第58話 雷牙一閃

 耳元で風が唸りを上げ、巨大な球体が近付いてくる。


 絡まり合うようにして張り付いている飛翔型の魔物たちを見ながら、ザナドゥが吠えた。


『さあ、どうする勇者よ!』

「あの周囲を飛んでくれ! 風圧で魔物の鎧を引き剥がす!」

『良かろう、丸裸にしてくれるわ!』


 黄金の翼が風を切る。


 眼下の球体を中心に、ザナドゥが円を描いて飛行する。


 何体かが煩わしそうに飛び立つが、構わず舞い続けた。


 次第に速く、風よりもなお速く。


 烈風が渦を巻き、表層の魔物たちが宙に浮き始めた。


『ギギ、ギギギギ……!』


 凄まじい旋風に巻き上げられて、主を守っている鎧が引き剥がされていく。


『はははは、これは愉快! どれ、もう少しばかり本気を出してやろうか!』

「ザナドゥ、やりすぎると港に被害が及ぶ!」

『ぬう、これだから人間の戦はせせこましくて好かん!』


 竜巻が吹き荒れ、加速する。


 やがて球体から喚声が湧き上がった。


 引き剥がされた魔物たちが怒りを露わに、風に乗って向かってくる。


「ザナドゥ、上へ!」

『ドラゴン使いが荒いな!』


 ザナドゥがぐぅっと首をもたげ、一気に上空へと駆け上がった。


『ギギギ、ギギギギギギ!』


 夥しい翼の群れが、雲霞の如く追ってくる。


「いいぞ、そのまま海上まで引きつけてくれ!」


 金の翼が風を切って、海上へと躍り出た。


 振り返る。


 俺たちを追って、数多の魔物たちが長い尾のように連なっていた。


 鎧を剥がれて、巨大な怪物が姿を現す。


『あれは、海獣ケートスか……!』


 ザナドゥの声が緊迫を帯びる。


 現れたそれは、まさに異容だった。


 犬のような頭に、鯨の胴体。商船さえもひと呑みに出来そうな巨体、そのぬめぬめと光る皮膚の下で、魔力回路が漆黒の輝きを帯びている。


 やはり様子がおかしい。


 違和感の正体を確かめようと、俺は身を乗り出し――視界の隅で光が瞬いた。


 はっと顔を上げる。


 遠く、丘の上。


 ミゲル率いる左翼から、魔術の球が一斉に放たれた。


「! 待て!」


 声は届かない。


 無数の光条がケートスに迫る。


 直撃――いや――


 ケートスは巨大な口を開くと、襲い来る魔術の光、その全てを丸呑みにした。


「……!」


 巨大な魔力回路が不穏にざわめく。


 鋭い牙の生えた口が、再びゆっくりと開かれる。まるで地獄の釜の蓋のように。


 冷たい予感が背中を貫いた。


「逃げろ!」


 叫ぶよりも早く。


 ケートスの口から放たれた魔術の球が、左翼へと殺到した。


 着弾と同時に轟音が爆ぜ、凄まじい砂煙が丘を覆う。


「……!」


 魔術を喰い・・・・・・そのまま返した・・・・・・・


(魔石を大量に喰ったことで、魔術を取り込む機構を備えたのか……!?)


