第5話 魔力錬成は誰でもできる?

 カーテンの隙間から漏れる光で、俺は目を覚ました。


 そこは、見慣れた六畳一間の安アパート……ではない。

 雲のような寝心地のベッドに、西洋風の調度品。毛足の長い絨毯の上には、巨大なソファが鎮座している。


 ……どうやら夢ではないらしい。俺は異世界に召喚されたのだ。


 めまぐるしい一日だったので寝付けるか心配だったが、疲れがたまっていたのか、思いのほかぐっすり眠ってしまった。


 今何時くらいだろう?

 昨夜食べたスープとお肉、めちゃめちゃおいしかったなぁ、なんて考えながら、昨夜マノンが用意してくれた着替えに袖を通す。見慣れない装飾に苦戦しつつ、なんとか身につける。


 と。


「あ」


 昨日脱ぎ散らかしたジーパンを畳んでいると、万年筆が転がり落ちた。どうやらそのまま持ってきてしまったようだ。片桐が落としたものなんじゃないだろうか。いつか返さないと。


 前世(?)の服をチェストにしまって、カーテンを開いた。天気がいい。ガラス越しに、よく手入れされた庭が見える。青々とした垣根に水色の花が咲いて、とてもきれいだ。


 と、小鳥のさえずりに混じって、なにやら喧噪が聞こえてきた。


「? なんだ?」


 不思議に思って、窓を開けようとした時。


 ぱたぱたと軽やかな足音が近づいてきたかと思うと、窓が勢いよく開いた。


「!?」


 現れたのは、十二、三歳くらいの女の子だった。


「あれっ!?」


 鼻と鼻とが触れそうな至近距離、蒼い瞳が驚きに見開かれる。


 何事かと尋ねる暇もなく、女の子は鮮やかに窓枠を乗り越えて飛び込んできた。


「まずいよ! 男のヒトは、後宮に入っちゃだめなんだよ!」

「あ、ええと……」

「切り落とされちゃうよ!」


 ナニを!?


 少女は俺の手を掴むと、風のように部屋を横切った。


 そのまま、俺もろともベッドにダイブする。


「!?」

「静かにしててね!」


 そう片目をつむって、布団をがばりと被る。俺は必然、ベッドの中で少女と身を寄せ合うことになった。


(何だこの状況!?)


 抗う暇もなかった。まるで小さな嵐だ。

「あの、」

「しーっ!」


 唇に、細い指がふにりと押し当てられる。人形のように整った顔が間近にあってどぎまぎする。


 窓の外、侍女たちだろうか、誰かを呼ばわる声が聞こえた。


「ティティさま! どこですか、ティティさま!」

「今日という今日こそ、お裁縫をマスターしていただきますよ!」


 俺にぴったりとくっついた少女が、ふふっといたずらっぽい吐息を零す。細い髪が頬に当たってくすぐったい。あと、めちゃくちゃいいにおいがする。


 やがて、声と足音が通り過ぎた。


 気配が遠ざかるのを待って、少女が「ぷはぁっ!」と布団を剥ぐ。


「危なかったねー!」


 そう言って、満面の笑顔を咲かせる。蒼い瞳は朝の光を集めてきらきらと輝き、まるで夏の海のようだ。水色のふわふわしたドレスがよく似合っているが、どこかのご令嬢というよりも、『おめかしした女の子』という印象を受ける。相手にまったく警戒心を抱かせないあどけない仕草は、人なつっこい小動物を連想させた。


