第108話 遥か彼方の地で
◆ ◆ ◆
「武器を持たぬ者は屋敷へ! 前線に兵を集めろ、何としてもここで食い止める!」
浮き足立つ部下に指示を飛ばして、リゼの兄――ベイフォルン子爵家の長兄、ルートは歯を食い縛った。
「一体どういうことだ、何が起こっている……!」
太陽が昇り、人々が起き出す頃。
突如として黒い影が大地を侵食し、魔物の群れが人々を襲った。
父は領民を避難させるため兵を連れて馬を走らせ、
「へばるなよ、リント!」
哮り立つリザードマンと切り結びながら、叫ぶ
「これくらい、どうってことねーし! 三男舐めんな!」
立ちこめる暗雲の下、魔物たちが荒れ狂う波のように押し寄せる。
弓兵たちが矢を射かけるが、群れはなお獰猛にいきり立つ。
仕留め損ねたヘルハウンドが、唸りを上げて兵士に飛び掛かり――ルートが駆けるよりも早く、魔物の体躯を鮮やかな炎が包んだ。
ヘルハウンドを業火で退けたのは、炎を纏った巨大な犬。
妹――リゼが助けた精霊獣だ。
「頼りにしてるぞ、アルル」
兵士たちも健闘しているが、既にカイトは利き腕を負傷し、未明から戦い続けているリントも消耗が激しい。
そればかりではない。押し寄せる魔物は、時を追う毎に強く巨大になっていく。
(刃が通り辛い……武器が通用しない……? まるで、一体一体が魔族のような……――)
このままではいずれ力尽きる。そうなれば、領民たちは……――
冷たい汗が背中を伝った、その時。
血と怒号が入り乱れる戦場に、鈴のごとき可憐な声が降り注いだ。
「おにいさまがた、ふせてください!」
「!? この声は……!?」
きょろきょろしているリントの頭を、咄嗟に伏せさせる。
その頭上を裂いて、眩く輝く氷の刃が乱舞し、兵士に襲いかかろうとしていた魔物を切り刻んだ。
「今のは……」
空を仰ぐ。
暗雲の裂け目から光が差し、翼を宿した獣が現れた。
「天馬……!?」
それは幼い天馬を先頭にした、三頭の天獣だった。
幼角を振り立てた赤いたてがみの天馬が軽やかに着地すると同時、可憐な少女たちがひらりと降り立つ。
その中央に立つ、くるみ色の髪をした小さな少女の姿に目を瞠る。
「シャロット……!?」
それは八年前に生き別れた、末の妹だった。
再会を喜ぶ暇もなく、恐ろしい咆哮が耳を劈いた。
「いけないシャロット、早く屋敷へ……!」
「いいえ、にいさま。わたしはみなさまを守りにきたのです」
シャロットが笑った。
この絶望的な状況において、花のように可憐に、澄んだ湖面のように眩く。
「リゼねえさまも戦っていらっしゃいます! 大丈夫、必ずや、
シャロットの腕輪が光を放ち、薔薇と剣の紋章を掲げた流麗な旗が現れた。
「神器解放! 『
凜と気高い呼び声に応えて、美しい旗が翻る。
ルートや兵士たちの身体を、淡い光の膜が覆った。
「これは……」
全身に巡る、温かく清らかな光。
それは、いつか感じた勇者の魔力に似ていた。
優しい光に包まれて、消耗していた意識が冴え渡る。傷が癒え、力が溢れる。
シャロットと共に降り立った神姫たちも、光り輝く武器を展開した。
「さあ、共に戦いましょう! 誇り高き、勇者さまの御旗のもとに!」
可憐な声が戦場に勇ましく響き渡る。
傷付き、疲れ果てていた兵士たちが立ち上がり、地を揺るがすような雄叫びを上げた。
「ああ……!」
ルートはしっかりと首を擡げ、波のように押し寄せる黒い影へと剣を構えた。
◆ ◆ ◆
「まさか
背中に乗ったエルフの女王に、ザナドゥは吼えた。
『それはこちらの台詞だ!
金色の翼で風を切りながら、精霊の森を見下ろす。
大地は瘴気に侵食され、瞳を憤怒に染めた魔物たちが世界樹を目指して進撃する。
まるで世界の終わりのような光景だなと口を歪めながら、魔王が復活したという北の果てへ目を馳せる。
あの勇者はどうしているだろう。
『さぁて、全力でいくとするか』
「いいでしょう、黄金竜の力、見せてもらいます!」
エルフの女王が杖を掲げ、淡い光が森を覆った。
『我が力の前にひれ伏せ、魔物ども!』
咆哮と共に灼熱の
黄金の業火が森を包み込み、魔物たちを焼き払った。
『ほう。全力を出したつもりだが、森には傷一つついておらん。エルフの守護魔術、さすがだな』
「当然でしょう。まあ、伝説の黄金竜のブレスも、なかなか見応えがありました。けれど如何せん、数が多い――」
女王の言葉半ばに、別の方角からエルフたちの悲鳴が上がった。
防御の薄い森の西へ、波のような黒いうねりが迫っている。
「いけない、あちらにも……!」
『瘴気の回りが早い! 精霊の森に入られたらおしまいだぞ!』
ザナドゥは首を巡らせて旋回し――
刹那、眩い輝きが天を裂いた。
光の中から現れた、三騎の騎馬――天獣に乗った少女たちを見て、エルフが息を呑む。
「あれは、神姫!? 天獣まで……!」
猛る魔物の群れへと一直線に降下しながら、少女たちが口々に叫ぶ。
「ナターシャさま、ロクさまから伝言です! 森の西に戦力を集中、みなさまを川上に避難させてくれとのこと! こちらはマリニアさまと私が引き受けます!」
「了解! 頼んだわよ、ベル、マリニア!」
「我ら、誇り高き神姫の魂を継ぐ者! 偉大なる勇者、ロクさまの名に於いて、ここから先へは絶対に行かせません〜っ!」
眩い神器を携えた少女たちが、エルフを襲おうとしていた魔物たちを凄まじい魔術で打ち払っていく。
エルフの女王が身を乗り出した。
「す、すごい……! ですがいくら神器があっても、あれではすぐに魔力が底をつく……!」
『いや、待て! あれは、あの白銀の魔力は……!』
神姫たちの放つ魔術は、いつか見た眩い煌めきを帯びていた。
(あの男、遠隔から魔力を送り込んでいる……!? それも、一人一人個性に合わせ、戦術に沿って調整しながら……! そんな芸当が人の身に可能なのか……!)
数百年ぶりに感じるような熱く滾る高揚が、ぞくぞくと背筋を走り抜ける。
『どこまで我を虜にすれば気が済むのだ、あのドラゴンたらしめ!』
牙の間から歓喜の唸りを漏らした時、森の中心に聳える世界樹がざわめいた。
太い枝が捩れ、天へ伸び、めきめきと音を立てながら、牡鹿の角を戴いた巨大な人の姿へと変じていく。
「精霊王……!」
深い神秘の森に、たおやかな声が響き渡る。
『遠い北の果て、
精霊たちがざわめき、木々が揺れた。澄んだ風が吹き渡り、森が謳う。
大地を覆う植物たちがうねり、黒く汚染された脈を徐々に押し返しはじめた。
目に見えて弱体化していく魔物を、白銀の魔力を纏った一騎当千の乙女たちが駆逐し、命の領域を取り戻していく。
ザナドゥは歓喜に吼えた。
『見よ、戦況が覆るぞ! 正真正銘、生き物と魔の全面戦争だ! 我らの力、存分に見せつけてやろうではないか!』
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