幕間2-1 ある平凡な少女が呪いを解いて神姫になるまで


 透き通る日差しが降り注ぐ、後宮の広場。


 ベル・アルトは凛と首をもたげ、整然と並べられた神器の前に立った。


 既に神器を手に入れた他の姫たちが――そして最愛のあるじが、息を詰めて見守っている。


 ついに最後の一人になってしまった。


 けれど、不思議と焦りはない。


 もう、自分の価値を知っているから。


 目を閉じて、大きく息を吸う。


 甘い落ち葉のにおいが肺を満たす。


 ベルは心地良い緊張感に身を浸しながら、平凡な少女でしかなかった一年前のことを思い出していた。






 ***************





「聞いた? 王宮に『祝福の実』が成ったそうよ」


 いつもと変わらない朝。


 始業を待つ教室の隅。


 同級生たちの上擦った囀りに、ベルは針を持つ手をぴくりと止めた。


「もちろん、聞いたわ。ついに勇者さまが召喚されるのね。いったいどんな方なのかしら」

「王宮から、後宮の神姫候補を募るとお触れが出たって。街中、その噂で持ち切りよ。――グズでのろまのコーニー・・・・ベル・・以外は」


 唐突に自分の名前が出てきて、ベルは身を固くした。


 値踏みするような視線が手元にまとわりつき、くすくすと棘のある含み笑いが肌を刺す。


「なあに、あれ? 貴族にでもなったつもりかしら?」

「生意気よね。のろまの役立たずのくせに」


 頬が熱くなるのを自覚しながら、刺繍に夢中になっているふりをして俯く。


 グズでのろまな役立たず、そんな言葉がついて回るようになったのはいつからだろう。


 ベルは小さい頃から、ぼんやりした子どもだった。


 泣き虫で気が弱く、ひどく臆病。器量だって良いとは言えない。何より要領が悪い。しゃべるのも走るのも遅くて、いつだって置いてけぼり。気づいたときには、何の取り柄もない地味で暗い少女、そんなイメージがついて回っていた。


 耳の悪い母は、町外れの小さな店で縫い子をしている。父は遠い昔に病に取られて、母一人、娘一人、貧しいながらも寄り添って生きてきた。


 母は、どこに行っても恥ずかしくない教養を身に着けられるようにと、身を粉にして働いて学校に入れてくれたけれど、ベルはその期待に応えることができなかった。


 勉強も運動も、どんなに頑張っても肝心な時につまづいてしまう。


 魔術はおろか、スキルもない。才能もない。人よりのろまで劣っていて、胸を張って誇れることなど何ひとつない。


 だからいくらでも軽んじていい、踏みにじっていい、グズでのろまなコーニー食用うさぎ――それがベル・アルトという少女の扱いだった。


(……本当は)


 まっさらな布に青い小鳥を縫い取りながら、胸の中で小さく呟く。


 本当は、自分も何かの役に立ちたい。誰かのためになりたい。


 けれど、生まれた時から不出来だった。



 これはもう仕方がない。


 自分は世界の隅っこで、誰からも求められることなく、役立たずのまま生きていくのだ。


 悲鳴を上げようとする心を殺して、一心に針を刺す。


 何の役にも立たないのなら、せめて誰にも迷惑を掛けないように、邪魔にならないように。


 母に教わった、大好きな刺繍をしている時だけが、心安らぐ時間だった。


「ねえ、メリッサ」


 ベルから興味を失ったのか、同級生が媚びるような声を上げる。


「あなた、後宮入りを志願したら? 毎日おいしいものを食べて、ドレスや宝石に囲まれて、にこにこしているだけでお手当がもらえるそうよ。メリッサならきっと、勇者さまを射止められるわ」


 煌びやかな同級生たち、その輪の中心に堂々と陣取った、とびきり可愛い少女――メリッサは、ふんと鼻を鳴らした。


「いやよ、勇者が豚のような醜男だったらどうするのよ。あるいは、粗暴で教養のない野蛮人だったら? 一度後宮に入ったら、一生出られないのよ? そんなの、生贄みたいなものじゃない」

