第109話 勇者たち
◆ ◆ ◆
「クソが、一体どうなってやがる……!」
ひしゃげた鋤を投げ捨てて、リュウキは呻いた。
トルキア王国を追放されて行くあてもなく、ようやくたどり着いた辺境の地。
いつものように畑に水を撒こうとした朝、突如として魔物の群れが押し寄せ、収穫間近の作物が踏みしだかれた。
吼え猛るオーガの脳天に鍬を叩き込みながら、リュウキは吼えた。
「
「失礼ですわね! あなたがなまくらなのではなくて!?」
野良着を着たディアナ――同じく追放された元聖女が喚く。
リュウキは、しつこく降下してくるハーピーの群れを叩き落として舌を打った。
どんなに蹴散らそうとも、怒れる魔物の群れが森から現れては、雲霞の如く押し寄せる。
「どんどん増えてますわよ!? もう放棄いたしましょう!」
「バカか! ここ突破されたら、あの村はどうなる!」
この先にある村の人々には、種や食料を分けてもらったり、作物の育て方を教えてもらったりと、多少の恩義がある。自分たちの食い扶持も足りないのに、どこの馬の骨とも分からない
「うわああああっ!」
甲高い悲鳴に振り返る。
畑を駆け抜けたブラックウルフが、子どもを襲おうとしていた。
用もないのに、よく畑に遊びに来ていた少年――
「……!」
全身の血が沸き立った。
脳裏に、穏やかな夜色のまなざしと、静かな声が蘇る。
『魔力回路がずたずたになってる。魔術は使えない――使わないほうがいい』
使えばおそらく、今度こそ取り返しのつかないことになる。
分かっている、それでも。
「くそっ! 『
リュウキはブラックウルフへ手をかざすと、魔力回路が消し飛ぶ覚悟で吼え――凄まじい炎の渦が、魔物を呑み込んだ。
「あ……?」
子どもが目を丸くし、弁当らしき袋をぶんぶんと振る。
「あ、ありがとう、リュウキお兄ちゃん!」
「ッ、いいからさっさと村の奴らに声掛けて、丘の上の教会まで逃げろ! じいちゃんも連れてけ、犬っころも忘れんな!」
「うん! ……マリメロは!?」
「マロメ、リ、メッ……マリメロって誰だ!」
「猫だよ!」
「猫も!」
少年を村へと追い立てて、極大魔術を放った己の手を見下ろす。
「ブラフじゃねぇか……!」
奥歯がぎりりと鳴る。
(あの野郎、止めを刺し損ねたんじゃねぇ、
それだけではない。逆巻く炎に微かに混じっていた、あの白銀の煌めき――
ぎりぎりと奥歯を鳴らしていると、ディアナの悲鳴が上がった。
顔を上げる。
巨大なキメラの群れが、ディアナに飛び掛かろうとしていた。
気付くのが遅かった、今極大魔術を放てば、ディアナも巻き込む。
(間に合わねえ……!)
一か八か、鍬を投擲しようと大きく引いた時。
「『
凄まじい突風が吹き荒れ、ディアナの目前に迫っていた魔物の群れを一掃した。
魔術の余波を浴びて、ディアナが「ぶえっ」とひっくり返る。
視線を走らせた先、不可思議な獣を従えた少女たちが居並んでいた。
その中心に立つ、女神の如き美しくたおやかな少女を見て、低く唸る。
「てめぇは……」
いつか自分を追い返した、あの忌々しい後宮の女。確かマノンとかいった。
マノンは涼しい顔で微笑むと、優美な足取りで進み出た。
「お久しゅうございます。こちらを」
差し出されたものを見て、瞠目する。
それは、追放された際に取り上げられた神器――魔剣ダイディストロンだった。
「それと、こちらも。ロクさまから、きっと大事なものだからと」
渡された封筒から転がり出たものを見て、声を失う。
年季の入った黒い万年筆――唯一自分を可愛がってくれた祖父の形見。
(これは……
立ち尽くすリュウキに、マノンは目を細めた。
「世界の危機です。
「はああ!? 出来るわけないでしょう! 誰のせいで野良着で泥だらけになって畑仕事するはめになったと思ってるんですの!?」
ぎゃんぎゃんと喚くディアナの声を遠く聞きながら、使い込まれた万年筆に目を落とす。
――
だから、魔術もない、スキルもない、何も持たないあの男のことを、取るに足らない
けれど。
あの、何もかもを吸い込むような深い瞳が脳裏に蘇る。
握り込んだ拳がぎしりと軋んだ。
自分を撃ち砕いた、最後の一撃。その間際に聞こえた声――『ごめん』という噛みしめるような言葉を、今も鮮烈に覚えている。あれは、リュウキの居場所を奪うことへの贖罪と、その罪を抱えて生きることを誓う懺悔だった。
(なんで、ごめん、なんて……――)
