第1話 異世界転生
引きこもって五日目。食料が尽きた。
くたびれたスニーカーをつっかけて、六畳一間のアパートを出る。白い陽光に視界が眩んだ。
少し風が強い。久々の外気に首をすくめながら歩く。
角を曲がり、工事現場の前を通りかかる。半年ほど前から工事をしていたが、ずいぶん形が見えてきた。なんでも高級マンションが建つらしい。俺には一生縁のない話だ。
(高級マンションなんて住めなくていいから、せめて……――)
亀の歩みを、サラリーマンが追い越していく。大学生だろうか、大声で笑いながら小突きあっている集団とすれ違った。
と。
「ん」
立ち止まる。歩道に、細長いものが落ちていた。万年筆だ。
拾ってみると、かなり年季は入っているが、汚れてはいない。落としたばかりらしい。
あたりを見回す。
先ほどすれ違った大学生が一人、立ち止まって胸ポケットを探っていた。
「あの――」
声を掛けようと踏み出す。
その時。
はるか頭上で、ギチギチと何かが軋む音がした。
誰かが「あっ」と声をあげる。
見上げる暇もなく。
頭蓋骨の割れるような轟音と共に、意識が黒く弾け飛んだ。
◆ ◆ ◆
「勇者よ」
暗く沈んだ意識に、鈴のような声が潜り込む。
「勇者よ。よくぞ我が喚び声に応え、はせ参じてくださいました」
まぶたを開く。
そこは、神殿の中庭のようだった。
石造りの壁に囲まれた空間。その中央に、夜空を覆うようにして白い木がそびえている。月明かりに照らされた枝は銀色に輝き、葉がそよぐたびにしゃらしゃらと涼しげな音が降り注ぐ。
俺は、その不思議な木の根にもたれるようにして座っていた。
「ここは……?」
正面には、きれいな女の人が立っている。杖を手にし、白い衣をまとって、光の天女みたいだ。よく見れば幼い。十五、六といったところか。
壁際には、鎧に身を包んだ軍人っぽい人や、長いローブ? をまとった人たちが居並んでいた。みんな緊張と興奮が入り交じった面持ちでこちらを見ている。
と、俺の隣で声が上がった。
「は? え? なんだよ、ここ」
見ると、二十歳前後の青年が、俺と同じく、あっけに取られたように座り込んでいた。目つきは少しきついが、さわやかな顔立ちをしている。髪を明るく染め、カジュアルなジャケットを羽織っていて、今時の大学生といった印象だ。
俺たちを取り囲んだ人たちが、感極まったように声を上げた。
「おお、成功ですな!」
「しかも二人同時にとは! これは大陸有史以来の快挙ですぞ」
「さすが、白百合の聖女さま」
一段高くなっているところにいる初老の男が、鷹揚に口を開いた。
「ここに、勇者召喚は成された。そなたを誇りに思うぞ、我が娘ディアナよ」
ごてごてと装飾の施された椅子に座り、灰色のひげを蓄えている。すごい貫禄だ。
男の言葉を受けて、目の前の少女がふわりと微笑んだ。ちょっとお目に掛かったことのないレベルの美女だ。隣の青年も見とれている。
「カヅノ・ロクさま」
「あ、は、はい」
美女に名を呼ばれて、背筋が伸びる。
少女は小さく頷いて、隣に目を移した。
「カタギリ・リュウキさま」
「なんだよ」
青年は『カタギリリュウキ』というらしい。名前までかっこいいな。
白い衣をまとった少女は、たおやかに頭を下げる。
「突然のご無礼をお許しください。かの御方は、偉大なるトルキア王国の国王、ルディウス・スレアベル陛下。そして私はその娘にして白百合の聖女、ディアナでございます」
聞いたことのない国名だ。よく分からないが、この女の子は王女さまってことか。
「あなた方は、この大陸の平和を守るために召喚されました」
「は、なんだよ、これ。ドッキリ? ゲームのプロモーション? カメラどこにあんの?」
カタギリがあたりを見回すが、王女は首を振る。
「ここは、あなた方がいた世界とは別の世界。そして紛れもない現実です。我々は千年の昔より、魔族と戦いを繰り広げてきました。しかしこれ以上瘴気による浸食が進めば、人の営みは滅びに向かうばかり。あなたがたには、強大なる魔を打ち払い、人々の平和を取り戻していただきたいのです」
王女が目配せすると、兵士らしき人たちが、重そうな箱をいくつも持ってきた。中には剣や斧、弓といった武器が、大切そうに保管されている。
「これらは神器。神の力を授かりし武器です。位の高い魔族には、通常の武器は通じず、これらの神器をもってしか打ち倒すことはできません。そして神器を使いこなすことができるのは、異世界より来たりし勇者さまのみ。どうか研鑽を積み、神器を手中におさめ、魔族を――ひいては魔王を倒してくださいませ」
別の世界? 魔族? 神器? 魔王?
理解が追いつかない。
カタギリはわなわなと震えていたが、火が噴くように激昂した。
「なにわけのわかんねぇこと抜かしてやがる! いいから元の世界に戻せ! 今すぐ!」
「残念ですが、前世でのあなた方の御身は、既に残ってはおりません」
「え?」
王女が神官っぽい人に合図をして、
宝珠に見覚えのある景色が浮かび上がった。
「あれは……」
映し出されたのは、マンションの工事現場の前。歩道を歩く俺と、反対側から来る大学生集団の姿がある。最後尾にいるのはカタギリだ。
俺とカタギリがすれ違う。
俺がかがみ込んで万年筆を拾い、振り返った。
そこに、何の前触れもなく鉄骨が落ちてきて――
「……――」
映像がかき消える。
王女は痛ましそうに柳眉を寄せた。
「神のお導きにより、亡くなる寸前で召喚することができました。元の世界にお戻しすることも不可能ではないですが、そのまま圧死するだけかと」
「…………」
言葉が出ない。カタギリも声を失っている。
水を打ったような沈黙の中、国王が口を開いた。
「突然のことで驚いているとは思う。不安もあるだろう。だが、心配は無用だ。魔王討伐を滞りなく遂行してもらうため、我が国ではさまざまな準備を整えておる。パーティーに加える仲間は、超一流の冒険者から選りすぐるし、対魔族に特化した教育、訓練を受けることも可能だ。支援は一切惜しまぬし、魔王を倒した暁には、一生かかっても使い切れぬ富と栄誉を約束しよう」
福利厚生がすごい。まあそれはそうか、世界を掛けた一大プロジェクトなのだから。
考えようによっては、ボーナストラックのようなものか? 元の世界にいれば、あのまま無惨に死んでいただけだ。それが命を拾ってもらい、数々のバックアップと特別待遇が用意され、うまくすれば世界を救った英雄として何不自由なく生きていける。
片桐も、じっと思案している。
あと一押しとばかりに、王女が口を開く。
「さらに王宮内には、勇者様専属の後宮もございます」
片桐が「こうきゅう?」と眉をひそめる。
「分かりやすく言うと、ハーレムですね。国中から集まった美女たちが、勇者さまをおもてなしいたします」
「なんだそれ、すげえな!?」
「ええ、ただ――」
「ディアナ。それはあとでも良かろう」
「そうですわね、お父様」
なんだろう。国王が遮ったのがちょっと気になるが……後宮か、すごいな。勇者のためにそんなものまで用意しているとは。
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