「ところで」


 まだ幼さを残す愛くるしい顔が、鼻先に迫る。俺は思わず仰け反った。


「なんで男の人がここにいるの? どろぼー? まおとこ? あんさつしゃ?」


 大きな双眸が、好奇心に輝いている。


「え、ええと……」


 どこから説明しようか。


 言葉を探していると、ノックの音が響いた。


「おはようございます、ロクさま。ご気分はいかがですか――」


 扉から、リゼが顔を出した。ベッドの上、至近距離で顔を寄せ合う俺たちを見て、


「ひゃ! し、しししし、しちゅれいしましたぁっ!」

「あ、リゼ」


 止める暇もなく、光の速さで引っ込んでしまう。


 と、また扉が開いたかと思うと、今度はマノンが姿を表した。


 ベッドの上の台風少女を見て、穏やかに微笑む。


「あら、ティティさま」

「マノンさまー! おはようございます!」


 ティティと呼ばれた少女は、元気に手を上げて挨拶した。


 マノンが微笑んで、唇の前に指を立てる。


「ロクさまのことは、まだ後宮の皆には秘密にしておこうと思ったのですけれど、見つかってしまったものは仕方ありませんね。このことは、どうぞご内密に」

「了解! ヒミツゲンシュは、商売の鉄則だからね! その代わり、ティティが空き部屋を隠れ家にしてたの、しーっだよ」


「ふふ、しーっですね、かしこまりました。リゼ、入ってきて大丈夫ですよ」


 耳まで真っ赤ににしたリゼが、サンドイッチを載せたトレイを持って入ってきた。


「し、失礼しました、わ、わた、私、てっきり……ちちち、ちゅー、してるのかと……」


 赤く染まった頬を、肩に乗った子犬――精霊獣がぺろぺろと舐める。


「ひゃ、アルル、だめ、くすぐったいですっ」

「名前つけたんだな」

「はい。巣立つまでの間だけですが」


 リゼが、トレイをテーブルに置いてくれる。


「お食事をお持ちしました。簡単なもので申し訳ないのですが」

「ありがとう」


 礼を言うと、リゼはふわりと笑った。昨日もきれいだと思ったけれど、明るいところで見ても抜群に可愛い。赤い瞳が光に透けて、宝石みたいだ。


 そんなことを考えながら見ていると、リゼは緊張の面持ちで頬を染めた。


「きょ、今日は念入りにお化粧してきましたので、もっと近づいていただいて大丈夫ですっ」


 真っ赤な顔で目をつむり、『どうぞ!』とばかりに両腕を広げる。ええと、この腕はなんだろう。もしかすると飛び込んでいいのだろうか? いやしかし……と踏ん切りがつかない俺の代わりに、ティティがそっと抱擁していた。


 マノンが上品に礼をする。


「後宮へようこそ、ロクさま。改めまして、マノンと申します」

「マノンさん、よろしくお願いします。鹿角勒です」

「ふふ、どうぞマノンとお呼びください。それと、ここでは一切の敬語もお使いになりませんよう。なにしろ後宮の主となられる御方なのですから」

「は、はい、いえ、うん」


 恐縮していると、マノンが「さて」と椅子に腰掛けた。


「本来であれば、勇者さまのお渡りとあれば、王宮からの命により儀式の準備を整え、大々的にお迎えするのですが、どうやら事情がおありのご様子。おおよその経緯はグレン将軍の書簡にて拝読しましたが、詳細をうかがってもよろしいでしょうか?」

「えっ!? ロクちゃん、勇者なの!? すごい!」


 身を乗り出すティティに、首を振る。


「それが、俺には勇者の資格はないんだ」

「? どういうこと?」

「俺は確かに、異世界から召喚された。でも、俺の他に、もう一人召喚されたんだ。俺はどうやら、そいつのオマケというか、単に巻き込まれただけみたいで」

「えっ、そんなことあるの???」


 ティティが俺の気持ちを代弁してくれる。そうだよな、びっくりだよな。たぶん俺が一番びっくりしてる。


「もう一人の召喚者――片桐は、すごい魔術とかスキルとか、いろいろ付与されたみたいなんだけど、俺は『魔力錬成』っていうスキルしかなくて」

「魔力錬成、ですか」

「王女は、誰でもできるっていってたけど」


 リゼとマノンが顔を見合わせた。


「そうですね……魔力錬成とは、要約すると、『心を鎮め、集中する技術』といったところでしょうか。魔術を使うものならば、必ず身につけているかと」

「わ、私も、初等教育で最初に学んだ記憶があります。時間もほんの二時間ほどしか割かれなかったような?」


 ではやはり、特に役に立たないスキルということだ。今ならギャラリーが戸惑っていた理由も分かる。やっぱり、俺には勇者の資格はないってことか。


「それで、王女に王宮に入るのを禁じられちゃって……後宮ここに行けって」

「なるほど」


 完全に場違いで申し訳ない。今すぐ後宮からたたき出されても仕方ないのに、リゼは「そんなことが……大変だったのですね」と涙ぐんでいる。なんていい子なんだ。


「でもすごいな、勇者のための後宮があるなんて」

「これは、初代勇者さまの神話に基づいているのです」

「神話?」

「はい。千年前、北の果てにある《瘴気の巣》より魔王が生まれ落ち、大陸全土を闇に飲もうと牙を剥きました。それを阻んだのが、異世界より降臨された勇者さまなのです。大陸の守護神イリアは、勇者の元に美しい娘たち――《神姫じんき》を遣わせました。神姫たちは勇者を愛し、支え、傷を癒やし、ともに戦いました。勇者は、意志を持つ武器――神器を携えたあまたの神姫を従えて、ついに魔王を封じることに成功したのです」


 へえ、と呟く。


「神器って、勇者の武器じゃないんだな」

「もとは神姫たちが使っていたようですね。ですが、年を経るごとに使える者が減っていき、ついには異世界から来た者にしか使えなくなったと。……今は王宮が管理しているので、確かめようがないのですが」


 王宮で見た神器の数々を思い出す。なるほど、どうりで数が多かったわけだ。あれでさえほんの一部っていってたしなぁ。


「魔王との戦いを終えて、勇者は元の世界に戻りました。大陸の危機が訪れた時に、必ずまた来ると約束を残して。残された神姫たちは神殿を建て、そこで暮らしました。勇者が戻った際に、再び寄り添い支えることができるように。――それが時を経て、後宮という形で残ったのです」


 なるほど、ここは神殿の名残だったのか。どうりで荘厳だと思った。


「ですが、今では神姫の神話も廃れつつあります。神話を知らず、単に異世界の勇者さまをもてなし、快適にお過ごしいただくためのご内廷、もしくはご内室選びの場所として認識している者がほとんどです。ですので、私たちは勇者さまの生活を潤すため、礼儀作法や料理、裁縫、詩歌、文学、芸術、手跡……あらゆる教養を身につけるのです。……本来は」

「本来は?」

「今は、講義らしい講義もなく、半ば放置されております」

「? どうして……」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る