第97話 南国諸島へ
美しく整えられた中庭に、透き通る冬の日差しが降り注ぐ。
後宮の回廊を歩きながら、俺は王宮から上がってきた報告書をめくった。
新たなダンジョンの発生に、魔物の凶暴化。魔族たちの不穏な動きとは裏腹に、魔王の牙城である【瘴気の巣】を監視している偵察隊からは何の報告も上がっていないという。
静けさが不気味だが、瘴気の巣を払う手立てがない以上、手の打ちようがない。
今まで通り、選んだ道の先にゴールがあると信じて、ひとつひとつ出来ることを重ねながら情報を集めていこう。
報告書から目を上げた時、庭のベンチに可愛いおだんご頭を見つけた。
「何してるんだ?」
「あっ、ロクちゃん!」
声を掛けると、ティティはさっと何かを隠した。
代わりに、膝に置いていたハンカチを見せてくれる。
「あのね、刺繍の練習してたんだ! ちょっと上手になったんだよ、見て見てー!」
「本当だ。青い魚か、綺麗だな」
「でしょっ? 特に尾びれの模様にこだわりましたー! ハンカチを海に見立てたんだよ! 緑と青の細い糸を交互に使って、グラデーションにして……」
嬉しそうな解説に耳を傾けて、穏やかに尋ねる。
「何かあったか?」
「え?」
「元気ないなと思って」
と言うよりも、元気がありすぎる。何か無理をしているような。
ティティは声を失って、それから力なく笑った。
「すごいね、なんで分かっちゃうんだろ」
ティティが差し出したのは、彼女の養父から送られてきたという手紙だった。
「これは……」
ティティの故郷――南国諸島で海が毒されて、人々が次々に病に倒れているらしい。調査部隊が派遣されたが、原因は不明。ティティの家族は行商から戻ったばかりで難を逃れているようだが、被害は今も広がり続けているという。
「すぐに行こう」
「でも、ロクちゃん忙しいのに……」
「ティティの笑顔を守るのも、俺の大事な役目だよ」
頭を撫でると、ティティは眉を下げて笑った。
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馬車に揺られること十日。
街道の先に、青く美しい海が広がった。
「まあ……!」
きらめく水面に、リゼたちが歓声を上げる。
俺とティティ、リゼ、フェリス、サーニャ、そしてシャロットは、ティティの故郷――水平線に緑豊かな島々を臨む港町、アルカナを訪れていた。
シャロットは目をきらきらさせている。ティティに南海の話を聞いてから、ずっと憧れていたらしい。
「ここがティティねえさまの故郷なのですね! 海がとってもきれい! それに、暖かいです!」
「王都より、だいぶ南にあるからね! 魚介類とフルーツがおいしいんだよ! 海を越えて、異国の珍しいお菓子とか雑貨もたくさん入ってくるよー!」
ティティの魔力はいつにも増して、元気にぴかぴかしている。
出身地、かつ水属性なこともあり、土地と相性がいいらしい。
「ティティ!」
港町に入ると、大所帯の集団が出迎えてくれた。
「ウォンおじーちゃーん!」
先頭の白髪の老人に飛びつくティティに、笑顔の人々が群がる。
「元気そうだな、お嬢!」
「おかえり、ティティねーちゃん!」
「まあティティ、よく帰ってきたねぇ、疲れてないかい? 今夜は大好物のはちみつパンを焼こうね」
老若男女、乳飲み子まで入り交じった、大きな
ティティは一通り再会を喜び合うと、白髪の老人を俺の元に連れてきた。
「ロクちゃん、これがティティを育ててくれた、ウォンおじーちゃんです! おじーちゃん、これがロクちゃん! ティティの後宮の主で、勇者さまだよ!」
「ティティが世話になっております。遠路はるばる、ありがとうございます」
ウォンは海のように青い瞳をした、柔和な老人だった。
「初めまして、ロクです。こちらこそ、ティティにはいつも助けてもらっています」
手を差し出し、握手を交わす。奴隷として売られていたティティを引き取り育ててくれた人の手は、しわ深い見た目とは裏腹に、がっしりと力強かった。
「おうおう、あんたが件の勇者サマか」
日に焼けた屈強な男たちがどやどやと押し寄せて、「ふんふん、ほうほう」と俺を検分し、
「
ばしーん! と背中を叩かれてつんのめる。
「うっ、げほっ」
「わー!? ごめんねロクちゃん、大丈夫!?」
笑って頷くと、男たちは白い歯を見せて俺の肩を組んだ。
「嬢ちゃんが後宮なんて、すぐ追い返されるんじゃないかって心配してたんだが、あんたなら任せられそうだ!」
