第7話 魔力錬成の真価

 黒い火花は、次第に勢いを増し――やがて、リゼがうなだれた。


「……やっぱり、できません」


 その魔術回路は、どろりと黒く濁っている。


 リゼは今にも泣き出しそうな顔をしていて――俺はその手を取った。


「ちょっとごめん」

「あ……」


 ほっそりとした指先はこわばり、冷え切っていた。ひどく怯えている。


「リゼ、ゆっくり呼吸して」

「…………」


 リゼは言われたとおりに、深く息を吸った。


「いいぞ。そのまま力を抜いて。心の中で、『大丈夫』って唱えるんだ」


 子どもをあやすようにいいながら、握った指先をさする。

 昨夜触れた時に感じた、優しいぬくもりを思い出しながら。


 凍えていた手に、ゆっくりと体温が巡る。


 やがて、指先にぽうっと光が灯った。

 昨夜見たのと同じ、淡く柔らかい輝き。優しい炎を彷彿とさせる、清らかな赤。


 たぶんこれが、リゼの本来の魔力なんじゃないだろうか。


 指先で生まれた光が、回路を通ってリゼの全身に巡っていく。

 何かを感じたのだろうか、リゼが息を呑んだ。


「……――」

「きっと、今なら大丈夫だ」


 そう告げて手を離すと、リゼが小さくうなずいた。


 再び手をかざす。


 バラ色の唇が、震える声で呟いた。


「……『炎魔球』」


 リゼの指先で、ぱちぱちと小さな火花が遊び――炎の球が、ふわりと空中に現れた。


「わあ、きれい!」


 ティティが歓声をあげる。

 アルルが嬉しそうにきゅうきゅうと鳴きながら、リゼの肩に駆け上った。


「あ……」


 炎は溶けたガラスのように透き通りながら、とろとろと燃えている。

 リゼの白い頬を、優しい赤が温かく照らす。


「私の、魔術……」

「きれいだな」


 宝石のような輝きに見とれてしまう。

 ああ、何かに似てると思ったら。


「リゼの瞳みたいだ」

「え?」


 リゼは深く澄んだ双眸を見開いて、俺を見つめ――その瞳に、涙の膜が張った。

 驚く暇もなく、柔らかな身体が縋るように俺の胸に飛び込んでくる。


「! り、リゼ……?」


 慌てて名を呼ぶが、応えるのはわななく吐息だけだった。

 細い肩が震えている。

 どうやら泣いているようだ。


「!? ご、ごめん!?」


 俺変なこと言っちゃった!?


 震える背中をさすると、リゼは笑いながら涙を拭った。


「ちが……違うのです……ごめんなさい、嬉しくて……。ずっと……あの日・・・からずっと、諦めてしまっていたんです……もう、一生、使えないものだと、思って……」


 そう涙声で噛みしめるように呟くと、リゼは俺の手を握った。

 涙に濡れた瞳が俺を見つめる。


「ロクさま。ロクさまは、私が待ち焦がれていたお方に他なりません。誰がなんといおうと、ロクさまは勇者さまです。私の、ただひとりの勇者さまです」

「リゼ……」


 手放しで寄せられる信頼に、じわりと胸が温かくなる。


 やがて、炎がきらきらと火の粉を散らしながら消えた。


 マノンはじっと考え込んでいたが、おもむろに口を開いた。


「ロクさま。そのお力は、もしかすると――」


 その時、ノックの音が響いた。


「マノンさま」


 現れたのは、メイド服を着た少女だった。

 マノンの侍女だろうか。いかにも仕事ができそうなクールな佇まいだ。


「ロクさまのことが、後宮内で噂になっているようです。皆さまになんとお伝えしましょう」


 俺はリゼと顔を見合わせた。そりゃあ、後宮に男がいたらざわつくよな。


 マノンがいたずらっぽく微笑む。


「そうね。まだ内密にしておこうと思ったのだけれど……そうはいかないようね?」

「はい。すでに噂を聞きつけた侍女たちが押し寄せています」


 侍女が扉を開くと、メイド姿の女の子たちがわっ! となだれ込んできた。


「あっ、やっぱり男の人よ!」

「ゆ、勇者さまなのですかっ?」

「マノンさま! 王宮では、二日後に歓迎パーティーが執り行われると聞きました!」

「勇者さまが召喚されたのなら、なぜ後宮にお達しがないのでしょうかっ?」


 どうやら大事になってしまった。

 勇者の資格がない男なんて、追い出されても文句は言えない。やはり俺には、ここにいる資格は――


 半ば覚悟を決めた時、リゼが立ち上がり、叫んだ。


「こ、このお方は、魔術の特別講師です!」

「!?」


 魔術講師!?


 驚愕の視線の中で、リゼは力説する。


「勇者さまの妻ともなるご令嬢ならば、魔術のひとつやふたつ使えて当然! 神姫として恥ずかしくない教養を身につけるため、この方には、みなさまに魔術を教えていただきます!」


 俺は慌てて視線を走らせたが、頼みの綱のマノンは「あらあら」と微笑んでいる。


 小声でリゼを押しとどめる。


「り、リゼ! ちょっと待っ……!」

「ロクさまなら大丈夫です!」

「で、でも俺は、魔術は使えないんだ。ただ魔力が視られるってだけで……」


 言葉半ばに、柔らかな手が、俺の手を包んだ。


「ロクさまのそのお力は、すごいのです! きっと魔術の歴史が変わります、きっと沢山の人が救われます。お願いです、ロクさまにしかできないことなのです!」


 宝石のように眩い瞳が、俺を見つめ――リゼはハッ! と手を離した。


「す、すみません、はしたないことを……っ」

「……――」


 俺は、優しいぬくもりが残る手を見下ろした。


 自分が、無意識のうちに諦めようとしていた・・・・・・・・・ことに気付く。

 追放されることに慣れすぎて、諦め癖がついてしまっていた。

 たらい回しにされ続けた人生、こんな純粋に求められたのは初めてで。


「…………」


 何の力もない手に、白銀の魔力が通う。


 魔術を使えない、けど魔力を視られる俺が……俺だけができること――


「うまくやれるか分からないけど……できるかぎり、やってみるよ」


 そう笑うと、リゼは花のような笑顔を咲かせた。


「はい! リーズロッテ・ベイフォルン、全力でサポートさせていただきます!」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る