ずっと引っ掛かっていた。
自分はいい、もとより、あの虚栄と欺瞞に塗れた下らない世界に未練などなかった。だが、あいつは――あの男は、自分が落とした万年筆を拾って、鉄骨に押し潰された。
もしかすると自分が、あのいかにも善良で人の良さそうな男を、前世から弾き出してしまったのではないか。平穏に続くはずだった人生を奪ってしまったのではないか。そんな暗く重たい悔悟があった。取り返しの付かない負い目に追い立てられるようにして、より苛烈に、徹底的に遠ざけようとした。
だがあの男は、それを一切責めることなく、掃きだめと呼ばれた少女たちを救い、命を賭して人々を助け、この世界に受け入れられた。
そして今もこうして、かつて己を侮り、傷付けて、排斥しようとした自分にさえ、手を差し伸べる。この世界で共に生きようと。手を携えて戦おうと。
早鐘を打ち始める胸を、ぐっと押さえる。
──自分でも不思議だった。なぜあの時柄にもなく、少年を守るために己の全てを犠牲にする覚悟で、極大魔術など放ってしまったのか。
熱い血潮が巡る胸の奥。
己の弱さと愚かさ故に王宮に魔族を引き入れてしまったあの日、絶望した人々を背に庇って戦うあの男の瞳が、あまりにも、あまりにも鮮烈に焼き付いていた。
同時に、『二度と魔術は使えない』という
死を以て償えと糾弾されてもおかしくなかったあの場で、あの男は、リュウキには既に十分な罰が下されていると、
「…………──」
遠く、北の空へ目を馳せる。
あのいけ好かない優男は、今も余計なものを背負い、自分ではない誰かのために戦っているのだろう。全てを投げ出すようにして。
――
熱く滾る息を吐き、目を上げた。
咆哮を上げながら進撃する魔物たちを睨め付ける。
分かる。もう分かっている、悔しいほどに。
自分は負けた。勇者として、男として、人として。
何もかもにおいて、あの男に負けたのだ。あれは正しく、敗北だった。
――この世界は、あの男をこそ、待ち望んでいた。
「……どこまで行ってもクソゲーだな」
口を歪めて笑う。
自分は選ばれなかった。それでも結局、このどうしようもない
ならば、いっそ。
「せいぜい見せてやるよ。負け犬の矜恃ってやつをなァ」
低い声で唸り、大剣の鞘を払った。
バチバチと火花を纏う剣を宥めるように、強く柄を握りしめる。
あの男が身を以て教えてくれた。もう一度、もう一度だけチャンスをくれ。自分はもう、正しい力の使い方を知っている。今度こそ間違えない。
懐かしい感触を握りしめながら、リュウキはマノンに吼えた。
「戻ったら、てめぇらの愛しの勇者サマに伝えろ! 『てめぇは俺がぶっ潰す、勝手にくたばったら承知しねぇ』ってな!」
「まあ勇ましい、それでこそです。ですが、ロクさまはお忙しい身ですので、百年後にでもお伝えするといたしましょう」
(百年早いってか、クソが)
リュウキは苦い想いを噛み潰して笑い──いや、と目を眇める。
(……たったの百年で許そうってのか。つくづく……)
「もっとも──素直に『会いたい、会って謝りたい、礼を言いたい、だから死ぬな』と仰るのでしたら、九十年ほど譲歩して差し上げるのもやぶさかではございませんが?」
にこにこと小首を傾げるマノンに、リュウキは今度こそ「敵わねぇな」と苦笑いを浮かべた。
「それでは、過去のことは一旦水に流して、しばし共闘と参りましょう」
マノンは謳うように言って、再び押し寄せる魔物たちへ対峙した。
「我ら後宮部隊、どんなに遠く離れようとも、心はロクさまと共に。神器解放、『
細い手首を飾る腕輪が光に溶け、華奢な杖が現れる。
杖を指揮のように高くかざして、マノンが優美な微笑みを咲かせた。
「一世一代の恋心、咲かせてご覧に入れましょう! 『
風が世にも優美な旋律を奏でたかと思うと、色とりどりの花びらが渦を巻き、魔物の群れを吹っ飛ばした。
固定砲台さながらの威力に、口の端が引き攣る。
リュウキは大きく首を振ると大地を踏みしめ、大剣を構えた。
「負けてらんねぇぞ、女狐!」
「こうなったら、元聖女の意地、見せてやりますわ! あとその剣、鍬よりはサマになってますわよ!」
「そりゃどうも!」
人知れず、あの勇者が乾いた心に注いだ優しさが、いま火種となって燃え上がる。
簡単に贖える咎ではない。百年程度で雪がれる罪ではない。
それでも、こんなどうしようもない自分が、ほんの一歩でもあの男に近付けるのなら。
