第96話 勇者の祝福


「申し訳ございません。私、マノンさまとの会話を、聞いてしまいました」


 小さく掠れた声に、はっと耳をそば立てる。


「ずっと不安だったのです。もしかすると、いつ命を落とすとも知れない戦いの日々の中で……ロクさまが、私たちに疵跡を残さないようにしているのではないかと……ご自分がいなくなった後で、ご自身の存在が私たちにとって足枷になることがないように──私たちを守るために、一線を引かれているのではないかと」


 心配になってしまうくらい、優しい方だから。

 そう眉を下げて笑う姿に、声が詰まる。


「…………──」


 リゼの細い肩をそっと両手で包みながら、遥か古の勇者へ想いを馳せる。

 千年前、北の果てに魔王を封じた勇者は、必ずまた戻ると約束を残して、元の世界へ帰ったという。

 もしもそれが彼の意志ではなく……愛する神姫たちを置いてこの世界を去らざるを得ない理由があったのだとしたら──


 命を賭して魔王へ挑んだという勇者。

 きっと彼も願ったはずだ。

 いつかその日が来た時に、自分を信じて戦い抜いてくれた神姫たちが、曇りなく新しい幸せへと進めるように。


 そう思いながら、神姫の元を去った勇者に、いつの間にか自分を重ねていたことに気付く。

 心のどこかで願っていた。自分がいなくなった後──俺がこの世界という居場所から弾かれた後も、彼女たちが変わらない笑顔で生きていけるように。俺の存在が、彼女たちを縛る呪いにならないように。何よりも大切な存在だからこそ。

 けれど。


「疵跡などではありません。足枷などではありません。ロクさまからいただいたものは、全て大切な宝物で、かけがえのない祝福で、私たちを幸福へと導く翼になってくれるのです」


 誰にも打ち明けたことのない──俺でさえ無意識下に押し込めていた想いを、幼い頃から身に刻まれた呪いを、リゼは優しく掬い上げ、陽だまりのようなぬくもりで包み込む。


「ロクさま。お約束します。必ず、私たちがお守りいたします。決して離れ離れになることなどないように……何があっても、貴方の手を離しはしません。誰であろうと、貴方の居場所を奪わせはしません。だからどうか、怖がらないで」


 愛しむようなまなざしが、胸に温かく染み込む。

 居場所を追われ続け、諦め癖がついてしまった俺に、リゼはもう安心していいのだと、幸せになっていいのだと、何度でも思い出させてくれる。


「私たちは、ロクさまのように、魔力で癒やすことは出来ません。けれど、愛を注ぐことはできます。ロクさまが私たちの愛で幸せに満たされてくださるのであれば、これ以上嬉しいことはございません」


 柔らかな笑顔に、胸が熱く締め付けられた。

 言葉を失う俺を、暁色の瞳が見上げる。


「ロクさまは、可愛いとか、綺麗とか、美味しいとか、ありがとうとか、いつも言葉にして伝えてくださいますね?」


 優しいまなざしに、小さく頷く。


 ――優しかった両親家族は、大切なことを伝える前に、声さえ届かない遠くへ行ってしまった。ずっと続くと信じ込んでいた日常を失って初めて、当たり前の幸せがどんなに尊いものかを知った。

 だからそれ以来、どんなに小さな事も、出来るだけ口に出して伝えるようにしていた。

 おいしいごはんを作ってくれてありがとう。一緒に過ごす時間が心地良い。会えて嬉しい。笑顔が好きだ。

 そんな、今ここにある幸せを、世界の美しさを――何気ない、けれどかけがえのない瞬間を、大切な人たちと一緒に喜び合いたくて。あなたと出会えて良かったと、今日も傍にいてくれてありがとうと、声が届く内に伝えたくて。


「私たちは、それがとても嬉しいのです。ロクさまが、私たちを大切に想い、心から愛して慈しんでくださっている。それだけで、生まれてきて良かったと思えるくらい幸せなのです」


 深い愛おしさを湛えた宝石ルビーのような双眸が、俺を見つめた。

 小さくて滑らかな手が、頬を包む。


「もう一人にはしません、私たちがついています。全身全霊をかけて、貴方をお守りします。だからどうか、顔を上げて。みんな、貴方に愛されたくて――そして、それと同じくらい愛したくて、ここに居るのです。どうぞ胸を張って、愛されてください。ここは、貴方のための後宮ハーレムなのですから」


 ──家族を失い、居場所を追われ、一度空っぽになってしまった俺に、少女たちはこんなにも温かな愛を注いでくれる。


「……ありがとう」


 溢れそうになる愛おしさを言の葉に代えると、リゼは花のように笑った。


「あの、ロクさま……」


 リゼが何か言いたげに、小さく身じろぐ。


「あの、その……もし、よろしければ……私にも、おまじない……なんて……」

「……ん」


 リゼの前髪を上げ、そっと屈んだ。

 滑らかな額に口づける。

 これが彼女にとってのきずでも枷でもなく、祝福になるよう願いながら──いや、そう信じて。


 洗い立ての髪から、石けんがふわりと香る。

 静かに離れると、熱に浮かされたように潤んだ瞳とまなざしが行き交い――


「え、えへへ……えへへへへ……」


 リゼは額を押さえると、みるみる赤くなりながら後ずさった。


「あっ、あのっ、ありが、ありがとうございました!? そ、そそそそそそれではおやすみなさいっ!」

「うん、おやすみ。風邪を引かないように、暖かくして寝て」

「は、はいっ! ロクさまも、お元気でっ!(?)」


 真っ赤になってぎくしゃく手を振るリゼに見送られて、俺は廊下の角を曲がり――


 壁に背中を預けて、今にも心臓が飛び出そうな口元を押さえる。

 顔が熱い。心臓が大暴れして、血潮がばくばくと煮えたぎっている。


(……あんなに、嬉しそうな顔をしてくれるのか……)


 口付けた時のリゼの顔が、目に焼き付いている。

 潤んだ瞳で俺を見上げるリゼが可愛くて愛おしくて、これまで堪えていたものが堰を切って溢れそうだった。


 冷たい壁で頭を冷やしていると、廊下の先からリゼの小さな声が聞こえてきた。


「もう、一生おでこ洗わないぃぃ~……」


 気の抜けた声に、ふ、と口が緩む。


 夜風に混じる虫の声に耳を澄ませながら、目を閉じた。

 世界から弾かれ続けた俺を温かく受け入れ、一心に慕ってくれる神姫たち。

 彼女たちが深く一途な愛慕を寄せてくれる度に、大切にしたいと、守りたいと心から思う。


 俺は、熱く熱の灯った胸を押さえた。

 俺に出来ることは、全て捧げよう。

 君たちが俺を受け入れてくれたように。今度は俺が、君たちの居場所になれるように。





 



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