第59話 鬨の声(イザベラ視点あり)

◆ ◆ ◆



 光がはしった。


 天地を繋ぐ、美しくも鮮烈な、黄金の稲妻。


 暗雲を切り裂く、一条の光。


 空をつんざく轟音に、肌が震える。


 やがて、閃光が収まった後。


 港に、巨大な犬の首と鯨の胴体が転がっていた。


 すっぱりと分かたれた断面が崩れ始め、やがて黒い霞を上げながら海風に溶け消える。


 辺りを覆っていた瘴気が晴れていく。


「フェリス、よくやった」


 後は俺の仕事だ。


 遥か真下の海面、主を失って右往左往している魔物たちを見下ろす。


「ザナドゥ、回収頼む」

『何を――』


 ザナドゥの返事を待たず、俺は魔物たちが渦巻く宙へ身を躍らせた。


 天地が逆転し、耳元で風が唸る。


 腰の柄に手を滑らせて、笑う。


「さあ出番だ、アンベルジュ。ド派手に暴れてやろうぜ」


 祝福の剣アンベルジュが眩く輝き、ぐんぐん魔力を吸い上げていく。


 俺は白銀に輝く刀身を、魔物が密集している真下に向かって一気に振り抜いた。


 放たれた光が刃となって、魔物たちを切り裂く。


『ギアアアアアアアアアアアアア!』


 身を捩って二撃目。掬い上げるように三撃目。群れが次々に消し飛び、余波を浴びた海面から、水の柱が立ち上る。


 ブラック・ホークの頭をブーストを掛けた蹴りで打ち砕き、その背を蹴って跳躍。頭上に迫っていたハーピーをまとめて貫き、返す刀で背後のシャドークロウを撫で切りにする。


 紙切れのように切り裂かれて、魔物だったものが絶命していく。


 群れをあらかた片付けた頃には、すぐそこに海が迫っていた。


 目の前が深い青に染まり――


 ごうっと黄金の翼が視界を横切ったかと思うと、俺はザナドゥの背に掬い上げられていた。


「ありがとう、助かった!」

『無茶をするな、肝が冷えたぞ!』


 ザナドゥが港へと翼を返しながら喉を鳴らす。


『まさか、脆い人の身でありながら、あの数をたった一人で屠るとはな。数百年ぶりに胸が震えたわ』


 地上で勇ましい雄叫びが沸き立った。


 港に残った魔物を、ティティの放った矢が撃ち抜き、サーニャの短剣が切り裂く。


「神姫さまに続け、続けぇ!」

「一匹残らず仕留めろ! フェリスさまをお守りするんだ!」


 フェリスの姿に感化された兵士たちが、声を励ます。


 その中心で、フェリスはリゼに肩を支えられながら、果敢に采配を振っていた。


「第二小隊、倉庫へ回って! 第一小隊の援護を! 怪我人が出たらすぐに退避できるよう、必ず三人以上で相対して!」


 最後の一体が息絶えるのと、俺が降り立つのは同時だった。


「フェリス!」

「ロクさま……!」


 倒れ込むように駆け寄ってきた身体を抱き留める。


「ロクさま、私……私っ……!」

「ありがとう。よくやってくれた」


 噛みしめるように告げると、フェリスは細い肩を震わせて俺を見上げ、涙を一粒こぼした。


「はい……っ」


 青い海に、兵士たちの鬨の声が響き渡った。





 ◆ ◆ ◆





 海獣ケートスが撃破される、少し前。


「敗走、ですってェ……!?」


 イザベラの手の中で、扇がみしみしと悲鳴を上げる。


 その前では、ミゲルが惨めな犬のように縮こまっていた。


 ミゲルはケートスに魔術が通用しないと見るや、部下たちを見捨てて『飛翔ソーリング』の魔術で一目散に逃げ帰ってきたのだ。


 ケートスの反撃を受け、指揮官を失った左翼からは、怒号と悲鳴が届いてくる。


 イザベラはわなわなと唇を震わせた。


「何たる無様を! よりによって支援者スポンサーの目の前で……ッ!」


 愛する我が子ミゲルの記念すべきデビュー戦。目障りな継子フェリスを排すると同時に、ミゲルの有能さをお披露目するはずだった。そのためにわざわざ商人たちを招集したのだ。