大地を埋め尽くす魔物たちを低く見据えて、リュウキは地を蹴った。
◆ ◆ ◆
「ふッ……!」
奏は翼竜の槍を携え、地を駆けた。
北の空に渦巻く暗雲が、魔王の覚醒を告げている。
――勇者として召喚されながら、身分を隠し、先代聖女パルフィーと共に冒険者として続ける旅の途中。
今朝、ダンジョンの攻略に向かう最中、突如として瘴気が大地を覆い、ダンジョンから魔物が溢れ出した。
街道で襲われている一団を見つけたのは、後から後から湧き出る魔物たちを一掃して、近隣の町の様子を見に戻る途中のことだった。
四頭立ての見事な馬車はひっくり返り、護衛らしき兵士たちが車いすの老婦人を護って応戦しているが、
「パルフィー、援護を!」
「言われなくても!」
フードを目深に被った獣人の少女――パルフィーが併走しながら杖を掲げる。
「『
パルフィーの
魔物の勢いに押されて、兵士たちの隊列が崩れ始める。
(間に合わない、いや――)
「間に、合わ、せるッ!」
奏は大きく腕を引き、翼竜の槍を投擲した。
槍が風を巻いて、兵士を歯牙に掛けようとしていた魔物たちを打ち砕く。
息をつく暇もなく、上空から甲高い鳴き声が降ってきた。
黒い翼を持つ魔物が、じっと目を閉じている老婦人に狙いを定める。
恐ろしい鳴き声と共に、鈍く光る爪が婦人に迫り――
「『
奏が魔術を発動するよりも早く、老婦人が呟いた。
「『
大地に無数の光の柱が立ち、魔物の群れを呑み込んだ。
霞となって消え行く魔物たちを前に、老婦人が上品な微笑みを浮かべる。
「これでも魔術はちょっとしたものよ? 発動までに少し時間は掛かるけれどね?」
息を切らせて追いついたパルフィーが、「あのヒト、何者?」と呻く。
奏は地面に深々と突き立った槍を引き抜くと、老婦人の元に駆け寄った。
「こんにちは。助太刀は不要ですか?」
「ありがとう、助かったわ。あなたは?」
「通りすがりの旅の者です。美しいご婦人、どうか共に戦う名誉を賜りたく」
「まあ、心強いわ。この先には孤児院があってね。子どもたちが避難するまで時を稼ぎたいの。どうぞよろしく、可愛い
奏は目を見開き、笑った。
「あはは、一目で見破られたのは初めてです」
柔らかなまなざしを交わした時、咆哮が轟いた。
森から新たな群れが這い出てくる。
「さあ、どこまで捌ききれるか、根比べといきましょうか――」
奏は深緑の槍を構え――雲の裂け目から降り注ぐ眩い光に、顔を上げる。
「おっと、どうやら救援ですよ」
空に、翼を広げて舞い降りてくる四騎の騎馬があった。
グリフォンたちの背に乗った可憐な乙女たちを見て、老婦人が微笑む。
「まあ、きれい。まるで神話のようね。創作意欲がそそられるわ」
神器を構え、一直線に向かってくる後宮部隊。そしてその先頭を駆けるのは、翼の生えた大いなる狼の姿――
パルフィーが「嘘でしょ?」と呟く。
「あれ、天獣の王……天主さまじゃない? 伝説を通り越してお伽噺の存在が、なんで……」
奏は空を仰いで笑った。
遙かな北の果て、世界を背負って最終決戦に臨んでいるであろう黒髪の勇者に想いを馳せる。
「
槍の穂先で空を斬り、吼え猛る魔物たちを低く見据える。
「さあ、こっちも負けていられませんよ。
パルフィーが頷き、杖を構えた。
その横顔に、微かな笑みと強い覚悟がたゆたう。
「あの人と、胸を張って再会したいから」
奏は笑うと、槍を携え、まっすぐに地を駆けた。
君は間違いなく勇者だと、いつか背中を押してくれた優しい声を胸に。
◆ ◆ ◆
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お読みいただきありがとうございます。
【追放魔術教官の後宮ハーレム生活】の3巻が、2/19(土)に発売となります。
いつも温かく応援くださっている皆様のおかげです、本当にありがとうございます。
以下の特設ページのURLより、さとうぽて様(https://mobile.twitter.com/mrcosmoov)の素晴らしい表紙をぜひご覧ください。
■書籍版『追放魔術教官の後宮ハーレム生活』
ファンタジア文庫特設サイト【https://fantasiabunko.jp/special/202104harem/】
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