第16話 故郷への旅路


「辛くないか?」

「は、はい。温かくて、心地いいです。これが、ロクさまの魔力なのですね」


 リゼはそう言いながら、ぽーっと頬を染めている。


 その魔力回路に目をこらしながら、慎重に注ぐ。白銀の輝きが脈を通い、リゼの全身へ巡っていく。やがてその腕に絡みついたアザが、微かに輝きを帯び始めた。


「あ……」


 紙が燃えるように、端からちりちりと縮まり出す。うまくいきそうだ。


 俺はさらに魔力を注ぎ込もうと、身を乗り出し――


「ろ、ロクさま、もう……あ、あの、なんだか、ふわふわ、して……」


 か弱い声に顔を上げる。


 リゼが、まるで酔ったように頬を上気させていた。瞳はとろりととろけ、薄紅色の唇は淡く綻んでいて――


「ふぁぁ?」


 くらぁっと傾いだ細い身体を、慌てて支える。


「だ、大丈夫か!?」

「は、はい、大丈夫、れひゅ」


 そう言いつつふらふらしている。魔力酔いとでもいうのだろうか、どうやらリゼの容量をオーバーしてしまったようだ。


「ごめん、やりすぎた」

「いえ。ロクさまの魔力、とても温かくて、安心しました。本当なら、もっとして欲しかったくらいで」


 リゼは俺の胸にもたれつつ、頬を染めて微笑み――腕を見て、はっと声を上げる。


「アザが!」


 ほんの一部だが、アザが薄くなっていた。


「ロクさま、これは……!」

「ああ」


 思わず声が弾む。どうやらうまくいったようだ。俺の魔力は、相手が持つ本来の魔力を活性化させることができる。


 このまま根気よく続ければ、黒い魔力を駆逐でき、アザも消えるかもしれない。


 ……けれど。


「ロクさま?」


 白い肌に走る黒いアザを、そっと撫でる。


 リゼはびくりと身を固くし、おそるおそる口を開いた。


「恐ろしくは、ないのですか?」


 確かに、最初は異質だと思った。けれどこれは、リゼが抱えてきた痛みそのものなのだ。小さな頃から、この苦しみと共に生きてきたのだ。そう思えば、愛おしくすらあった。


「怖くないよ。これも、リゼの一部だろ」


 労りを込めてアザをさすると、大きな瞳に涙が盛り上がった。


「だめですね。もう泣かないと決めたのに」


 リゼは俺の胸に顔を埋めるようにしていたが、ふと、その手が持ち上がった。


 しっとりと柔らかな感触が、俺の頬を包む。


 涙に濡れた双眸が、俺を見つめた。


「ロクさま。もっと……もっと、触れてください。ロクさまになら、私……」

「リゼ?」


 艶やかな表情に、心臓が跳ねる。


 長いまつげを涙の粒が彩っている。薄桃色の唇が、春を迎えた蕾のように淡く綻び――


 その時、慌ただしいノックの音が響いた。


「リゼさま! リゼさま!」

「にゃ――――――――――!?」


 リゼが真っ赤になって飛び上がる。


「にゃんです!? どどどどうしたのです!?」


 現れたのは、リゼの侍女だった。


「故郷よりお手紙が!」


 顔色から、どうやらただ事ではなさそうだ。


 リゼは手紙に目を通し、小さく呟いた。


「兄からです。父が、病に倒れたと」

「!」

「今のところ、命に関わる病状ではないとのことですが……」


 その顔は青ざめている。


 俺は立ち上がった。


「故郷に帰る準備を。俺も一緒に行くよ」

「ロクさま、ですが……」


 リゼの手を取る。冷たく凍えた指先を、そっと包み込んだ。


 どんなに冷たく突き放されても、リゼが家族を、父親を愛していることは伝わってきた。心配じゃないはずがない。


 見知らぬ異世界に召喚されて、城から追放されて、また追い出されるのだろうと、諦めることに慣れてしまっていた俺に、リゼはまるで息をするように手を差し伸べてくれた。俺と後宮のみんなを繋いで、魔術講師という居場所をくれた。


