第41話 侯爵令嬢の小さな夢


 王都に戻った俺たちを出迎えたのは、沿道に並んだたくさんの人々だった。


「来たぞ! 後宮部隊の凱旋だ!」

「勇者さま、神姫じんきさま! どうぞ、こちらにもお手振りを!」

「まあ、なんて華やかなのかしら。神姫さまのお美しいこと」

「ロクさまがいらしてから、もう四つのダンジョンを制覇したらしいぞ。さすがは最強勇者さま、王都も安泰だな」


 姫たちの笑顔を紙吹雪が鮮やかに彩る。


 王都民から向けられるまなざしには、親しみや敬愛、信頼が籠もっていた。


 初代神姫の時代には、神姫たちは防衛の要を担っていたと言う。図らずも、神話の再来となった形だ。


 今や後宮部隊の名は国内外に轟き、後宮を掃きだめなんて揶揄する人はいない。


 後宮に戻ると、姫たちによく休むように伝えて、マノンと一緒に執務室に入った。


 机上に羊皮紙を広げるマノンを見ながら、廃村で見た勇者の姿が脳裏に過ぎる。


 突如として現れ、そして風のように立ち去った先代勇者。


 あんな年若い少年だったとは――


(……いや、少し、違和感があるんだよな)


 その違和感がどこから来るかは分からない。


 だが、少なくとも敵意は感じなかった。


「先代勇者さまのことですか?」


 ああ、と頷くと、マノンはすみれ色の瞳を伏せた。


「私も、はっきりと知っているわけではありませんが、先代の勇者さまは、召喚された明朝には、神器――『翼竜の槍』と共に姿を眩まされたと聞いております。廃村で会った人物に間違いないでしょう」

「じゃあ、一緒にいたのは」

「おそらく、先代聖女さまかと」


 少女と共に立ち去った後ろ姿を思い出す。


 ほんの刹那の邂逅だったが、魔術もスキルも、間違いなく勇者の器だった。


 召喚されてすぐ神器に認められるほどの器を備えた彼が、なぜ後宮を顧みることなく、聖女と共に旅立ったのか。なぜ今になって姿を現したのか。


 考え込んでいると、「ロクさま」と柔らかな声が名を呼んだ。


「今はロクさまこそが、私たちをお救い下さった、唯一の主。今更誰が現れようとも、ロクさまが築き上げてくださった絆は揺るぎません。絶対に」


 優しく、けれど強い意志を宿した双眸に、胸に詰まった蟠りが解けていく。


「ありがとう、マノン」


 俺は机の上に意識を引き戻した。


 考えても仕方がない、今はただ、自分に出来ることをするだけだ。


 廃村の地図と編成リストを見比べながら、今回の出征を振り返る。


「ナターシャが調子を上げてきてるな。使える魔術も増えてる」

「そうですね。次からプリシラ姫と組ませて前衛に配置しましょう。互いに補い合えると思います」

「ああ。それと、次のダンジョン攻略に備えて、もう少し隊を細分化したい」

「承知しました。明日までに再編成して、リストをお持ちします」


 こうして打ち合わせる度に、改めてマノンの聡明さに舌を巻く。


 まさに打てば響くという表現がぴったりだ。俺が言わんとすることを即座に理解して、最適解を提案してくれる。


 もちろん元の頭の回転の速さもあるだろうが、常に姫たちの様子に目を配っているからこそだろう。


「マノンはすごいな」


 マノンは「まあ、そんな」と胸に手を当てて、優雅に膝を折った。


「ロクさまをお支えすることこそが、私の喜びです。どうぞお任せください」


 その洗練された仕草を見詰めながら、俺はふと口を開いた。


「マノンは」

「?」

「マノンは、何か、したいことはないのか?」


 唐突で脈絡のない問いに、けれどマノンは淑女のお手本のような微笑みを浮かべた。


「私は幼少の頃より、勇者さまにお仕えすることこそが使命なのだと言い聞かされて育ちました。レイラーク侯爵家の娘として勇者さまに身も心も捧げることが、父の悲願であり、追い求めた理想。こうして最上の主を迎えたこと、父も誉れに思っておりましょう」

「…………」


 俺は少し逡巡して、「マノン」とその瞳を見詰めた。


「自由に生きていいんだ」


 そう告げると、すみれ色の双眸が微かに見開かれた。


 ずっと考えていた。


 出会った時から、マノンは誰よりも慎ましく、高潔な淑女だった。一分の隙もないくらいに。その優美な仕草も、完璧な立ち振る舞いも、全てはいつ来るかも分からない、見知らぬ勇者のために幼い頃から身に付けさせられたのだと、マノンはいつか言っていた。


