第36話 守るべきもの

 俺はアンベルジュを空にかざした。


 柄にはめ込まれた宝玉が、眩い輝きを放っている。


 そうか、変わった剣だと思っていたが、神器だったのか。


「え、じゃあ……」

「勇者、さま……?」


 驚きと希望を孕んだざわめきが、波紋のように広がり――這うような呻きが、それを遮った。


「待、て……」


 片桐だった。


 見る影もなくぼろぼろになった身体を起こし、震える脚で立ち上がる。


 その口から、亡者のような呪詛が紡がれた。


「勇者は、オレだ……オレが、オレだけが、オレこそがこの世界を救う、ただ一人の英雄だ……誰一人として、オレを差し置いて頂点に立つことは許さねぇ……オレのために尽くせ、オレのために死ね……! 誰も、誰もオレの前に立つな……!」


 片桐はひしゃげた声で吠えると、俺に向けて手をかざした。


「『紅蓮炎』!」


 割れるような咆哮が上がり――片桐の体内で、白銀の魔力が暴れ狂った。


「がっ、ああああああ!?」


 崩れるように膝をつく。


「な、なんで……」


 両手を見下ろす片桐に、告げる。


「魔力回路がずたずたになってる。魔術は使えない――使わない方がいい」

「そん、な……」


 片桐の表情が痛ましいほどに歪む。


 その瞳に映るのは、俺の背後に居並ぶ姫たち。

 俺を信じて、共に戦ってくれた仲間たち。


 自分がついに手に入れられなかった全てを前に、片桐は両手を突いた。


「違う、のか……オレは……オレは、最初から、勇者なんかじゃ、なかっ、……」


 胎児のようにうずくまる。


 その喉から、絶望という名の嗚咽が溢れた。


「あ゙ァ……オレは、結局……ここでも、負け犬、なの、か……――」


 その時、涼やかな声が響き渡った。


「素晴らしいですわ、ロクさま」


 王女ディアナが進み出る。


 その顔に浮かぶのは、聖母と見紛うような、柔らかな微笑み。


「此度の戦い、見事でした。あなたこそ真の勇者。これより先は、この聖女――ディアナ・スレアベルが、あなたを支え、愛すると誓います。私こそが、あなたに恵みをもたらす女神。あなたの望むもの全てを授けましょう」


 ディアナは俺の腕に手を絡め――俺はその手をふりほどいた。


 見開かれた瞳から目を逸らす。


「貴女の愛が本物だとして。俺には必要ありません。他の誰かにあげてください。あなたの愛を必要とする、誰かに」

「は――」


 王女は言葉を失い――その顔が醜く引き歪んだ。


「はああ!? 何様のつもりなのよ、無能風情が! あんた、誰に向かって物言ってるか分かってんの!? 父上が死んだ今! この国の女王はあたしなのよ! 誰が英雄かを決めるのは王女であるあたしなの! このあたしがあんたを英雄にしてやるって言ってんのよ! それが気に喰わないっていうなら、今すぐこの国から出て行きなさいよ!」