 混乱のさなか、砂煙の向こうで再び魔術の光が灯った。


 指揮がまともに機能していない。攻撃を重ねようとしている。


「だめだ、やめろ!」


 ケートスは首を擡げて待ち構えている。反撃を喰らえば、今度こそ左翼は壊滅する。魔術が届くより早く、ケートスを撃破するしかない。


 俺は剣の柄を握り――ぐっと歯を食い縛る。


 光刃を放つ代わりに、地上に向けて声の限りに叫んだ。


「フェリス!」





 ◆ ◆ ◆





「本当に、行ってしまわれた……たった一人で……」


 兵士の誰かが呟く。


 フェリスは金色の籠手に包まれた手で胸を押さえながら、遠ざかる勇姿を見詰めていた。


 竜に乗った勇者がたった一人、雲霞と化した魔物たちを海上へと引き付ける。


 まるで神話の創成に立ち会っているようだった。


 やがて黒い鎧を剥がれ、港に巨大な怪物が姿を現した。


海獣ケートス……!」

「わあ、大物だねぇ!」


 圧倒的な異容にリゼが声を引きつらせ、ティティが緊張を紛らわせるように舌なめずりする。


 フェリスは魔導剣を引き抜いた。


 竦みそうになる足を叱咤して、兵士たちに叫ぶ。


「あいつを仕留める! 私について来て!」


 兵士たちが恐怖を振り払い、雄叫びを上げた。


 剣を携え、怪物目がけて丘を駆け下りる。


 こちらに気付いた数体の魔物が、身を翻して殺到した。


「フェリスさまには指一本触れさせません!」


 襲い来る鋭い爪をリゼの盾が弾き飛ばし、漆黒の翼をティティの弓が撃ち落とす。


 サーニャが跳躍すると同時に短剣を閃かせ、急襲してきた魔物の喉を掻き切った。


「神姫さまに続け!」

「道を切り開け! フェリスさまを援護しろ!」


 兵士たちの咆哮が聞こえる。


 フェリスは行く手を遮る魔物を両断しながら、自分に全てを託して単騎空を駆けた勇者を想った。


 私はあの人のように、勇敢に振る舞えているだろうか。頼もしい背中を見せられているだろうか。


 リゼたちが切り開いた道の先、ケートスの巨体が近付き――


 その時。


 灰色の空を、魔術の光が横切った。


 左翼から放たれた何十という光の矢がケートスへ殺到し――ケートスはそれら全てをひと呑みにしたかと思うと、口から放った。


「……!」


 遥か丘の上、轟音が炸裂した。


 吹き付ける衝撃波を、リゼの盾が防ぐ。


「っ、魔術を……!」


 丘に立ちこめる爆煙の向こう、魔術の光が灯る。


 同じ攻撃を繰り返そうとしている。


 反撃を受ければ、全滅は免れない。


 フェリスは考えるよりも早く駆け出していた。


「フェリスさま!」


 魔物たちの猛攻をかいくぐり、大地を蹴る。


 愛する人から授かった剣を、ただひとつの拠所にして。


 風の唸りが響く中、幼い頃から呪いのように刷り込まれてきた言葉が耳に蘇る。


 ――魔術士にあらずば人にあらず。


 魔術士になるしか、生きる道はないと思っていた。そして、魔術を使えない自分は価値がないとも。


 けれど、身を蝕む呪縛を、あの人が解いてくれた。


 魔力を生かす術を与えてくれた、世界の広さを教えてくれた、自分は生きるに値する命なのだと信じさせてくれた。


 地を駆ける。


 海を渡る風よりも速く、雲を裂く迅雷よりもなお疾くはやく


 自分を縛り付けていた鎖を置き去りにして。


 視界いっぱいに、ケートスの巨躯が迫る。


「フェリス!」


 遠く、あの人の声が聞こえる。


 剣のつかを強く握る。


 魔術士としての名声なんてどうでもいい。


 血筋に縛られた矜恃など、いつでも擲ってやる。


 今はただ、あの人の信頼に応えたい。


 胸を張って、あなたの隣に立てる自分でありたい。


 ケートスの巨大な眼球がぎょろりと動いた。


 巨大な威容が、フェリスを迎え撃つべくゆっくりと向き直る。


「う、ぁあ、ああああああああああああああああッ!」


 ひび割れた咆哮が迸る。


 胸にこみ上げる熱い想いに呼応するように、籠手神器が熱を帯びた。


 眩い輝きが溢れ出す。


 頭の中に声が響く。細く柔らかい、春の雨の如き声が。


【氷雪に耐え、冬を越え、幾千幾万の芽吹きを呼び覚ます、春の嵐。我が名は春雷。大いなる轟きを以て、人理を拓く者】


 魔力が巡る。


 力が溢れる。


 胸を衝き上げる衝動のままに、吠える。


「神器解放! 『春雷の籠手シャンディエ』!」


 全身に巡る魔力が膨れ上がった。


 刀身が金色こんじきの雷を纏う。


「聞け、天空の息吹! 『雷牙一閃ヴァジュラ・エインガー』!」


 魔導剣が眩く閃き、天を貫く轟音が鳴り響いた。





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