第32話 デーモン・パレス



 ◆ ◆ ◆



「……なんだ?」


 城の北東に位置する銀果宮。


 王女に付き従っていたグレンは、微かな違和感を感じ取った。


 大陸樹に祈りを捧げていた王女も、怪訝そうに辺りを見回している。


 耳をそばだてようとした時、兵士が飛び込んできた。


「グレン将軍!」


 顔を真っ青にした兵士は、グレンの前に膝をつき、震える声で報告する。


「ま、魔物が、王宮内に!」

「なんだと!? いったいどういうことだ!」

「それが、まったく詳細が分からず、突然城内に湧いて出たとしか……っ」


 遠く、悲鳴が聞こえる。


 いったいなぜ――いや、今は王女を逃がすのが先だ。


「ディアナ殿下、こちらへ!」


 怯えるディアナを連れて外に出る。


 城の前では、恐慌状態に陥った兵士や使用人、神官たちが逃げ惑っていた。


 グレンは王女を誘導しながら城を仰ぎ――


「な……――」


 城が、黒い靄に覆われていた。


「瘴、気……」


 目に見えるほど濃い瘴気が、割れた窓から噴き出す。


 瘴気に触れた鳥が、翼を持つ魔物へと変貌していく。


 ネズミも蛇も虫も、黒い靄に飲み込まれて黒くおぞましい化け物に姿を変える。


 まるでダンジョン――いや――


魔族の巣デーモン・パレス……!」


 悲鳴と怒号が渦巻く。


 魔術を放とうとした魔術士が、背後から三つ首の犬に押し倒される。


 仲間を助けようとした兵士が、怪鳥の鉤爪に吊り上げられる。


「っ、国王陛下は!」


 鋭く問うと、兵士は「まだ城内に」とうなだれた。


「そんな、お父さま! お父さまぁ!」


 ディアナが泣き崩れる。


 グレンは目の前に広がる惨状を見渡して、ほぞを噛んだ。


 魔物を王都に出すわけにはいかない、一度退却して軍を立て直し、迎え撃つ必要がある。だが、どこで。


 魔物は既に城内の奥深くまで侵入している。そもそもまともな戦力が何人残っているのか。

 頼みの綱の魔術士は、混戦の中で各個撃破されている。もとより魔術士は組織立った連携を得意としない。

 兵士たちは分断されて総崩れ、戦況はすでに潰走の様相を呈していた。


「……――」


 黒い絶望が、ぽつりと胸に落ち――その時。


 蹄の音が近づいてきた。



 ◆ ◆ ◆



 魔術講座の休憩中。


 宮女たちが「ロクさまにお届け物です」と大きな木箱を運んできた。


「何だろう」


 蓋を開ける。リゼたちが歓声を上げた。


「魔導剣!」


 そこには、細身の剣が十振りほど収められていた。


 ロゼスの魔導剣だ。


 手に取ってみる。


 どれも美しいデザインで、何より驚くほど軽い。

 これなら魔力が少ない子たちでも軽々と扱えそうだ。


「ロゼスに感謝しなくちゃな」


 手紙と、何かお礼の品を贈りたい。

 どんな物がいいだろう、サーニャに相談してみよう。


 あれこれ考えていると、


「ロクさま!」


 広場に、マノンの侍女――アンジュが飛び込んできた。


「先ほどから、王宮の様子がおかしく……どうやら、魔物が侵入したようです」

「魔物が!?」


 姫たちの間に動揺が走る。


「それも、勢力がただ事ではありません。瘴気に触れた生物が次々に魔物と化しています」

「それは……」


 青ざめるマノンに、アンジュは頷いた。


「規模といい、瘴気の濃度といい、魔族がいると見て間違いないでしょう」

「なぜ王宮内に魔族が……」


 アンジュが強ばった面持ちで告げる。


「城は負傷者多数、兵はちりぢりになり……壊滅するのは時間の問題かと」

「……――」


 重たい沈黙が辺りを支配する。


 一体なぜ。

 国王や王女、グレン将軍たちは……北征に赴いた片桐は無事なのだろうか。

 魔物はどこまで侵入している?


