幕間1-2 勇者を救うもの2

 シャロットだ。


 いたいけな少女に、乱れたベッドで神代の美姫たちとくんずほぐれつしているところなど見られるわけにはいかない――改めてなんだこの状況、すごいな?!


 とにかく教育上よろしくないこと請け合いだ。


 アンベルジュたちも同意見だったのか、慌てて姿を消した。


 腰骨までずり下がった(ずり下げられた)下穿きを上げ、かろうじて残った釦を留めながら、息を整える。

 

「どうぞ」


 扉がそっと開く。


 そこには気遣わしげな様子のリゼとフェリス、そしてシャロットが立っていた。


 リゼは小鍋の載ったトレイを、フェリスは桶とタオルを手にしている。


 シャロットが寄ってきて、おずおずと俺を見上げた。


「ロクにいさま、お加減はいかがですか?」


 丸く大きなはしばみ色の瞳に、淡いくるみ色の髪。ふんわりと広がる白い花びらのようなスカートが、無垢な可愛らしさを引き立てている。


 兄が三人いるせいか、シャロットは俺のこともにいさまと呼んで慕ってくれていた。

 弟妹きょうだいがいなかった自分としてはそれがたまらなく可愛く、嬉しくもありくすぐったくもあった。


「大丈夫だ、ありがとう。ただの風邪だから、すぐに治るよ」


 そう言って笑いかけるが、シャロットは心配そうだ。


 リゼがトレイをサイドテーブルに置いて、こつりと俺と額を合わせる。


「少しお熱があるようですね。呼吸も苦しそうです」


 息が荒いのは初代神姫たちと一悶着あったせいなのだが、「平気だよ」と笑うに留める。


 それよりも、可愛い顔が間近にあって落ち着かない。


 さまよわせた視線が、サイドテーブルに置かれた小さな赤い鍋の上で止まった。


「それは?」


 リゼが微笑んで、小鍋の蓋を開く。


 甘い香りがふわりと広がった。


「これは……ミルク粥か?」


 とろりと煮込まれたお米に、小さく刻まれた野菜とベーコン。白いスープがほこほこと湯気を立てている。


 テレビや本で存在は知っていたが、実物を見るのは初めてだ。


 湯気に混じる微かなスパイスの香りに刺激されて、忘れていた食欲が戻ってくる。


 リゼがシャロットの肩に手を置いて微笑む。


「シャロットが作ったのです」

「シャロットが?」


 驚いて見ると、内気な少女は恥ずかしそうに俯いた。


 小さな手をおずおずと伸ばして、俺の手をぎゅっと握る。


「ロクにいさまが倒れられたときいて……すこしでも召し上がっていただきたくて……」

「シャロットちゃん、ロクさまに元気になっていただきたいって、とても頑張って作ったのよ」


 フェリスの優しいまなざしを受けて、シャロットは淡く色づいた耳をいっそう赤く染めた。小さな声で「お口に合うといいのですが……」と呟く。


 そのいじらしさに、胸がじんと熱くなる。


「ありがとう、嬉しいよ」


 匙に手を伸ばそうとすると、シャロットが「あっ」と声を上げた。


「あの、わたしが、食べさせてさしあげます」

「でも……」

「ごめいわく、でしょうか……?」


 小動物のように潤んだ瞳で見上げられたのでは、断る道理はなかった。


 シャロットは小さな手で匙を取ると、粥を一口分掬った。


 ふーふーと息を吹きかけて冷ましてから、緊張した様子で差し出してくれる。


「いただきます」


 ありがたく口に含む。


 優しい味が舌の上に広がった。


「……美味しい」


 心からそう言うと、シャロットが「よかった」と顔を輝かせた。


 初めて食べたが、とてもまろやかで優しい味だ。

 からっぽだった胃に温かさがじんわりと染み渡って、肩から力が抜ける。


 シャロットは俺のペースに合わせながら、一生懸命に匙を運んでくれる。


 そんなシャロットと俺の姿を、リゼは幸せそうに見守っていた。


 最後の一口を食べ終えて、息を吐く。


「すごく美味しかった。おかげで元気が出てきたよ、ありがとう」


 頭を撫でると、シャロットは嬉しそうに頬を染めた。


 リゼがほっとしたように微笑み――ぴょんと飛び上がった。


「まあ、ロクさま! その服はどうなさったのですか?」

「ああ、いや、うん。ちょっと寝ぼけて……」


 リゼの手首で腕輪の姿のまま沈黙を保っている暁の盾アマンセルを横目に、乱れた襟をそっと掻き合わせる。


「私、新しいお寝間着を持ってまいりますね。シャロット、食器を厨房へ下げてくれる? 厨房番キッチンメイドの皆さまに、お礼を伝えてね」

「はい、リゼねえさま」


 リゼとシャロットが俺に挨拶をして、仲良く出て行く。


 残ったフェリスが、小首を傾げて微笑んだ。


