシアム、開幕
そして三日後。
かつて栄華と繁栄を誇り、今は見る影もなく朽ち果てた古都。
半ば遺跡と化したコロシアムに、俺は立っていた。
闘技場の端、出場者ごとに仕切られた待機スペースから観覧席を見上げる。
すり鉢状の席には血に飢えた人々がひしめき、空には極彩色の飾り幕がはためいていた。
「わあ、すごい人だね!」
「これは予想した以上の規模ですね」
ティティが目を丸くし、マノンが眉を顰めて呟く。
正面の巨大な掲示板には、各剣奴のオッズが張り出されていた。アルスという偽名を名乗る俺のオッズは最も高い――つまり、ほとんど勝利を期待されていない。まあ当然だろう。初登場の新人剣奴、それも冒険者としての知名度も全くないのだから。
観覧席の最前列に目を移す。
まるで玉座のように豪奢な椅子に、若い男が座っていた。
整った顔立ちに、丁寧になでつけられた金髪。身に付けた装いは上質で、一目で高級な品と知れる。
「あれが主催者ですか」
「ええ。名はモーリス・エルランド。人呼んで血染めの伯爵。ああ見えて、齢八十の古狸よ」
「は、八十!?」
リゼが素っ頓狂な声を上げ、マノンが息を呑む。
「エルランド伯爵というと、今から五十年ほど前に、鉱業で財を成して爵位を買ったという? とっくに隠居なさったはずでは……」
「どうやら若さを求めて、古今東西の秘法や禁呪をかき集めたという噂よ。あくどい呪術にも手を染めたとか。いくら見た目だけ若くても、生き様が美しくなければ価値などないのにねぇ」
俺は主催の男――モーリスに目を懲らした。
見目麗しい、絵に描いたような美青年だ。
だが、その魔力は濁り、歪に絡み合っている。
(魔力回路が狂ってる……まるで、正しい命の在り方から外れているような……)
頬杖をつき、にやにやと粘っこい笑みを浮かべるモーリスの隣。
黒い髪を長く伸ばした、細身の女が立っていた。
均整の取れた体躯に、ぞっとするほど怜悧な美貌。
妙な気配に眉を寄せる。
(
こんなことは初めてだ。
彼女は一体――
さらによく視ようと身を乗り出した時、開幕のラッパが鳴り響いた。
柄の感触を確かめる俺を見て、オリヴィアが微笑む。
「さあ、最高にヴィヴィッドな舞台の開演よ。派手に暴れてちょうだい、わたくしの
オリヴィアの手の甲を額に押し戴き、勝利の女神の印を結ぶ。
「ご武運を」
緊張を浮かべたリゼたちに頷きかけて、入場する。
各ブースから、屈強な剣奴たちが進み出た。
その数、およそ五十人。
誰もが引き締まった身体付きをしていて、一目で手練れと分かる。皆、名のある冒険者なのだろう。
だが、彼らは一様に怯えていた。
隣の男がぶるぶると震えながら、譫言のように「喰われたくない、喰われたくない……」と呻いている。頬はこけ、落ちくぼんだ目は凄味を帯びていた。
「あんた、新入りか」
声を掛けられて振り向く。
「悪いことは言わねぇ、早い内に
それは壮年の男だった。
胸に鹿の紋章を付けている。
「『大鹿の首』のメンバーか?」
問うと、男は驚きながらも小さく頷いた。
その顔はひどくやつれ、目は憔悴と狂気でぎらぎらと濡れ光っている。
「……人を殺さないよう、のらりくらりしながら、どうにか今日まで生き延びた。だが、もうだめだ。勝っても負けても地獄だ」
男が低く呻いた時、天を貫くような声が響き渡った。
「紳士淑女のみなさま! ようこそおいでくださいました!」
「退屈な人生に娯楽を! 平凡な日常に輝きを! 血染め伯爵モーリスさま主催の、血と命が飛び交うコロシアム! ここに開催を宣言します!」
観客が、血を求めて熱狂する。
「もちろん優勝者には、豪華な賞品を用意しております! 今回の賞品は、なんとコロシアム始まって以来の、最も優美で絢爛な品!」
屈強な男たちに引かれて、布を被せられた巨大な物体が、がらがらと入場する。
布を払って現れたのは巨大な檻、その中には美しい少女たちが閉じ込められていた。
――アザレア部隊だ。
リゼたちがはっと身を乗り出した。
絢爛可憐な少女たちの登場に、客席が蜂の巣のように唸る。
アザレア部隊は好奇の視線に晒されながら、怯えるでも絶望にうちひしがれるでもなく、果敢に周囲を睨み付けた。
サーニャが俺に気付いて、はっと目を見開く。
フェリスが檻に縋り付いた。
「ロクさま……!」
微かな声が風に乗って届く。
みんな怪我をしている様子もなく、魔力にも異常はない。ひとまずは大丈夫そうだ。
(ごめん、怖かったよな。もう少し待っててくれ)
そう噛みしめながら頷きかけると、フェリスたちは小さく頷き返した。
「最高級の賞品には、その価値に見合うとびきり凄惨な死合いを! というわけで、本日はお待ちかね、久々のデスマッチだ!」
観客が歓喜の雄叫びを上げ、剣奴たちの顔が絶望に染まる。
「ルールは単純、最後まで立っていた一人のみが勝者となる! 剣を奪って四肢を折るもよし、首を飛ばして切り刻むもよし! とにかく自分以外全ての敵を
「殺せ! 殺せ!」と熱狂が渦巻き、モーリスの残忍な笑みが濃くなる。
この陰惨さに比べれば、ギルドの無法勝負なんて可愛いものだ。
アザレア部隊の入った檻がコロシアムの端に寄せられ、五十人の剣奴たちが震える手で鞘を払った。
張り詰めた空気の中で、静かに祝福の剣を抜き、構える。
――勝利の条件はただひとつ、全員を無力化すること。
「さあ、血湧き肉躍る殺人ショーの始まりです! 互いの命を喰らい合う究極のデスマッチ、開始!」
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