「今俺がここに居るのは、リゼが助けてくれたからだ。今度は俺が、リゼを助ける番だ」


 俺を映す瞳に、涙の膜が張る。


 リゼは「ありがとうございます」と頭を下げた。


 マノンに相談すると、即座に動いてくれた。


「すぐに馬車を手配させましょう。私も同行したいのですが、残念ながらお役に立てそうにありません。外の世界に慣れた者を連れて行かれるのがよろしいでしょう」

「それじゃあ、ティティに声を掛けようかな」


 隊商に居たのなら旅に慣れているだろう。





 広い敷地を探すと、温室でぐったりしているティティを見つけた。侍女のスパルタ指導(刺繍編)から、這々の体で逃げて来たらしい。


「というわけでリゼの故郷に行くんだけど、良かったら同行してくれないか? 三食昼寝つきじゃなくて悪いんだけど」

「やったー! ロクちゃんとお出かけだー!」


 ティティは俺の手を取って自分の部屋に飛び込むと、早速旅の道具を引っ張り出した。


「ええと、地図でしょ。ナイフに糸と針、ロープと、あと毛布も要るなぁ」

「その石は何だ?」

「これは魔石アーティファクト。魔力を流すことで、明かりを点けたり、お湯を沸かしたりできるんだよ。で、これは光るチョーク。森とか洞窟に入るときに、迷子にならないように印をつけるの」

