第100話 クラーケン



「……魔族か」


 禍々しいほどに赤い唇から、鋭い牙が覗く。


『その通り。我が名は倨傲のガルディオ。魔王様の側近が一人』

「……!」


 ティティがウォンを背中に庇い、リゼたちが身構える。

 俺はアンベルジュに手を掛けた。


「コロシアムを裏で牛耳っていたのもおまえか」

『あれは佳い見世物だった。無様で醜悪、他者を蹴落として、必死に刹那の生にしがみつく。貴様ら人間の縮図のようだったな。楽しませてもらったよ。今回も水龍や人魚を巻き込んで、おもしろい余興ものが見られるかと期待したのだが……興が削がれた』


 血のように赤い双眸が横へ滑り、リゼを捉えた。


『お前が開闢の花嫁か』


 リゼがびくりと肩を竦ませる。

 ガルディオは面白そうに目を細めた。


『人の身でありながら、よくぞそこまで魔を育てたものよ。皮肉だな。その清らかで愛深き魂こそが、混沌を産む土壌となる。魔を引き入れたおまえの弱さが、世界を滅ぼすのだ』

「なに、を……」


 身を強ばらせるリゼを、冷たく粘るまなざしが絡め取る。


『恐れることはない。直に全てはひとつになる。還ろう、共に魔王様あの御方の元へ』


 白く細い手が、ゆっくりとリゼへかざされ――

 俺は剣を抜くや、光刃を放った。

 魔族の首元に迫った閃光が、腕のひと振りであっさりと弾かれる。

 海に、不気味な哄笑が轟いた。


『どんなに足掻こうと意味はない! 既に時は満ちた! もはや全ては遅いのだ! さあ、今こそ芽吹くが良い、魔の種子よ!』


 ガルディオが指を鳴らす。

 リゼの周囲に黒い霞が立ち上った。


「あ、あ……」


 リゼが蒼白な顔で立ち尽くす。その身体から黒い火花が散り、禍々しい漆黒のアザがぞろりと肌を這い上がった。


「リゼ!」

「ああ……! いや、いやです、私……っ!」


 リゼは腕を抱きながら身を震わせ――その身体を包むように、黒い炎が噴き上がった。


「リゼねえさま!」


 駆け寄ろうとするシャロットへ、炎に巻かれたリゼが手をかざした。漆黒に染まった腕から、黒い炎が迸る。


「シャロット!」


 渦巻く黒炎からシャロットを抱き寄せ庇う。

 腕に灼熱の痛みが走った。


「ロクにいさま!」


 蒼白になるシャロットを抱いて跳び退る。

 爪先を掠めて、黒炎の矢が甲板を穿った。

 漆黒に燃える炎の奥、暁色の瞳が、俺を捉える。


「フェリス、シャロットを頼む!」


 シャロットを託すと同時、腕に炎を纏ったリゼが一気に肉薄した。 

 繰り出された爪を、咄嗟に腕で受ける。


「ッ、く……!」


 黒い炎が肌を灼く。長く伸びた爪が皮膚に食い込み、血が飛沫いた。


「゙う、ぁ、ヴぅ゙ぅ……!」


 血の色に染まった双眸が俺を睨む。

 俺は歯を食い縛りながら魔力を練った。

 『大鹿の首』で得たスキルを『反転』と組み合わせ、魔力を凝縮して叩き付ける。


「『威圧スタン』!」

「っ、ぁ……」


 リゼの瞳が揺れ、ふっと力を失った。

 甲板に倒れ込もうとした身体を抱き止めると同時に、瘴気が抜け出る。


「ねえさま! ねえさま!」


 気を失ったリゼにシャロットが縋り付いた。

 睨み上げる俺を見下ろして、ガルディオが忌々しげに口を歪める。


『我が瘴気を祓うか。あの御方の障壁となるとは思われぬが、その力、早々に潰しておいた方が良さそうだ』


 地を這うような呻きと共に、その身体が膨れあがった。

 長い髪は不気味な海蛇へと変じ、血の色の瞳が嗤う。湧き上がった肉がぼこぼこと沸騰を繰り返しながら、マストを超えて、なお高く空を覆う。巨大な上半身を支えるのは、軟体生物を思わせる八本の触腕――