「でも、レイラーク伯爵家のマノンさまも入宮なさるという噂よ」


 当代きっての才女という呼び声も高い伯爵令嬢、マノン・レイラーク。


 社交界の華にして、淑女の代名詞。


 トルキア一帯ばかりか近隣諸国まで名を馳せる彼女は、年頃の少女たちの憧れで、ベルの同級生たちも例に漏れず崇拝していた。


 けれど、メリッサは形のいい眉をぎゅっと寄せた。


「そりゃあ、マノンさまほどのお家柄なら大切にされるだろうけど、庶民なんて相手にされるもんですか。せいぜい弄ばれて終わりだわ」


 そう肩を竦めたかと思うと、手入れの行き届いた艶やかな髪を払う。


「あたしね、男にはちょっとばかり煩いの。年上で包容力があって、強くて優しくて穏やかで、か弱い私をスマートに護ってくれるような、そんなオトナの男じゃないとイヤ。醜男かも野蛮人かも分からない勇者に純潔を捧げるなんて御免よ」


 そう言い切るメリッサの眩さに、ベルはめまいがした。


 自分に価値があることを知っている女の子。男を選ぶ権利があると信じて疑わず、そして本当にそう生きられるだけの美貌と華やかさを備えた少女。


 持って生まれた美貌ばかりではない。彼女には特殊なスキルが授けられていた。異性を一定期間虜にする力――『魅了チャーム』。


 彼女がその天与のスキルで数多の男を傅かせ、貢がせ、人生を狂わせてきたのを、ベルは何度も見てきた。


 華やかで自信家。容姿にも才気にも恵まれていながら、欲しいものは力尽くで手に入れる、生まれながらの強者。


 取り巻きの少女たちも、「そうよね、異世界から来る男なんて、きっと野蛮人に決まってるわ」とすっかり太鼓持ちに回っている。


「そうだ。ねえ、ベル。コーニー・ベル!」


 メリッサは高らかに呼ばわった。残酷な響きが、愛らしい唇によく馴染んでいる。それはそうだろう、最初にベルをのろまと呼び、グズとせせら笑い、コーニーとあだ名を付けたのは他ならぬ彼女なのだから。


 粘っこい視線が、ベルの横顔に貼り付く、


「あんた、後宮入りを志願してみたら? せめてベッドで勇者を悦ばせることでもできれば、グズな食用うさぎコーニーでも生まれてきた意味があるってもんじゃない?」


 やだぁ、なんて、取り巻きたちが声を立てて笑った。


 メリッサの双眸が、獲物を弄ぶ肉食獣にも似て、下卑た愉悦に歪む。


「醜男の慰み者なんて、あんたにぴったりじゃない。――まあ、そのそばかす顔と貧相な身体じゃ、ご寵愛・・・なんて万に一つもないだろうけど」


 嘲笑う声は耳に入らなかった。


 ベルの耳に、それはなぜか天啓のように響いた――響いてしまった。


(生まれてきた、意味……)


 薄っぺらい胸が、どきどきと高鳴る。


 何の取り柄もなく、ただ強者の糧になるために生まれてきた食用うさぎコーニー


 思えばいつだって、この役立たずな身の使いどころを探していた。


 そうだ、自分は最初から食い物にされるために生まれてきたのだ。ならばせめて、価値のないこの身が、誰かの代わりに生贄になれるなら。異世界の勇者に身を捧げることで、世界を救う一助になれるなら。