「へえ。じゃあ、その人形は?」

「これは魔形代フェイクドール。魔物に襲われた時、魔力を込めて投げて、おとりダミーにするんだよ。魔物は人間の魔力が大好物だからね」


 そんな便利な道具があるのか。


「ティティが居てくれて助かったよ」

「わぁい! ロクちゃんの役に立てて嬉しいっ!」


 ティティは俺の腕に絡みついて子犬のようにすりすりと頬を寄せていたが、「あっ!」と顔を上げた。


「あと、サーニャちゃんも誘うといいかも」

「サーニャ?」


 中庭で雛を拾った、ミステリアスな女の子のことだ。


 一体なぜ、と疑問に思っていると、ティティは片目をつむった。


「あの子、強いよ」


 裏庭でサーニャを見つけた。噴水の縁に座り、素足を浸している。


「リゼの故郷に行くことになった。一緒に来て欲しい」


 サーニャは俺を見上げて、ひとつ頷いた。やはり不思議な子だ。一体どこから来て、どうして後宮に入ったのだろう。今度折を見て訊いてみよう。


 急ぎ荷物をまとめる。




 そして、翌日の早朝。俺たちは広場に集合した。


 身分を隠していち旅人を装ったほうがいいだろうという判断で、ティティとサーニャは旅装に身を包んでいる。


「リゼは……」

「ロクさま」



 現れたリゼは、軽装に身を包んでいた。今までドレスで隠されていた手足のアザが露わになっている。


 俺の視線に気付くと、リゼはアザが走る腕をそっと抱いた。


「私はこれまで、このアザを隠すことばかり考え、怯えながら過ごしていました。けれどロクさまが、これも私の一部だと……ありのままの私を、受け入れてくださったから」


 ルビーのように煌めく双眸が、俺を見つめる。ドレスとはずいぶん雰囲気が違う。白と赤を基調にした服は、リゼの優しい雰囲気を引き立てていて――俺は目を細めた。


「よく似合ってる。可愛いよ」


 リゼが嬉しそうに頬を赤らめてうつむく。その肩にアルルが飛び乗った。


 馬車に荷物を積み込む。


 俺は、見送りに出てくれたマノンに、昨夜急遽作ったリストを手渡した。


「俺がいない間、みんなをお願いしていいかな」


 後宮の姫たちの魔術について、一人一人の傾向と、それに対応した課題を書き出したものだ。


 マノンは「まあ」と声を詰まらせていたが、胸に手を当てて「お任せください」と深々と頭を下げた。


「通行証を求められたら、この札をお見せください。皆さまの旅路に、神のご加護があらんことを」


 マノンに礼を言って、通行証を受け取る。


 後宮の姫たちもみんな、手を振って見送ってくれた。


「どうぞお気をつけて」


 馬車に乗って、王城の門を出る。


 王都を抜けると、街道を北東に取った。


 リゼの故郷までは、馬車で七日。


 御者台で手綱を握るティティの隣に座って、がたごとと街道を行く。


「こういう街道に、魔物が出ることはないのか?」


 ふと湧いた疑問に、荷台からリゼが答える。


「ありますが、出るとしても、それほど強い魔物はいないかと」

「強い魔物は、ダンジョン? に出るんだっけ」

「はい。大気中にはエーテルと瘴気が存在し、エーテルは精霊を、瘴気は魔物を生みます。瘴気の濃い場所ほど魔物は強くなり、魔物の巣はダンジョンと呼ばれます。そして魔物は、他の生き物を食らい、魔力を取り込むことで、より強力な魔族となるのです」


 本で読んだ通りだ。そういったダンジョンの核となっている魔物や魔族を冒険者が駆逐し、瘴気を散らすことで、平和を保っているらしい。


 勇者になるためには、レベルアップは必須。そうなると、いずれダンジョンに赴く必要も出てくるだろう。


 王都に近いだけあって、街道は多くの人で賑わい、旅人や商人たちが連なっている。


 途中、前を歩く隊商からりんごを買った。

 壮年の男性を中心とした、十人ほどの大所帯だ。野菜の仕入れのため、西方に向かう途中だという。


「兄ちゃん、えらいべっぴんさんを侍らせてるなぁ。みんな、まるでどこぞのお姫さまみたいじゃないか、うらやましいねぇ。一体どこへ行くんだい」

「北のベイフォルン領です」

「ベイフォルンか。あの辺りは、北方を支配する魔族『暴虐のカリオドス』の影響が強くなってきて、魔物が増えてる。特にここ十年はひどい。冒険者の手も届かなくて、手つかずのダンジョンも多いらしい、やめた方がいい」


 リゼが所在なさげにうつむく。


 商人は気付かず先を続ける。


「まあ、このあたりも、最近旅人が立て続けに魔物に襲撃されてるから、油断は禁物なんだが――」


 そのとき、前方で誰かが叫んだ。


「ゴブリンの群れだ!」

「!」


 視線を横に走らせる。なだらかな丘陵に、黒い影が蠢いていた。その数、およそ二十体。


 ティティが馬車を止める。リゼが周囲の人々に、「馬車の周囲にお集まりください! 身を低くして!」と声を掛けた。


「リゼ、ティティ、少しでも数を減らせるか」

「やってみます!」


 俺は御者台から飛び降りた。剣を引き抜く。


(魔力で斬る、魔力で斬る……)


 俺は謎の少女の言葉を思い出しながら柄を握った。刀身が白銀の光を帯び始める。


 さあ、あれから多少は剣術の稽古を重ねたが、果たして通用するかどうか――


「『炎魔矢』!」

「『水魔矢』!」


 迫り来るゴブリンの群れを、馬車の上からリゼとティティが狙撃する。


『ギギィ!?』


 何体かがもんどり打って倒れた。魔矢を逃れたゴブリンたちが馬車に殺到し――俺はその胴体めがけてアンベルジュを振り抜いた。白銀の刀身が、三匹をまとめて両断する。


 旅人たちからわっと歓声が沸く。


「す、すごいです、ロクさま!」


 返す刀でさらに二体を葬る。コウモリを斬った時に比べて、明らかに身体が軽い。


 視界の端、数匹が離れたところからこちらをうかがっている。波状攻撃を仕掛けられると厄介だ。まとめて片を付けたいが――そう思っていると、横からサーニャが飛び出した。両手に短剣を構え、ゴブリンの間を駆け抜ける。ひゅぴッ! と風を切る音がしたかと思うと、四体が霧散した。


「強いんだな、サーニャ」

「これくらい当然」


 頼もしいことこの上ない。


 剣を振るい、襲いかかるゴブリンたちを切り伏せていく。


 と、残った一匹が、背を向けて逃げようとしているのが目に入った。これを逃がせばまた旅人を襲う可能性がある。


試してみるか・・・・・・



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