 城が落ちれば、後宮ここも無事では済まない。

 そればかりではない、魔物たちが王都へ出れば、被害は加速度的に拡大するだろう。


 俺は広場を見渡した。


 誰も彼も、不安げに俺を見つめている。


 あの日、行き場を失い、何の力もない俺を受け入れてくれた少女たち。

 俺を慕い、支え、安らぎと平穏を――心からの安堵を与えてくれた。

 どんな時も笑顔で俺を迎え、ここが帰る場所なのだと教えてくれた。


 箱の中に目を落とす。


 魔導剣――あの温かな手の鍛冶師が魂を込めて打った剣が、日の光を弾いて眩く輝いていた。


 顔を上げる。


 俺を信じ、付き従ってくれた少女たち。

 その魔力回路は、初めて見た時からは比べものにならないほど瑞々しく煌めき、豊かに巡っている。


 武器がある。


 みんなで積み上げてきた時間がある。


 ――俺たちには、戦う術がある。


 リゼに視線を移す。


 リゼは、強い意志を宿したまなざしで応えてくれた。


「みんな」


 顔を上げ、問う。


「俺と一緒に戦ってくれるか」


 守りたい。


 この後宮を、王国を。


 みんなが生きるこの世界を。


 誰の居場所も、奪わせたりはしない。


 リゼたちは迷いなく頷いた。


「喜んで」

「我ら、神姫の魂を継ぐ者。貴方さまの剣となり盾となりましょう」


 俺は紙にペンを走らせると、マノンに手渡した。


「俺は王宮に向かう。このリストをもとに、姫たちをグループ分けして欲しい。避難者の受け入れも並行してくれ。それと――」


 いくつか指示を出して、王宮に馬を飛ばした。


 リゼとティティ、サーニャ、フェリスも付き従う。


 王宮の前では、魔物と兵士たちが交戦していた――いや、一方的に狩られている・・・・・・・・・・と表現した方が近い。


 城から追われた人々が、荒れ狂う魔物たちに為す術もなくなぎ倒されていく。


 混乱の中に、黒い鎧姿を見つけた。


「グレン将軍!」

「! ロクさま!」


 魔物の手を逃れた兵たちを、グレン将軍がまとめていた。

 王女の姿もある。


「無事で良かった。後宮に避難してください。あとは俺たちが何とかします」

「し、しかし」

「銀果宮の避難は済んでいますか」

「は。もう誰もいないかと……」


 俺はティティから魔形代フェイクドールを受け取った。


 魔形代に魔力を込め、銀果宮へ転送・・する。


 負傷した兵士に襲いかかろうとしていた魔物たちが、俺の魔力を求めて、一斉に銀果宮へ殺到した。


「これで、しばらく時間が稼げるはずです」

「い、今のは?」

「俺の魔力を込めた魔形代を、銀果宮に転送しました。あそこなら結界があるから、そう簡単に破られないでしょう。今のうちに後宮へ――」


 その時、王女のディアナが城を見上げて泣き叫んだ。


「お父さま! ああ、お父さまぁ……!」


 城の窓には、異形の影がちらついている。


「国王陛下は」


 鋭く問うと、グレン将軍は痛恨の表情で呻いた。


「まだ中に」

「……!」


 リゼたちが息を呑む。


 俺は馬の手綱を握り直した。


「グレン将軍。王の間への抜け道は」

「ロクさま、まさか」

「俺たちは、国王救出に向かいます。将軍は、避難の誘導をお願いします」

「しかし」

「大丈夫。必ず王を連れて戻ります」

「出来るわけがないでしょう!」


 甲高い悲鳴を上げたのはディアナだった。


「見なさい、あの魔物たちを! 魔術も使えない、スキルもない、ただの無能な人間お前が、助けられるわけないじゃない!」

「殿下!」


 グレン将軍はディアナを押さえると、深い灰色の双眸で俺を見つめ、頭を下げた。


「陛下を、お願いいたします」


 俺が頷いたのを見て、将軍が人々に向かって吠える。


「皆、後宮へ!」


 俺はリゼたちを振り返った。


「みんな、力を貸してくれ」

「お任せください。どこまでもお供します」

「ロクちゃんがいれば、怖いものなんかないからね!」


 俺は「ありがとう」と笑って、剣の感触を確かめた。


 おそらく、城そのものがダンジョンと化している。


 できる限り戦闘を避けて、最短最速で国王を救出する。


 俺たちは馬を駆り、城の裏手へと向かった。

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