 白百合の聖女は唾を飛ばして、あらん限りの罵声を叩き付け――


 その時、重々しい声がした。


「ディアナよ」

「!?」


 ディアナが振り返る。


 その視線の先。


 兵士たちに支えられて、国王が立っていた。


「父上!? なぜ……!」

「すんでのところで、その者たちに助けられた」

「ち、違うのです、今のは……!」


 顔を引き攣らせて必死に取り繕うディアナを、しかし国王は失望の目で見つめた。


「思えば、お前のことは甘やかしてばかりだったな。望むものを与え、耳触りの良い言葉を浴びせ、阿るばかりの側近や家庭教師しか傍にやらなかった。わしが愚かであった」


 皺深い目が、二人をひたと見据える。


「カタギリリュウキ、およびディアナ・スレアベル。そなたらを永久にトルキアから追放する。二度とこのトルキアの地を踏むことは許さぬ」

「あ、あ……そん、な……そんな、ぁ……」


 王女は放心し、その場に崩れ落ちた。


 俺は剣を収めると、姫たちの元へ歩き出し――


 その時、駆け寄る影があった。


「ロクさま、すぐに手当を」


 リゼだ。


 俺の腕の傷を見て、今にも泣き出しそうにしている。


「ああ、こんな……痛いですよね、ごめんなさい、私、回復魔術もお勉強していれば良かった。他にお怪我はございませんか? すぐに消毒を……」


 その指先は、微かに震えていた。


 それでもリゼは、暁色の双眸に涙を浮かべて、一心に俺を見つめる。


 言い知れない衝動がこみ上げて、俺はその身体をきつく抱きしめた。


「ひゃっ」


 腕に閉じ込めた身体は、あまりに細く、柔らかい。


 俺は噛みしめるように囁いた。


「大丈夫だ」

「!」


 その身体に刻まれた刻印アザごと、きつく抱きしめる。


 まだ、カリオドスの哄笑が耳に残っている。

 開闢の花嫁。

 その言葉が何を意味するのかは分からない。

 だが、そう遠くない未来、このか細く無垢な身に魔族の魔手が迫るだろうと、そんな予感があった。


 ――思えば、出会った時からそうだった。

 危ういほどに優しく、親愛深く、誰にも言えない孤独と脆さを抱え、それでも俺に寄り添い、どんな時も共にあってくれた。


 恐ろしくないわけがない。

 不安じゃないわけがない。

 それでも、自分よりものことを真っ先に心配してしまう、この優しい少女を、誰にも傷つけさせたくない。


「何があっても守る」


 ――勇者として、この後宮の主として。


 必ず君を守り抜く。


「……はい」


 リゼが目を閉じて、俺に頬を寄せる。


 そっと背中に添えられた手は小さく、柔らかく、温かかった。


「ロクさまぁ!」


 姫たちが、わっと俺を囲んだ。


「みんな、お疲れさま。よく戦ってくれた」


 そう笑いかけると、姫たちは嬉しそうに顔を輝かせた。


「いいえ! 私たち、まだまだ戦えます!」

「流れ込んでくるロクさまの魔力が、温かくて、安心して、全然怖くありませんでしたっ」

「これからも、お側に居させてください!」


 少し離れたところでは、フェリスたちが微笑みを浮かべていた。


「少しは、お役に立てたかしら」

「やっぱロクちゃん、世界一かっこいいよ」

「さすが、わたしのつがい」


 その笑顔に温かいものがこみ上げて、笑う。


「みんなのおかげだよ。ありがとう」


 背後から重厚な足音がして、振り返る。


 国王が立っていた。


 俺が向き直ると、国王は厳粛な面持ちで頭を下げた。


「カヅノロク。そなたに働いた数々の無礼、本当にすまなかった。よくぞこの国を守ってくれた。そなたを正式な勇者と認めよう」


 額に祝福の印を受ける。


 グレン将軍が膝を付き、それを合図に、兵士たちも一斉に頭を垂れた。


 国王が口を開く。


「王国を守ってくれた真の勇者に、褒美を授けよう。何か望むものはあるか」


 えっ、何だろう。

 望むもの、望むもの、ええと……


 俺は汚れた頬を拭った。


「とりあえず、熱いお風呂に入りたいです。あとは、厨房番キッチンメイドのみんなが作った壺焼きパイが食べたいかな」


 国王が目を丸くし、マノンが「まあ」と笑った。


「本当に、欲のない方ですね」


 ころころと笑うマノンの横で、宮女たちが腕まくりをする。


「お任せください、とびっきりの壺焼きパイを作りましょう!」

「湯殿の準備も整えますね! 本日はバラ風呂などいかがですか!」

「そのお怪我だと、湯浴みされるの大変ですよね~! みんなでお背中流します~!」

「だ、大丈夫、一人で入れるから」


 後宮の空に、明るい笑い声が咲く。


「ロクさま」


 リゼが、胸に手を当てて膝を折った。


 柔らかな髪が風になびく。


「私たちは、ロク勇者さまにお仕えする神姫。これからも、ロクさまと共に歩む剣となり、背中を守る盾となり、傷を癒やす褥となりましょう」


 その後ろで、後宮の姫たちが笑顔を浮かべている。


 無能と追いやられ、居場所を失って彷徨っていた俺を、優しく温かく受け入れてくれた少女たち。


 胸に熱いものがこみ上げるのを感じながら、白銀の魔力が通う右手を見下ろす。


 俺に授けられた唯一の力、『魔力錬成』。役立たずと言われたこの力が、みんなの居場所を――この笑顔を守ってくれた。


 ――望んだものは、もうここにある。


 ぐっと拳を握る。


「ロク先生!」


 リゼの鈴のような声に続いて、姫たちが合唱する。


「これからも、どうぞよろしくお願いいたします!」


 色とりどりに咲く花のような笑顔を前に、俺はふっと目を細めた。


 この世界に来て三ヶ月。


 数え切れないくらい、色々な事があったけれど。



 どうやら俺の後宮ライフは、まだ続きそうだ。






――――――――――――――――――――




【あとがき】




お読みいただきましてありがとうございます。

これにて第一部完となります。


評価やブックマーク等ありがとうございます。

とても嬉しく、更新の励みとなっております。


まだいくつかの謎は残しておりますが、第二部で触れていけたらと思っておりますので、引き続き応援していただけますと幸いです。


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