 ――それはとても、尊いことではないだろうか。












 後宮に入るため王都へ行きたいと告げると、母親は驚き、狼狽え、何か言いたげにしていたが、最後には「お前が生きたいように生きなさい」と送り出してくれた。


 馬車を乗り継いで向かった王宮で、ベルは奇跡的に後宮の神姫として迎えられた。


 そして、待ちに待った勇者召喚の日。


 勇者は一度も後宮に姿を見せることなく、聖女とともに失踪した。


 主となるはずの勇者を失った後宮は、掃きだめと揶揄され、ひっそりと忘れ去られていくばかり。


 やはり自分は、誰の役にも立てずに死んでいくのだ。


 そういう星の下に生まれたのだ。


 そう諦めていた。


 けれど。


 ――あの人・・・が、現れてくれた。



 夜空に咲いた大輪の花火を見上げた時のことを、今でも覚えている。


 みんなで力を合わせて咲かせた、美しく艶やかな夜の華。力強く確かな光。あの中に、自分が放った魔矢マジック・アローも含まれている。


 初めて放った魔術の余韻が、まだ抜けていかない。


 生まれて初めて、魔術を使った。


 生まれて初めて、可愛らしい少女仲間たちと、手を取り合って喜んだ。


 生まれて初めて、受け入れられた気がした。


 新しい主となった勇者の――ロクの横顔を見つめる。


 勇者さまだ。


 ついに勇者さまがいらしてくれた。


 胸が熱く昂ぶる。


 同級生たちが口さがなく噂していたような、粗野な人ではなかった。誰かが面白半分で吹聴していたような、強欲な人ではなかった。


 どこまでも真摯で誠実な、春の夜空のように柔らかなまなざしをした人。


 特別ではない自分にも、優しく手を差し伸べてくれる人。


 嬉しかった。


 何かお返ししなければ。この人のために、私も役に立たなくては。


『せめてベッドで勇者を悦ばせることでもできれば、グズな食用うさぎコーニーでも生まれてきた意味

あるってもんじゃない?』


 柔らかいところに受けた呪いが深く根を張っていることに気づかないまま、ベルは薄い胸を押さえた。





















 その数日後。


 絶好の機会は、不意に訪れた。


 後宮の奥にひっそりとある、ひと気のない書庫。


 本棚の間にロクの姿を見つけた時、ベルはとっさに息を詰めて身を隠した。


 真剣な顔で本を選ぶロクの横顔に、心臓が高鳴る。


 声を掛けるなら今しかない。


 けれど、何と誘えばいいのだろう。


 思いがけないチャンスにどぎまぎしていると、ロクの足元に何かが落ちた。


 無地のシンプルな布――ハンカチだ。


 気づかず奥へ行こうとするロクを、慌てて追いかける。


「ロクさま」


 ロクが振り返る。


 夜色の双眸にどきりとする。


 普段はそれほど感じないのに、近くで見ると腕も背中もがっしりとしていて、今更のように異性であることを意識してしまう。


 どきどきしながら、拾ったばかりの布を差し出す。


「あの、ハンカチを落とされました」


 ロクはちょっと目を見開いて、はにかみながら受け取った。


「ありがとう、ベル」


 ぶわ、と耳まで熱が昇る。


 名前を憶えてくれている。こんな、地味で目立たない私の名前を。


 たったそれだけで、歓喜に胸が震えた。


 言葉を交わしたことなんて数えるほどしかないのに。学校の教師にさえ、しょっちゅう名前を忘れられていたのに。


 伝えるなら今しかない。


 けれど声が詰まって出てこない。


 突っ立ったまま硬直していると、優しい声が尋ねた。


「どうしたんだ?」


 今にも心臓が飛び出しそうな胸を押さえて、ベルはつっかえつっかえ、言葉を紡いだ。


「今晩、私のお部屋にいらしていただけませんか。大切なお話があるのです」


 きっと、ひどく思い詰めた顔をしていたと思う。


 ロクはベルの顔を見つめていたが、やがて優しく頷いた。


「分かった。マノンにも同席してもらおうか――」


 いいえ、と遮った声は、自分でも思いがけないほど強く、強ばっていた。


「お一人で……お一人で、いらしていただきたいのです」



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さとうぽて様(https://mobile.twitter.com/mrcosmoov)の描かれる麗しいフェリスとカナデが目印です!


イラストがとにかく最&高なので、

ぜひお手に取っていただけると嬉しいです!

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