 それが、戦闘開始直後から大幅に狂った。


 ドラゴンが現れた時点で、商人たちの目はフェリス率いる右翼に釘付けになった。


 歓声を攫うのは、ドラゴンに乗って魔物を引き付ける勇者や、果敢に先陣を切る神姫たち、そして兵を率いて恐れ気なく丘を駆け下りるフェリスの姿。


 そして追い打ちを掛けるように、この失態。


「情けない、それでもアルシェール家の嫡男ですか!」

「で、でもママぁ、魔術が効かなくてぇぇ……!」


 べそべそと醜い顔で鼻水を垂らすミゲルに、うるさい! と怒鳴り散らす。


「こんな、こんなはずでは……ッ!」


 唇をぶるぶると震わせながら爪を噛む。


「一体何がどうなっているの! 魔術が通用しないなんて、そんな、そんなことがあってたまるものですかッ……!」


 魔術こそが至高にして最強。いかに強大な魔物といえど、圧倒的な力でねじ伏せてしまえば良い。そのはずだった。


 泣きべそを掻くばかりのミゲルを叱責しながらも、一体どうすれば、早く次の手を、そんな思考すら回らない。ただただ「そんなはずはない、我がアルシェール家は魔術の名門、敗北は許されない、負けるはずがない……!」という無意味な現実逃避ばかりがぐるぐると加速する。


 母子が無駄な時間を浪費している間に、混乱が渦巻く左翼で、てんでばらばらに魔術の光が灯り――


 その時、港の方角で金の閃光が走った。


 鼓膜を破るような轟音が響き渡る。


「な、なんだ、今のは……」

「瘴気が、晴れていく……」


 驚く兵士たちに続いて、イザベラも港へ目を遣った。


 先刻まで黒く淀んでいた空気は澄み、港にはケートスの巨大な骸が転がっていた。


「い、一体、何が……」


 目を瞠るイザベラに、駆けつけた兵士が報告する。


「イザベラさま! フェリスさまが、ダンジョンの主を討ち取られました!」

「フェリスが!? そ、そんな、まさか……!」


 魔術も使えない出来損ないが、一体どうやって。


 混乱が悪態となって口を突く前に、戦況を見守っていた商人たちがどやどやと押し寄せた。


「辺境伯夫人! 見ましたか、フェリス嬢の勇姿を!」

「まるで女神のような戦いぶり! なぜあんな才能のあるご令嬢を手放されたのですか!」

「ぁ、ぁ、そ、それ、は……」


 うろたえるイザベラをよそに、商人たちは興奮した様子でまくしたてる。


「それに、ドラゴンに乗った勇者さまの勇姿! あの御方こそ救世主の器に違いない!」

「フェリスさまのご友人のご活躍も目覚ましかった、さすがは神姫さま!」

「フェリスさまにおかれては采配も迅速にして的確、兵士たちの士気も高く、将来が楽しみですな!」


 年嵩の商人が、ミゲルに冷めた目を注ぐ。


「それに比べて、ミゲルさまは……」


 失望の視線に晒されたミゲルは、「ヒッ」と竦み上がった。


 容赦なく吹き付ける冷たい圧に後ずさる。


「あ、あ、ち、違うのです、皆さま……こ、これは、何かの間違いで……」

「イザベラさま」


 ゆったりと進み出たのは、レーグ商会の会長、ヴォルグであった。


 こぎれいに整えた口ひげを撫でながら、小さな目を眇める。


「部下を捨てて一目散に逃げるミゲルさまのあのお姿、とても上に立つ者の器とは思えません。こんなことを申し上げるのは心苦しいですが、もしミゲルさまが家督を継がれるのでしたら、支援を打ち切らせていただきたい」

「な……!?」

「その際には、辺境伯邸を担保に、イザベラさま個人に内密に融資していた件についても、ザカリー辺境伯のお耳に入れなければなりますまい」

「お、お待ちください! そ、それは、それだけは……っ!」


 指輪にまみれた手で縋ろうとするイザベラを、ヴォルグは底の見えない笑みで拒絶した。


「ならば、身の振り方を考え直されるがよろしい。魔術に長けているだけが、優れた貴族のあり方ではございますまい」

「あ、あ……」


 みっともなく開いた口から枯れた声がまろび出る。


「さて、あの戦力差を乗り越え、見事戦果を上げられたフェリスさまに、言うべきことがあるはず。共に参りましょう。くれぐれも、逃げたりなさいませぬよう」


 侮蔑を湛えた商人たちを前に、イザベラは頭を掻きむしった。


「あ、ああ、あああぁ……!」


 絞め殺される鶏にも似た惨めな絶叫が、丘の上に虚しくこだました。




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書籍版『追放魔術教官の後宮ハーレム生活』

1巻 【4/20】 発売


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