「よろしければ、お身体清めましょうか?」


 ふと、魔術講座の途中で抜けたことを思い出す。

 肌は砂っぽく、ミルク粥のおかげで滞っていた血が全身に巡ったせいか、汗が滲んでいた。


「ありがとう、でも、自分でやるから大丈夫――」


 言葉半ばに、細い指が唇を塞いだ。


「私が、して差し上げたいの」


 恥ずかしそうな、それでいてどこか艶っぽい微笑みに、心臓が跳ねる。


 出会った時はいつも何かに怯えているような少女だったが、最近大胆になったような気がする。


 上衣を脱ぎ、ベッドに腰掛ける。


 フェリスはよく絞ったタオルで、手の先から丁寧に拭いてくれた。


「私も、ベッドで過ごすことが多かったから分かるわ。心細いわよね。大丈夫よ、すぐに良くなるわ」


 柔らかな声音が、衰弱した身体に心地よく染み込む。孤独で病弱だった過去が、フェリスをこんなにも優しい女の子にしたのだと思うと、言いようもなく切なく、愛しい気持ちになった。


「力を抜いて。次は背中ね」


 背を向けて座り直す。


 優しい手つきに、身体の内側にわだかまっていた淀みが晴れていく。


 心地いい清涼感に、俺は目を閉じて身を任せ――ふと、フェリスの手が止まる。


「?」


 見ると、フェリスは俺の背中を凝視したまま、煙が出そうなくらい赤くなっていた。


「ご、ごめん、嫌だったよな!? やっぱり自分でやるよ!」


「えっ!? あっ、ちちちちちがうのっ! ロクさまのお身体、普段はそんな感じしないのに、がっしりしてて逞しくて、私たちと全然違ってっ……! あの、あのっ、お、男の人なんだなぁって――いえそうよね当たり前だわ!? ロクさまは殿方ですもの! 私ってば、何を言ってるのかしら!?」


 早口でまくしたてながらも、手はあくまで丁寧に拭いてくれる。


 ひととおり拭き終わると、フェリスはタオルを畳み直して微笑んだ。


「これでいいわ」

「ありがとう。すごくすっきりしたよ」


 その時、軽やかなノックの音がしてリゼが戻ってきた。


「ロクさま、お着替えをお待ちしました」


 礼を言って、新しい寝巻きに袖を通す。


 さっきとは比べ物にならないくらい心も身体も軽くて、生まれ変わったみたいだ。


 手のひらを見てふと気づく。魔力が少し戻っている。


 と同時に、猛烈な睡魔が差し込んだ。


 さっきまで苦しくて、食べることも眠ることも出来なかったのに。身体が休養を求めている。まるで自分が正しい生き物に戻っていくような、不思議な感覚だった。


 襲い来る眠気と戦っていると、額にそっと冷たい手が添えられた。


「ロクさまは、いつも私たちのことを一番に考えて、守ってくださるけれど、そのために随分無理もなさってきたのだと思うわ。今は何も考えず、よく休んで」


 フェリスの優しい声に誘われるようにして、ベッドに横になる。


 リゼが微笑みながら布団を掛けてくれた。


「私、小さい頃からずっと不思議だったのです。勇者さまは、あまねく人々を助け、導き、世界を救う。けれど、勇者さまのことは、誰が救うのだろうと」


 慈愛に満ちた手が、幼な子を寝かしつけるにも似てぽんぽんと胸元を叩く。


「誰かのために、世界のために戦い続ける貴方を癒し、お支えする。そのために、私たち神姫がいるのです。貴方が傷付いた時、膝を折りそうな時、必ず私たちが傍でその手を握ります」


 フェリスが優しく俺の髪を撫でて、歌うように囁いた。


「いつもありがとう、私たちの勇者さま。おやすみなさい」













 おぼろな夢の中。


 額に心地良い感触が触れて、目を覚ます。


「マノン……」


 淡い闇の向こう、マノンが俺を見詰めていた。


 部屋は薄青く沈んでいる。カーテンの隙間から覗く空は、うっすらと白んでいた。夜明けが近い。


 マノンが柔らかく目を細める。


「起こしてしまいましたね」


 身を起こそうとする俺をそっと押しとどめて、マノンはベッドの端に腰掛けた。


「安心しました。顔色が、ずいぶんと良くなったようで」

「みんなのおかげだ」


 言ってから、ふと違和感に気づく。


 布団をめくると、ティティとサーニャが抱きついて眠っていた。


 マノンが「まあ、いつの間に」と笑う。


 健やかな寝顔に目を細めながら、二人の頭を撫でる。


「……俺は、幸せだな」


 ふと、そんな呟きが零れた。


 心から安らげる場所があって、温かく思いやりに満ちた姫たちに囲まれて。彼女たちにこんなにも想ってもらえるような、俺は何かをしてあげられているのだろうか。違う世界から来た、何もない俺を慕ってくれて、心配してくれて。みんな、なぜこんなにも優しいのだろう。