 けれど。


 夢があったのではないだろうか。侯爵家の令嬢としてではなく、一人の少女として。


 まだ齢十八の、花盛りの女の子として、自由を謳歌し、歩みたい道が。


「マノンのことは、頼りにしてる。けど、もしもマノンが望むなら、ここを出て、好きなように……自分の幸せを求めていいんだ。夢を追いかけていいんだ。マノンが幸せに生きるために、もし俺に何か出来ることがあるなら、言ってほしい」


 もちろん、家に従い、使命に身を尽くすのも、ひとつの尊い生き方だ。けれど、もしも父親の教えに――生まれながらの身分に縛られているのならば、どうかその枷から解放されて、望むように生きて欲しい。夢があるのなら、追いかけて欲しい。何者にも捕らわれず、自分らしく生きて欲しい。


 マノンは声を失っている。


 すみれ色の双眸が、湖面のように揺らいで――俺は我に返った。


「あ、いや、ごめん。後宮を任せるとか、この前言ったことと矛盾するけど、ほんと、頼りにはしてるんだけど、それはそれとして、マノンの生き方を大切にして欲しいというか……もし、その、他に生きたい道があるなら――」


 マノンはふっと目元を緩めると、零れた髪を耳に掛けた。


「ありがとうございます。けれどこれは、私の本心なのです。ロクさまのお側に侍り、ロクさまの大切な後宮居場所をお任せいただけること、心から誇らしく、喜ばしく思います」


 顔を上げて、ふわりと目を細める。


「それに、実を言うと、私の夢は、もう叶っているのです」

「そう、なのか?」

「ええ。ロクさまが叶えてくださいました」

「俺が?」


 驚くと、マノンは笑った。


 その笑顔は、いつもの完璧な微笑みではなかった。楽しそうで、嬉しそうで、けれど少しだけ泣き出しそうな――年相応の、少女の笑顔だった。


 すみれ色の双眸が、愛おしげな光を湛えて、俺を見詰める。


「でも、そうですね。もしも我が儘をお許しいただけるなら――お茶を、ご一緒してくださいませんか?」



 ◆ ◆ ◆



 白いテーブルに陽光が降り注ぎ、垣根に咲いた花々がかぐわしく香る。


 向かいに座り、小鳥にせがまれてはクッキーを分け与えてやっているロクを、マノンは愛おしい想いで見詰めた。


 胸の中で、小さく呟く。


(――恋をしたかったのです)


 由緒正しい侯爵家の長女として生まれ、人形のように育てられた。


 父の教えに背くことなく、淑女の手本となり、勇者の傍に侍るのに相応しい才女となるよう教育を受けた。


 生まれながら籠に捕らわれた身に、不満はなかった。自分には、果たすべき役目がある。


 ――ただ、恋をすることだけ、夢見ていた。


 幼い頃、本で読んだお姫さまのように、ただ一人の愛する人に出会い、恋をし、やがて結ばれる夢を。


 大切な人の居場所を守り、無事のご帰還を願い、笑顔でお迎えする。時には共に肩を並べて戦い、同じ道の先を見据え、時々青空の下で、ゆっくりとお茶をする。


 そんな、ささやかな日常が欲しかった。


 けれど自分は、いずれ見知らぬ異世界人に捧げられる身。


 恋など、遠い昔に諦めていたのに。


 紅茶から温かな湯気が立ち上る。白い雲が、ゆっくりと空を往く。そして、目の前にはあなたがいて。


 胸を満たす穏やかなときめきが、今、幼い頃に望んだ未来にいるのだと教えてくれる。


 ――ああ、あなたが、私の前に現れてくれた。


 私の自由と本当の幸福を望んでくれる、優しい人。行き場を失った少女たちを教え、導き、慈しんでくれる人。


 あなたが私に、愛する人の居場所を守る幸せを与えてくれた。ただ人形のように父の言いなりになるばかりだった自分にも、こんなにも勇ましく戦える、勇敢な心があるのだと教えてくれた。


 厳格なレイラーク侯爵家の令嬢ではなく、一人の少女にしてくれた。


 マノン、と、穏やかな声が名前を呼ぶ。


 目を上げると、柔らかなまなざしが、自分を見詰めていた。


「いつもありがとう」


 黒曜石にも似た双眸が、優しい光を湛えている。


 初心な乙女のように、頬に熱がのぼる。


 こちらこそ、なんて、ちゃんと淑女らしく、しとやかに答えられただろうか。


 どきどきと胸が高鳴って、心がふわふわと浮ついて、今にもカップを取り落としてしまいそうだ。


 私の、小さな、けれどかけがえのない、たった一つの夢。


 ああ、恋をしている。


「ロクさま。私、幸せです」


 優しい風が吹き抜ける。


 小鳥が白い翼を広げ、青い空へと飛び立った。







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