ティティは嬉しそうに笑った。
ウォンの隊商は、アルカナを拠点に船や馬で旅をしながら、時には辺境の地まで物資を届けるという。隊商全体が強い絆で結ばれた、ひとつの家族のようなものだ。ティティがこの屈託なく朗らかな人々にどんなに愛されて育ったのかが伝わって、胸が温かくなる。
ウォンの家に向かう道すがら、今度は子どもたちが殺到した。
「おにーちゃん、ゆうしゃさまなんでしょっ? かっこいー!」
「ねえねえ、まじゅつおしえてー!」
「ぼく、なんの属性ですか? 水の魔術をつかいたいんですが、できますか?」
「君は土属性だな。でも練習すれば、他の属性も使えるようになるよ。あとで、みんな一緒に練習してみよう」
わっと明るい歓声が上がる。
リゼたちも大勢の人に囲まれて、「まあまあ、綺麗な娘さんたちだねぇ! 長旅で疲れたろう、ほら、持ってお行き!」と果物や雑貨をもらっていた。サーニャはドラゴンフルーツがお気に召したらしく、ご満悦だ。
その時、蒼白な顔をした男が駆け寄ってきた。
「ウォン、うちの子の容態が悪化した! このままじゃもたない、解毒薬があるだろう、売ってくれ!」
「今ある薬は、離島の奴らの分じゃ。ここには施療院がある、どうにか――」
「島の奴らなんかどうでもいいだろう! 金ならいくらでも出すから、早く……!」
男は言葉半ばに力なくうなだれ、顔を覆った。
「いや、すまん……どうかしていた……」
丸まった背中に声を掛ける。
「俺が行きます、毒が原因なら、力になれるかもしれません」
リゼたちと共に、男の家へ向かう。
玄関をくぐると、心配そうな家族に囲まれて、小さな男の子が寝ていた。
魔力が毒されている。
俺は膝を付くと、「力を抜いて。すぐ楽になるよ」と声を掛けた。
オーバーフローしないよう気をつけながら、慎重に魔力を注ぎ込み――やがて、子どもの顔色が戻った。
固唾を呑んで見守っていた人たちが歓声を上げる。
「ありがとうございます! ああ、なんとお礼を申し上げたらいいか……!」
「勇者さま、うちにもいらしてください!」
「うちにも! ばあちゃんがもう半月も苦しんでて……!」
一軒一軒家を回って、病人の魔力を浄化していく。
リゼたちも布を絞って患者の汗を拭き、換気をして寝具を整え、少しでも患者が安心できるよう声を掛けて、忙しく働いてくれた。
「勇者さまがいらしてるらしいぞ。病気を癒やす、奇跡の手をお持ちだとか」
「すると、あれが神姫さまかい。ありがたい、ありがたい」
行く先々で人だかりができ、新たな病人の元へ連れて行かれる。
床に伏せた人々は、悉く魔力が毒されていた。港に近いほどその数は増え、病状は重くなった。
今は『反転』と俺の魔力である程度は対処できるが、飽くまで応急処置だ。
原因を探り、根本を絶たなければ。
その日の夜、ティティの養父はぽつぽつと語ってくれた。
「沖合で発生した毒が港に流れ着き、触れた者や魚を食べた物が病に伏せておる。離島はもっと酷いが、毒のせいで必要な物資や薬を届けることができん。さらに悪いことには、解毒薬に必要なオーロラ珊瑚も採取できず、薬も底を尽きかけておる。この町には施療院があるからなんとか保たせているが、見ての通り、それも限界じゃ」
薬の価格は吊り上げられ、老人や子ども、体力のない者から死んでいく。元来明るく朗らかで諍いを厭う南国諸島の人々が、今は薬を求めて相争い、強盗など不法な手段に手を染めるほどに追い詰められているという。
「一体どうして……」
フェリスが呟き、リゼが緊張した面持ちで口を開く。
「これだけの規模です、もしかすると魔族が絡んでいるのでは……」
しかし、ウォンはうなだれて低く答えた。
「水龍の仕業じゃ」
ティティが「えっ」と目を瞠る。
「でもおじーちゃん、水龍は海の守り神で――」
「そうじゃ。わしらは長い間、そう信じてきた。じゃが、水龍が毒をまき散らし、海を荒らす姿を見たという証言が相次いでおる。水龍を封じないことには、海の平和は戻らん」
「そんな……」
ティティが膝に置いた手をぎゅっと握る。
「明日、船を出す。苦しんでいる人々のために、どうか、力をお貸しくだされ」
悲壮な色を湛えたウォンの青い目に、俺は頷いた。
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■書籍版『追放魔術教官の後宮ハーレム生活』
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