第56話 ガーランド港奪還戦

 俺はイザベラに向かって頭を下げた。


「初めまして、カヅノロクです」

「……申し遅れました。アルシェール辺境伯の妻、イザベラです。こちらは長男のミゲル」


 差し出された手を握ると、イザベラは灰色の目を冷たく眇めた。


「お噂は伺っておりますわ。何でも、あのカリオドスを倒されたとか」

「フェリスやみんなのお陰です」


 俺がリゼたちに視線を送ると、イザベラは眉を寄せた。


「こちらの方々は?」

「お初にお目に掛かります。ベイフォルン子爵家が長女、リーズロッテでございます」


 礼儀正しく頭を下げるリゼに、イザベラは「ベイフォルン?」と眉をひそめ、吐き捨てた。


「――ああ。魔族の呪いを受けたという、『悪魔の子』」


 フェリスが「お母さま!」と叫ぶが、イザベラは穢らわしいものでも見たかのように顔を背けた。


「リゼさま、申し訳ございません……!」

「良いのです、フェリスさま」


 泣き出しそうな顔で謝るフェリスの手を、リゼが優しく包む。


 イザベラの舐めるようなまなざしが、俺を頭から爪先まで見渡した。


「それで、勇者さま。異世界から来る人間には、強大な魔術が備わっていると聞いております。貴方さまはどのような魔術を習得されているので? 当然、極大魔術のひとつやふたつ使えるのでしょうね?」


