第43話 服従の鎖

 俺たちは二手に分かれて聞き込みを開始した。


 夕方になって、広場に合流する。


「皆さま、同じことをおっしゃっていました。宿に泊まった子どもが、夜の内に忽然と姿を消すのだそうです」

「こっちも同じよ。被害は複数の宿に跨がっているそうだわ」


 宿の部屋は、景観を重視するため、ほとんどが中央の温泉に面している。


 温泉は二十四時間営業しているから、窓から忍び込もうとすればどうあっても人目に付くし、フロントを通れば従業員に見つかる。


 一体どうやって、誰にも気付かれることなく子どもを連れ出しているのか――


「……ん?」


 俺はふと、自分たちが泊まっている宿の外観を見上げた。


「……この宿……」

「ロクさま?」


 部屋に入り、床から天井、壁までくまなく調べる。


「……ん?」


 暖炉の横、妙に精巧なライオンのレリーフがあった。


 軽く押し込んでみると、何の変哲もなかった壁が開き、上階へ続く階段が現れた。


「よく気付かれましたね!」

「外観の大きさに比べて、天井が低い気がしたから」


 他の宿も、おそらく同じような造りになっているのだろう。


 通路は酷く狭い。


 頭を屈めながら、階段を上がる。


「でも、なんで隠し通路なんかあるんだろうな」


 俺の疑問に、フェリスが答える。


「貴族用の宿だったのなら頷けるわ。古今東西、身分の高い人間には隠し通路がつきものだから」


 なるほど。


 療養先で愛人と逢い引きしたり、良からぬ商談を企んだりと、使い道はいろいろあるのだろう。


 それにしても、随分手の込んだ隠し通路だ。観光ブームの盛衰に合わせて、宿の持ち主オーナーも何度か入れ替わっているだろうから、この隠し通路の存在は知られていない可能性が高い。


