第48話 精霊王

 やがて森が途切れ、視界が開けた。


 木漏れ日の差す空を仰いで、リゼが感嘆の声を漏らす。


「これが、世界樹……」


 柔らかな苔の絨毯の中央に、巨大な樹がそびえていた。


 大ぶりの枝が風に揺られて、深い緑の葉がざわめく。幹は大人が十人手を繋いでも足りないほど太く、苔むした大地に頑丈な根が張り巡らされている。


「足下、気をつけて」


 リゼたちに手を貸しながら、絡み合った根をよじ登る。


 幹に、扉が彫り込まれていた。


 そっと手を添える。


 刹那、俺の魔力が呼応し、扉が眩く輝いた。


「っ!」


 視界を埋め尽くす白い光に、思わず目を閉じ――


「……あれ?」


 まぶたをほどく。


 気がつくと、開けた空間に立っていた。


 隣にいるのはサーニャだけだ。


「リゼたちは……」


 辺りを見回すが、俺たちの他には誰もいない。


 そこは金色の砂漠だった――いや、砂ではない。


 遙かな地平線へと続くそれは、細かな宝石の欠片だった。


 どこからか差し込む夕陽に照らされて、宝石の砂丘は金色に輝いている。


 幻想的な光景に立ち尽くしていると、サーニャが「こっち」と歩き出した。


 一歩踏み出すごとに、靴の下でさくさくと音がする。


 遠く、潮騒のようなうねりが聞こえる。


 砂の丘を登って、サーニャが立ち止まった。


「あれは」


 隣に並んで目を凝らす。


 砂漠の真ん中に、ベッドがぽつんと佇んでいた。


 近付いてみる。


 垂れ下がった天幕の向こう、白く波打つシーツの海に、人が寝そべっていた。


 ――人? いや、違う。


 上半身こそ人間の姿をしているが、その人の腰から下は、様々な動物が入り交じっていた。前肢が狼、後肢が馬。背中には大きな白い翼が畳まれ、尻尾のように見えたものは、美しくしなる尾びれだった。額に戴くのは、牡鹿の角に似た艶めく枝。


 微かになびくヴェール越しに、夕暮れのにおいを纏ったその人は、眠たげな眼で俺を流し見た。


「やあ、来たね」


 女性のような男性のような、柔らかい声が響く。


「精霊王……」


 唇から零れた呟きに、その人は笑って頷いた。


 朝霧のように美しく烟る、銀色の双眸。夕陽を受けて虹色に輝く髪が、翼の生えた背中に流れている。


 たおやかな腕には、ドラゴンの子が抱かれていた。全身が翠の柔らかい体毛に包まれていて、ドラゴンというよりは風変わりな子犬みたいだ。精霊王の腕の中で、つぶらな瞳をくるめかせている。


 精霊王は俺の視線に気付くと、腕の中のドラゴンを見下ろした。


「この子かい? 森に迷い込んできたのを、拾ってしまった。抱き枕に丁度良かったから。――あと、君に会ってみたくて」


 差し出された子ドラゴンを受け取る。小さなドラゴンは俺の頬に鼻をすり寄せて「くるる」と鳴いた。


 柔らかなぬくもりに目を細めながら、ふと気づく。


 ベッドの枕元に、美しいハープが無造作に投げ出されていた。


「そのハープは」


 精霊王がいたずらっ子のように――そしてほんの少しバツが悪そうに、小首を傾げる。


「少し拝借してたんだ。眠りを醒まされるのが癪でね。でも返そう、君を困らせるのは本意ではない」


 銀の鶏を模した流麗なハープを、サーニャが受け取る。


 これでドラゴンとエルフ、双方の捜し物が手に入った。


 揉め事は無事に解決できそうだ。


 銀色に透ける神秘的な双眸が、俺を見詰める。


「待っていたよ、異界の勇者。それに、君も」


 俺の隣に立つサーニャに目を移して、精霊王は微笑んだ。


「そうか。今は、人として生きているんだね」


 サーニャが目を瞬かせる。


「わたしを知っているの?」

「知っているよ。君が生まれた時から。――君は精霊だ」


 穏やかに告げられた言葉に息を呑む。


「精霊は世界の現れにして、自然の化身。あるいは風や大地、炎そのもの。それが時として、形を得ることがある。精霊獣を知っているだろう」


 リゼが助けた精霊獣――アルルを思い出す。


 アルルは、炎を纏った子犬の姿をしていた。


「精霊獣は、精霊が姿を得たもの。それが稀に、何百年、何千年かに一度、人の姿をして生まれるものがある」


 これまで抱えていた疑問が、ふっと腑に落ちる。サーニャは異様に動物に懐かれたり、アルルの言葉を訳したりと、不思議なことが多々あった。そうか、精霊だったのか……


 精霊王はサーニャを見渡して、長いまつげを伏せた。


「ビルハの民が、大切に護り育ててくれたのだね。彼らは精霊を重んじ、自然を愛し、家族同士、強い絆で結ばれていた。君を愛し育んでくれた人々が失われたのは、とても悲しいが……良い勇者に出会えたようで良かった」

「私は、人間ではないの?」


 どこか戸惑ったような声を上げるサーニャを、精霊王は優しく見詰めた。


「人か精霊か、それは君が決めるのだ」


 サーニャはじっと俯いて、何か考え込んでいるようだった。

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