第49話 寄り添い生きる

 精霊王が、何もかも見透かすようなまなざしを俺に注ぐ。


「うん、いい魔力だ。愛と祝福に溢れている。君になら、この子を任せられる。――この世界もね」


 安心したように笑って、俺に抱かれたドラゴンを見遣る。


「エルフもドラゴンも、大いなる自然の許に生まれ、同じくこの大陸に生きとし生きる身。彼らに、仲良くするよう伝えておくれ」


 精霊王はそう言って、獣の四肢をベッドに横たえた。その体表からざわざわと蔦が茂り、ベッドに根を張る。


「眠るのか?」

「夢を見るしか、楽しみがないんだ。私は、ここから出られないから」


 そういえば、と夕暮れ色の空を仰ぐ。


 世界樹は精霊の森の中心にあるはずなのに、何故だろう、精霊の気配はひどく遠い。


 音もなく生き物もなく、ただ乾いた風だけがそよぐ、黄昏色の砂漠。


 遙かな地平線へと向けられた銀色の瞳は、どこか寂しそうで。


 俺はポケットを探ると、石を取り出した。


「あの、良かったら、これ」


 青く透き通る鉱石に、金の鎖が付いたチャームだ。


「? なんだい、これは?」

「ルダシュっていう温泉街で買った鉱石です。中に温泉が入ってるらしくて」


 精霊王は物珍しそうにチャームを観察している。


「すごく栄えている観光地で、街の中に温泉があるんです。たくさんの人が温泉を楽しんでいて、町並みがとても綺麗で……」


 説明しながら、ふと疑問が胸に兆す。


 ……温泉が入った鉱石、俺にとっては、あの日見た抜けるような青空や、街の人たちの笑顔、はしゃぐティティたちの思い出が詰まった愛着ある石だが……精霊の王が温泉のお土産なんかもらって、嬉しいだろうか? 他にもっと気の利いた品があったのでは……?


 次第に後悔しはじめる俺だったが、精霊王は、「オミヤゲ!」と目を輝かせた。


「知っているよ、これ、オミヤゲというやつだろう? わあ、初めてもらったよ!」


 子どものようにはしゃぐと、鉱石を光に透かして、懐かしそうに目を細める。


「ああ、風の色だ。生き物の営みのにおいがする」


 不思議なことに、その姿がみるみる縮んでいく。


 幼い姿になった精霊王は、無邪気な仕草で身を乗り出した。


「良かったら、旅の話を聞かせてくれないか」


 俺は、旅の途中で見た光景を語った。湖に紅く溶け落ちる夕陽。空を渡る虹色の鳥の群れ。訪れた村で見た、素朴で温かい営みを紡ぐ人々。


 この世界の人にとっては普通の光景なのかもしれない。それでも、少しでも俺の感じた驚きが伝わるように。この胸を震わせた感動が届くように。


 精霊王は枕にもたれながら、俺の話にじっと耳を傾けていた。


 やがて話し終わると、精霊王はまぶたをほどき、ため息のように「良かった」と笑った。


「世界は、まだ美しいんだね」


 無垢な子どものように呟いたかと思うと、その姿は再び元の年齢に戻った。


 ほっそりとした指先が、宙を示す。


 空中に光の粒子が集まったかと思うと、小さな瓶が現れた。


 美しい意匠が施されたガラスの中に、金色の砂が詰まっている。


「これは」

「オミヤゲのお礼だ。『賢者の砂』が、君を助けてくれるだろう」


 動物と植物、雄と雌、子どもと大人が入り交じった――あるいはそのどれでもない幽艶の人は、そう言ってたおやかな手を伸ばした。


 冷たい指が俺の額に触れる。


「強く、優しい心を持つ勇者よ。どうかこれからも、その目で、足で、この世界を愛しておくれ」


 精霊王は、次いでサーニャを愛おしげに見詰め、その額に手をかざした。


「さあ、お行き。君たちの道行きに、精霊の加護があらんことを」




*********************************




 二人、金の砂漠を行く。


 サーニャは口を噤んだまま、砂に落ちた影を見詰めている。


 その歩みは緩み、重くなり、やがて立ち止まった。


「サーニャ」


 ドラゴンの子どもが俺の腕をすり抜け、砂の上に降りる。


 茜色の砂漠に立ち尽くして、サーニャは言った。


「わたしは、人間じゃなかった」


 吹き抜けた風が銀色の髪をなびかせ、砂がさらさらと鳴った。


「家族なんて、最初からいなかった」


 金色の大きな猫目が、湖面のように揺らめく。


「わたしは、生まれた時からひとりぼっちだった」


 永久の斜陽に照らされて、その輪郭が金色に透き通る。


 俺はサーニャに歩み寄り、膝を付くと、細い手を取った。


「違う」


 小さな手を壊さぬよう、そっと力を込める。


「違うよ、サーニャ。サーニャはひとりぼっちなんかじゃない」


 金色の瞳を覗き込みながら、精霊王の言葉を思い出す。


 去り際、精霊王は俺にだけ聞こえる声で囁いたのだ。


「あの子に――サーニャに、人としての愛を注ぎなさい。君なら、あの子を人に繋ぎ止めることができる」


 風に乱れた前髪を指先で避け、滑らかな額に触れる。


「自分が何者かは、サーニャが決めていいんだ。誰と一緒に生きるか、サーニャが決めていいんだ」


 生まれた時から共にいなくても、育った世界が違っても、血の繋がりがなくても。


 寄り添い生きることはできる。


 金色の双眸に、涙がたゆたう。


 か細い声が、「ロク」と俺の名を呼ぶ。


「わたしの家族になってくれる?」


 不安げに呟くその姿は、暗闇に怯える小さな子どものようで。


 銀色の髪に指を差し込み、優しく梳く。


「もちろんだ」


 サーニャは縋るように俺にしがみついてきた。


 その身に抱えてしまった欠落ごと、か細いぬくもりを抱きしめる。


 いつか一緒に見た星空を思い出す。


 後宮の少女たちが、異世界から来た俺を迎え入れてくれたように、俺がこの子の居場所家族になれるのなら。


「俺は、サーニャが大切だよ。サーニャに出会えて良かったって、心からそう思う。サーニャは一人じゃない。ビルハの人たちも、精霊たちも、動物も――俺たちも。みんな、サーニャの家族だ」


 小さな身を抱く腕に力を込める。


 少しでも、その空洞が埋まるように。その傷が癒えるように。


「人間でも、精霊でも、サーニャはサーニャだ」


 噛みしめるようにそう言うと、サーニャは透き通る金色の瞳で俺を見上げ、頷いた。

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