 俺は「何も」と答えた。


 イザベラが白々しく目を見開く。


「え?」

「何の魔術も使えません」

「……では、スキルは。あのカリオドスを討ち取ったくらいです、よほど強大なスキルを備えているのでしょう」

「『魔力錬成』を」

「……それだけですか?」

「それだけです」


 口紅を塗りたくった唇が震える。


 それはやがて哄笑となった。


「ほほ、ほほほほほ! まさか噂通りとは! 魔術も使えない、ろくなスキルもない無能が勇者として持て囃されているなんて! 王も耄碌したものですねぇ!」


 フェリスが「お母さま!」と激昂した。


「ロクさまは私を救ってくださいました! 私のことは何と誹られようと構いません! ですが、ロクさまや大切なお友だちのことを悪く言うのは……っ!」

「魔術を使えない勇者など、何の役に立ちますか。……まあ、出来損ないのお前の主に相応しいとも言えましょう」


 イザベラは灰色の目を冷たく眇め、ネズミでも追い払うように手を振った。


「もういい、退がりなさい。ガーランド港への出立は明日。お前にも役に立って・・・・・もらいますよ」


 宛がわれた部屋へと案内される途中。


 フェリスは泣き出しそうな顔で頭を下げた。


「申し訳ございません……!」

「フェリスさま、謝らないでくださいませ」


 リゼがフェリスの背を優しくさすり、ティティが「フェリスちゃんは悪くないよ!」と頬を膨らませている。


 サーニャも「あれは家族ではない、家族はたがいを支え、いつくしみあうもの。フェリスはわたしが守る」と髪の毛を逆立てている。


 俺は細い肩に手を添えると、頭を上げさせた。


「いいんだ、フェリス。辛かったな」

「……っ」


 翡翠色の瞳が潤む。


 血の繋がらない母の元、ずっと虐げられてきたのだろう。


 あの身を刺すような悪意に晒されながらこの城で育った幼いフェリスを思えば、胸が痛かった。


「大丈夫。俺たちはいつも通り、出来ることをするだけだ」




************************




 そして。


 兵を連れ、早朝からの行軍の末に到着したガーランド港。


 灰色の雲が垂れ込め、吹き付ける風に白波が立つ。重たく淀んだ海の上、ギャアギャアと不気味な声が響く。


 丘の上から見下ろせば、港全体が色濃い瘴気に包まれていた。


「見てのとおり、港そのものがダンジョン化しています」


 イザベラが港の一角に扇を向ける。


「あの中心にいるのが、ダンジョンの主でしょう」

「あれが……」


 扇が示す先、翼の生えた魔物たちが群がっていた。それも尋常な数ではない。何百体という魔物が折り重なって、城ほどもある球を形作っている。


 魔物で構成された、巨大な黒い塊。


 あの中に、ダンジョンの主がいる――


「ダンジョンの主は、見ての通り、無数の飛翔型の魔物に護られています」


 イザベラがミゲルに目配せした。


 ミゲルが空に向けて杖を掲げる。


「『炎天鳥ファイア・バード』!」


 空中に赤い粒子が逆巻き、炎の鳥が現れた。


 翼を広げ、港へと飛んでいく。


 赤く燃える鳥が、黒い塊の上空に迫り――球体が脈動したかと思うと、大きく盛り上がった。


 夥しい数の魔物たちが魔術の鳥を取り込み、かき消し、やがて何事もなかったかのように塊に戻っていく。


 ティティが「うわぁ」と悲鳴を上げる。


 それは異様な光景だった。魔物が人間を襲うでもなく、侵攻するでもなく、ただひたすらに主を守る鎧と化している。これではどんなに魔術を打ち込んだところで、中の主までには到達しないだろう。


 主を討ち取るためには、あの無数の魔物たちを崩すしかない。


「中にいるのは魔族でしょうか」


 問うと、イザベラは横目で俺を一瞥した。


「魔族ではありません。ですがかなり力を付け、魔族になりかけている。おそらく主が魔族に成るまで、手を出させないつもりでしょう。魔物ごときがこざかしい手を考える」


 それにしても、この瘴気の濃度、尋常ではない。


 通常、ダンジョンが生まれるには相当の年月が掛かる。だが、ガーランド港はわずか数日でダンジョン化が進んだと聞いた。


「一体どうして……」

「魔物が積み荷の魔石アーティファクトを喰らったためです」

「魔石を?」


 魔物は他の生き物を喰らって魔力を取り込むことで、より強力な魔物へ、そして魔族へと進化するはずだ。


 魔石を喰らうというのは初めて聞いた。


「魔物が魔石を取り込むのは、よくあることなんですか?」

「希にあるらしいですが、魔族化まで至った事例は聞きません。今回は純度の高い最高級の魔石を、それも大量に取り込んだために、突然変異を起こしたのでしょう」


 魔石は魔術の術式を宝石に埋め込んで、魔力の結晶で覆ったものだ。水を出したり、湯を沸かしたり、あるいは明かりを灯したりと、日常生活で広く使われている。


 俺は黒い球体に目を凝らした。


 魔物たちの向こうで、漆黒の魔力回路が不穏な光を帯びている。


 イザベラが息子のミゲルを愛おしげに振り返る。


「ガーランド港は東方貿易の要。港への被害は最小限に留めなさい。魔術士としての腕の見せ所ですよ、ミゲル」

「お任せ下さい、母上」


 俺は「待って下さい」と口を開いた。


「嫌な予感がします。もう少し調べた方が」


 魔石を喰い、魔族化しようとしている主。人間獲物に見向きもせず、主を守る魔物たち。そしてその奥で不気味に蠢く魔力回路。


 これまでのダンジョンと比べて、あまりに異質だ。


 しかし、イザベラは鼻を鳴らして一蹴した。


「あら、始まる前から負け惜しみかしら? 腰抜けが――」


 明らかに聞こえるように言いかけて、にっこりと笑う。


「いえ、失礼。それでは、勇者さまには、不出来な我が娘と共に右翼をお任せしましょう。攻めるも自由、逃げるも自由。いかようにもお使い下さい」


 地図上に示された配備を見て、フェリスが声を上げる。


「お待ちください、お母さま! これでは……!」


 ミゲル率いる左翼が精鋭の魔術士二十人、兵士二千人を従えているのに対して、右翼は兵が五〇〇のみ。


 どこから見ても、完全なる捨て駒だ。


「これではあまりにも……!」


 顔色を失うフェリスに、イザベラは嘲笑の目を向ける。


「そちらには勇者がいるでしょう。お前が信頼を寄せてやまない勇者が」


 フェリスの肩に手を置いて、イザベラは低く囁いた。


「これ以上、我がアルシェール家の家名に泥を塗ることは許しません。魔術士の端くれなら、囮になって死ぬくらいの気概は見せなさい」


 イザベラは扇を広げると、港へと向けた。


「只今より、ガーランド港奪還戦を開始する!」

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