 やがて、宿の裏に出た。


 外壁に近く、木もうっそうと茂って、ひどく陰鬱な雰囲気だ。テーマパークの裏側を垣間見てしまった気持ちになる。


 顔にへばりついた蜘蛛の巣を払う。


「これなら、誰にも見つからずに子どもを連れ出せそうだな」


 これだけ手の込んだ手口だ、魔族の仕業とは考えにくい。


 しかしそうなると、この失踪事件の真相は――


「? ティティ、どうした?」


 ティティの様子がおかしいことに気付く。


 強ばった表情で、じっとうつむいている。


「ティティ?」


 顔色が悪い。熱でもあるのだろうか。


 そう思って手を伸ばすと、ティティがはっと顔を上げた。


 何かに怯えるような、引きつった表情に驚く。


「どうしたんだ?」


 尋ねると、ティティは首を振った。


「ううん、何でもないよ!」


 とてもそうは見えない。


 今だって、胸元で握りしめた手は細かく震えている。


「……ティティ。もし何か、不安なことがあるなら――」


 その時、辺りに異常がないことを確認したサーニャが戻ってきて、「どうすればいい?」と俺を見上げた。


「……とりあえず、夜まで待とう」


 一旦宿に戻って早めの夕食を摂り、身体を休める。


 日が暮れる頃に、二手に別れて、めぼしい宿の裏で張った。


 夜が更ける。


 遠く、温泉を楽しむ人たちの賑やかな声が聞こえる。


 俺はサーニャ、そしてティティと共に、外壁沿いの繁みに身を潜めていた。


 やはりティティの様子がおかしい。


 あれから口数が少なく、どこか茫洋としている。


「……――」


 口を開きかけた時、サーニャがはっと耳をそばだてた。


 宿に視線を戻す。


 隠し通路から、子どもを抱えた男が出て来るところだった。


「……!」


 今にも飛び出しそうになるのを堪え、サーニャにリゼたちを呼んでくるよう目配せする。


 ティティと一緒に後を尾けると、男は子どもを樽に詰め込み、馬車に乗せて街の外に出た。


「……――」


 ティティはその光景を見詰めて、ぎゅっと拳を握っている。


「ロクさま……!」


 リゼたちが合流する。


 俺たちも門を出ると、男の後を追った。


 街道を外れ、丘を越えて着いたのは、ルダシュの南西に位置する小さな湖だった。


 そこには大きな檻を乗せた馬車が待っていた。


 馬車の周囲には、商人らしき男たちが五人に、松明を持った屈強な用心棒が七人。少し離れた所に馬が何頭か繋がれている。


 そして荷台の檻には、子どもたちが詰め込まれていた。


「あれは……!」


 子どもたちには首輪が嵌められ、首輪から伸びた鎖は、商人たちの腕輪に繋がっている。


 低木の繁みブッシュに身を隠しながら、リゼが声を強ばらせた。


「奴隷商人……!」


 檻に入れられているのは、十にも満たない幼い子どもばかり、十人ほどか。肌の色も身なりも様々だが、みんな騒ぐでも泣くでもなく、ただぼんやりと虚空を見詰めている。


我が国トルキアでは、奴隷制度ははるか昔に禁止されたはずです」


 声を震わせるリゼに、フェリスが硬い面持ちで呟く。


「足が付かないよう国外に売るか……もしくは、一生地下に閉じ込めるか」


 新たにやって来た商人が合流し、樽から出された子どもが引き立てられて行く。


 首輪に付いた鎖を引かれてふらふらと歩く姿は、亡霊のようだ。


「あの鎖。恐らく『服従の鎖』と呼ばれる魔具よ。意のままに相手を支配し、やがて意志まで奪ってしまう」


 フェリスが低く囁き、サーニャが金色の双眸を怒りに染める。


「こどもは、家族にまもられてそだつもの。家族からひきはなすのは、ゆるせない」


 握り締めた爪が、手のひらに食い込んだ。


 暗い部屋の隅で蹲っている子どもの姿が、脳裏を過ぎる。


 その身に一心に受けるはずだった温かな愛情を奪われ、屋敷の冷たい地下、鎖に繋がれて――


 ふと気付く。


 ティティが震えていた。


 その横顔は強ばり、強く噛みしめられた唇は色を失っている。


「ティティ?」


 そっとその背中に手を置くと、青い双眸が俺を見上げた。


「ロクちゃん……」


 小さな声に、黙って耳を傾ける。


 ティティは「ごめん」と掠れた声で呟いた。


「ごめんなさい。孤児っていうの、嘘なんだ。――私ね、本当は、奴隷として売られてたの」


 リゼたちが息を呑んだのが分かった。


「おじーちゃんが、お金を積んで買って、育ててくれたんだ」


 うつむいた顔が今にも泣き出してしまいそうで、手を伸ばす。握った指先は、冷たく凍えていた。


 ティティはそれでも懸命に笑おうとしながら、小さく首を振った。


「大丈夫、辛くないよ。売られてた時のこと、あんまり覚えてないんだ。ただ、ちょっとだけ痛くて、寒くて、怖かっただけ」


 その声は震えている。


「ティティ」


 名を呼ぶ。低く、柔らかく。このガラス細工のように繊細な魂を、壊してしまわないように。


 そっと、冷たい頬に手を添える。


 青い瞳が涙に霞んだ。


 俺が小さく頷くと、ティティはくしゃりと顔を歪め、縋り付くように俺の腕に飛び込んできた。声を殺しながら、俺の胸に額を押し当てる。


 その震える小さな背中を、優しく叩く。胸の奥で凍り付いてしまった言葉を溶かすように。何度も、何度も。


「ロク、ちゃん……っ」


 やがて細い喉から、振り絞るような叫びが上がった。


「ロクちゃん、助けて……!」


 ――この小さな身体は、今も、あの冷たい檻の中に囚われている。


 俺は、か細いぬくもりを抱く腕に力を込めた。


「任せておけ」

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