 空を背負った黒い巨体を見上げて、ウォンが呻く。


「クラーケン……!」


 轟くような哄笑が海上を渡る。

 暗雲が立ちこめ、黒い雷嵐が渦巻いた。

 横殴りの風が吹き付け、荒ぶる波に船体が傾く。


「ティティ、みんなを船室へ!」

「うん!」


 ティティがウォンや船乗りたちを中へ誘導し――行く手に触腕が振り下ろされた。


 甲板が割れ、悲鳴が渦巻く。

 太い触腕に巻き付かれた船体が軋みを上げた。


『さあ、混沌の母胎を寄越せ。今こそ、真の楽園への扉を開くのだ』


 リゼへと伸ばされた触腕を、アンベルジュで両断する。

 しかし斬り落とされた腕を瞬く間に再生させて、ガルディオが嗤った。


『何を恐れるのだ。世界が混沌に還れば、久遠の安寧が訪れる。老いもなく、病もない世界。瘴気もエーテルも、海も大地も、我らもお前たちも、元はひとつだったのだから』


 数多の触腕が船へと這い上がり、絡みつく。


「『雪花氷フローズン・タイト』!」


 シャロットが魔術を放ち、数本の触腕が凍り付いた。

 その一瞬を狙って、サーニャが短剣を投擲する。


「『星廻輪舞エトワール・ロンド』!」


 短剣に切り刻まれて、肉の破片がぼとぼとと甲板に落ちる。


「『雷牙一閃ヴァジュラ・エインガー!』」


 フェリスの剣閃が翻り、サーニャの背後に迫っていた腕を八つ裂きにした。


 しかしどんなに斬り落としても、新たな触腕が現れては立ち塞がる。


 俺は無限に再生する腕を斬り払いながら呻いた。

 ガルディオの魔力回路が――核が視えない。


『苦しみ、のたうち、怯え、泣き叫べ! お前たちの痛み、絶望、憎悪こそが、魔王様への極上の供物となる!』


 マストが折れ、帆が切り裂かれる。触腕に抱かれた船体がみしみしと悲鳴を上げ――海中から踊り上がった水龍が、その腕を噛み千切った。


『チィッ!』


 再び牙を向けようとした水龍にぬめる腕が絡み付き、締め上げる。

 水龍は苦悶の咆哮を上げながらもガルディオに食らい付いた。

 骨の軋む音が響く。

 ティティがガルディオの頭へ弓を向けた。


「水龍を放せ! 『流星矢ステラ・グランツ』――」


 矢を放つ直前、ガルディオが身を捩り、射線上に水龍を突き出した。


「っ!」


 ティティが動揺し、魔術が掻き消える。その頭上に触腕が迫った。


「ティティ!」


 ティティを抱いて伏せさせた直後、巨大な質量が轟音と共に甲板を叩き潰した。


「ごめん、ロクちゃん……!」

「いい、立てるか?」


 嵐が吼える。横殴りの雨が噴き付け、雷鳴が轟く。

 不気味に光る両眼が、俺とティティに狙いを定め――その腕に、果物がべちゃりと弾けた。


「わしらのティティに何をするんじゃ、化け物め!」

「武器を持ってこい! 勇者さまを、嬢ちゃんたちを守るんだ!」


 ウォンたちが積み荷の食料や雑貨、魔石をあらん限りの力で投げつける。


『ええい、邪魔だ!』


 ガルディオが鬱陶しそうに触腕を振り上げ――


「『言霊オーダー』、弾け飛べ!」


 俺は魔石目がけて、魔力の圧を飛ばした。

 魔力を浴びた魔石が一気に破裂ブレイクする。


『グウウウウゥッ!?』


 爆発した魔石から炎や風が巻き起こり、触腕を攪乱する。

 ガルディオの赤い瞳が燃え上がった。


『この虫けらどもがァァァアアアッ!』

「おじーちゃん! みんな!」


 振り上げられた触腕が、唸りを上げてウォンたちに迫る。

 俺が剣を振り抜くよりも早く、


『炎魔壁フレイム・シールド』!」


 炎の壁が触腕を阻む。

 ティティがはっと息を呑んだ。


「リゼちゃん……!」


 甲板に倒れたリゼが、肩で息をしながら魔族を睨み付けていた。






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■書籍版『追放魔術教官の後宮ハーレム生活』

ファンタジア文庫特設サイト【https://fantasiabunko.jp/special/202104harem/】


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