第103話 運命の月夜




 後宮に戻った日の夜。

 みんなが寝静まった頃、俺はそっとリゼの部屋をノックした。


「リゼ、いるか?」


 扉がゆっくりと開く。


「ロクさま……」


 驚いた様子のリゼに笑いかける。


「夜遅くにごめん。良かったら少し、歩かないか?」


 二人、月夜の庭を歩く。

 夜の帳が降りた庭はしんと冷え、月が冴え冴えと輝いている。

 ふと、一本の木の前で立ち止まった。


「ここで、リゼと出会ったんだよな」


 初めて出会った時、リゼは木に引っかかった精霊獣の子どもを助けようとして、降りられなくなっていた。

 リゼが恥ずかしそうに俯く。


「ロクさまが助けてくださらなかったら、どうなっていたか」

「それは俺の台詞だ」


 不思議そうなリゼに笑いかける。


「あの時、リゼに出会えて良かった。リゼが受け入れてくれたから、俺は勇気を持って踏み出すことができたんだ。今の俺があるのは、リゼのおかげだよ」


 出会ったばかりの俺を心から心配し、温かく迎えてくれた少女。

 その笑顔に支えられて、俺は今もここに立っている。


 リゼは俺を見上げたまま言葉を失い――その瞳から、ぽろりと涙が零れた。

 俯くリゼの頭を、そっと撫でる。


「……本当に、申し訳ございません……っ」


 焼け焦げた船上で幾度となく口にした言葉を、リゼは涙を孕んだ声で告げた。


「私、ロクさまを傷付けて、みなさまを危険に晒して……シャロット、を……」


 アルカナ諸島からの帰り道、リゼはティティたちを心配させないよう明るく振る舞っていたが、ふとした瞬間に目を伏せ、ぼうっと考え込んでいることがあった。

 ずっと自分を責め続けていたのだろう。

 リゼは身体を丸めると、自分の腕に爪を立てた。


「私、自分が怖いです……また、大切な人たちを傷付けてしまうのではないかと……」


 背中に刻まれた漆黒のアザを、月明かりが照らす。

 幼い頃から悪魔の子だと誹られ、リゼを苦しめてきた力。『反転』でも引きはがせないほどに深く根付いてしまった呪いが、今もまた、リゼを苦しめている。


「私、誰も傷付けたくない、のに……こんな力、もう……!」


 掻き消えてしまいそうに小さな声。

 まるで産まれてきてしまったことを悔いるような、自分の存在さえ消したがっているような。


「リゼ」


 きつく腕を抱く手をそっと取る。

 震えるまつげの奥を、まっすぐに覗き込んだ。


「初めて出会った時、君の瞳を綺麗だと思った。それは今も変わらない」


 リゼがはっと目を見開く。

 かつてはシャロットと同じ、はしばみ色だったという瞳。魔の種子を植え込まれてから、まるで魔族のように赤く変じたという双眸。


 けれど、生まれて初めて見たその瞳の色を、俺はどんな宝石よりも美しいと思った。

 みんなの魔術を合わせて、大輪の花火を打ち上げたあの日、リゼの瞳が夜空の輝きを映して、きらきらと輝いていたのを覚えている。


「俺に勇気をくれたのは君だ」


 俺は元来臆病で、どこにでもいるような、凡庸な人間だった。

 欲しいものなんかなくて、どんなに努力したって報われることはなくて、心から安心できる居場所なんてどこにもなくて。

 ただ命をすり減らしていくだけの日々が続いて行くのだと思っていた。

 けれど。


「君が、踏み出す勇気をくれた。どこにも行き場のなかった俺に寄り添い、支えてくれた」


 君と旅を重ねて、多くの美しい景色を見た。たくさんの人と出会った。

 時に困難な道行きもあった。膝を付きそうになる戦いもあった。それでも今日まで歩み続けて来られたのは、帰る場所があったから。みんなと笑い合える居場所を、生きる意味を、君がくれたから。いつでも君が笑顔で迎えてくれたから。


後宮ここに来て、大切なものができた。守りたい人たちと出会えた。全部、君がチャンスをくれたんだ。大切な君を、君たちを。幸せにしたい」


 どうしたら伝わるだろう。どうか伝わって欲しい。

 そう願いながら、わななく背中を優しくさする。柔らかな身体の内側を蝕む不安や孤独、恐怖。その全てを溶かしてしまえるように。


「俺がいる。リゼの笑顔を守りたい――いや。笑顔も、涙も、怒った顔も。君の全てを守ってみせる。俺の全てを賭けて」


 だからどうか、自分を呪わないで欲しい。自分が世界でたった一人の、掛け替えのない大切な存在だということを、忘れないで欲しい。


「……っ」


 星を宿した双眸がくしゃりと歪む。

 溢れる涙を拭う俺の手に、リゼは濡れた頬をそっと寄せた。


「ロクさまの手は、なぜこんなにも温かくて優しいのですか? 私とは違う、逞しくて、大きな手。みんなを護り、導いてくださる手。私たちを幾度も救ってくださった手……」


 寄る辺ないおさなごのような、か細く震える声に胸が痛む。

 幾度も絶望に手折られて、その度にひたむきに前を向き、強く美しく咲き誇ってきた、花のような女の子。危ういほどに優しく、愛情深く、相手に心を寄せ、柔らかく迎え入れる。人の身には余るはずの、魔の力さえも――


「……――」


 ふと。


 閃光に似た予感が胸に兆した。


(リゼに深く根付いた魔の種子……幼い頃から共にあった呪い……魔力を喰らうアンベルジュに、全てを修めた者だけが使える古代魔術……――)


 胸の奥で、抜け落ちたピースが音を立てて嵌まっていく。


「……ロクさま、私……もう、このまま――」


 俺の胸に身を寄せて、リゼが小さく呟いた、その時。


 ドッ、と、地面が揺れた。


 悲鳴を上げるリゼを抱き、身を低くする。


 これまでとは一線を画する、不気味な鳴動。

 まるで地の底で巨大な獣が身震いするような。


 やがて揺れが収まったのを確かめて、リゼの無事を確認する。


「今のは……」


 胸が不穏に轟く。

 世界の根幹を揺るがす事態が起きていると、直感が告げていた。


「一度、中に戻ろう」

「あ……」


 追い縋るように宙を泳いだリゼの手を取り、後宮へ戻る。

 回廊には明かりが灯り、宮女や姫たちが慌ただしく行き交っていた。


「ロクさま」


 マノンが俺を見つけて駆け寄る。

 その顔は酷く青ざめていた。ただ事ではない。


「どうしたんだ?」


 短く問うと、マノンは固い表情で囁いた。


「王宮から早馬が。『瘴気の巣』を監視していた大隊が、壊滅したと……」


 背後でリゼが息を呑んだのが分かった。


 北の護りを固め、魔王の動向を掴むために派遣されていた、大陸屈指の精鋭部隊の全滅。


 それは、即ち。


 命を蹂躙する大災厄魔王の覚醒を意味していた。





 





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