 マノンが何もかも見通すかのような澄んだ双眸を、優しく伏せる。


「それは、ロクさまがそのように生きていらっしゃるからです。ロクさまが真摯に、誠実に、手の届く人すべてを幸せにしたいと願いながら生きておいでだからこそ――そして、困っている誰かに迷いなくその手を差し伸べる方だからこそ、私たちは持てるすべてを捧げ、ロクさまに尽くしたいと思うのです。ロクさまの在り方が、私たちに希望と安らぎを与えてくださる。だから、私たちもまた、ロクさまに幸せであってほしいのです」


 そうかな、と呟きながら、手渡されたばかりの温かな言葉を胸中でそっと噛み締める。

 ――そうだといい。そうありたい。


 マノンが柔らかく笑って、不意に屈み込んだ。


 花に似たかぐわしい香りとともに、ちゅっと柔らかな感触が額に触れる。


 目を見開く俺に、マノンはいたずらっぽく目を細めた。


「早く良くなるおまじないです。どうか、いい夢を」


 旋律にも似た優しい囁きを残して、誰よりも優美な淑女が部屋を後にする。


 ティティとサーニャの柔らかなぬくもりを感じながら、俺は静かに目を閉じた。


 この後宮に迎え入れてもらった時から、胸に深く刻んだことがある。彼女たちを守り支えることが、自分の使命なのだと。――けれど。


 夜明けを控えた薄闇の中、手のひらを掲げる。


 アンベルジュの言うとおりだ。俺が持つ唯一のスキル『魔力錬成』は、およそ万能に近いが・・・・・・・・・決して全能ではない・・・・・・・・・


 自分に、唯一人で全てを成し得るだけの力があれば。彼女たちを一切の危険から遠ざけ、繊細で美しい宝石を大切に仕舞い込むように、後宮の奥深くで何の憂いもなく穏やかな日々を送らせ――そんな日々を、俺一人で守れるだけの力があれば。そう願ったことがないと言えば嘘になる。


 だが。


 俺を受け入れてくれた少女たちは、こんなにも優しく、気高く、才気に溢れ、勇敢な魂を秘めている。


 もしも俺が、唯一絶対の英雄として世界を救うためではなくて、彼女たちと手を取り合い、共に世界を歩むためにこそ、欠落した力を与えられたのだとしたら――


 豆だらけの手に通う眩い魔力を、俺は宙を掴み取るようにして強く握り込んだ。


 ◆ ◆ ◆


 主の安らかな寝顔を眺めて、アンベルジュは小さく呟いた。


「あたしが出るまでもなかったわね」

「いやはや、愛じゃのう」


 天井から声が降ってくる。


 見上げると、黒髪の少女――運命神ビビが、逆さまにぶら下がっていた。


 音もなく降り立つビビから、ベッドの主へと視線を移す。


「……なんで、あたしの祝福、受け取ってくれなかったのかしら」


 ビビは「なに、そういじけるな」と口の端を吊り上げた。


「いかな魔族を退けた無双の勇者とて、人の子には変わりない。人を救い、人を癒すのもまた人であるということよ」

「…………」

「それにな」


 薄闇にあっても紫水晶アメジストのように輝く瞳が、ロクを見詰める。


「こやつは、おぬしにとって魔力が命そのものであることを理解わかっておるのじゃろう。おぬしの力が、まだ十全ではないこともな」

「……ちょっとくらい返したって、死にはしないわ。元はマスターの魔力ものなんだもの」

「分かっておるじゃろ。おぬしの命をわずかなりとも削ってまで、己が癒えることを良しとしない……これはそういう男じゃよ」

「変なの。――神器なんて、ただの道具なのに」


 自分でも天邪鬼だと思う。


 本当は、嬉しくてたまらない。

 道具ではなく、人として扱ってくれること。

 出来損ないの自分を、こんなにも大切にして慈しんでくれること。


 無二の主に出会えた幸福が、奇跡が、今にも叫び出したいくらいに、泣き出したいくらいに嬉しいのに、唇から零れるのはいつだって可愛げのない強がりばかりだ。


 俯いた頭を、細い手がぽんぽんと叩いた。


「安心せい。おぬしの想いも、ちゃんと届いておる」


 アンベルジュは頷きながら、眠る主を見下ろした。


 どこまでも優しく、愛情深く、心配になるくらい誠実な人。


 誰かを守るために幾度となく傷つき、鍛え上げられた身体に浮かぶ、白銀の魔力回路。


 その中心――無限を湛える心臓を秘め、穏やかに上下する胸に、そっと手を当てる。


「貴方のためなら、力を振るえる。貴方を害するものすべてを退けてみせる。どうか神器あたしが必要なくなるその日まで、傍に居させて。愛するご主人様マスター





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さとうぽて様(https://mobile.twitter.com/mrcosmoov)の描かれる麗しいフェリスとカナデが目印です!

メチャメチャカワイイ!!!!!!


応援、評価、コメントありがとうございます!

久しぶりの更新となってしまいドキドキしていたのですが、温かいお言葉をいただきましてとても救われました!

腰痛&残業に苦しめられる日々ですが、いただいた応援を励みに頑張ります!

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