第46話 精霊の森

 木々は青く繁り、吹き抜ける風は夏の香りがする。


 サーニャを捜して歩いていると、後宮の裏庭に、ぽつんと立ち尽くしている小さな姿を見つけた。


 声を掛けようとして、飲み込む。


 サーニャは一本の木を見上げていた。


 木の梢に掛かった巣から、一羽の雛が巣立とうとしている。


 懸命に羽ばたく雛を、少し離れた枝から親鳥が見守っていて――サーニャは透き通る金色の瞳で、小鳥の家族をじっと見詰めていた。


 あどけなさを残す横顔に、胸が小さく痛む。


 サーニャの家族――西方の騎馬民族であるビルハ族は、サーニャを残して魔族に狩られてしまったと聞いた。


 ビルハの人々は、家族同士の絆をとても大切にしていたという。おそらく民族全員が家族のようなもので、サーニャもその一員として、愛情深く育てられたのだろう。


 サーニャは普段感情を出さないが、共に旅をする中で、家族への想いや憧れの強さを感じる場面に何度も遭遇してきた。


「サーニャ。そろそろ出発だ」


 そっと声を掛けると、サーニャは振り返った。


 その顔はいつも通り、表情らしい表情を浮かべてはいなかったけれど、金色の双眸は寂しさの残滓を漂わせていて。


 細い銀髪をそっと撫でると、サーニャは黙って俺に頭をすり寄せた。




************************************




「まさか、エルフに会えるなんて」


 馬車の荷台から、リゼがうれしそうな声を上げる。


「私、幼い頃から、エルフの方々にお会いしてみたかったのです」


「分かるわ。絵本に出てくる、美しく気高く、神秘に包まれた種族。女の子の憧れよね」


 ティティが手綱を操りながら、喉を鳴らして笑った。


「それにしても国王様も、変な依頼を持ってくるよねー」


 旅人たちが連なる街道の先を見やりながら、俺は昨日王から聞いた言葉を思い出していた。


『どうも、エルフたちが護る『精霊の森』でいざこざが起きているようでな。勇者を寄越して欲しいと打診が来た。勇者でなければ意味がないと。何でもそなたは、ドラゴンと接触したこともあるとか。すまないが、行ってくれるか』


 承諾したはいいが、『精霊の森』で巻き起こっているといういざこざとドラゴンと、どう関係があるのだろう。王にも尋ねてみたが、何やらごにょごにょ言葉を濁すばかりで、とにかく現地に行ってエルフに話を聞くしかない。


 『精霊の森』に向かうのは、リゼとフェリス、ティティ、そしてサーニャといういつものメンバーだ。


「エルフって、本当にいるんだな」


 前世ではファンタジー上の存在でしかなかったので、不思議な気分だ。


 思わず漏れた呟きに、リゼが楽しげに解説してくれた。


「エルフはとても長命で、魔術に長けていると聞きます。人間とは和平を結んでいますが、普段は人前に姿を現すことはなく、森の奥でひっそりと生活を営んでいるそうです。自然や精霊と共に生き、動物たちとも心を通わせるとか」


「サーニャと気が合いそうだな」


 サーニャは俺を見上げてこくりと頷いた。


 エルフか。どんな人たちなんだろう。


 俺は新たな出会いに胸を高鳴らせながら、空を仰ぎ――












「この、粗暴で分からずやのドラゴンどもが!」


『貴様らに言われたくないわ、偏屈で気取り屋のエルフたちめ!』


 割れんばかりの怒号の応酬が、深い森に響き渡る。


「ええと……」


 『精霊の森』の入り口。


 二階建ての家ほどもあるドラゴンたち十体前後と、ずらりと居並んだ五十人ほどのエルフたちが、ただならぬ緊張感を漂わせながら対峙していた。


 睨み合う両者を前に、俺は頬を掻いた。


「あの、お取り込み中のところすみません」


 そっと声を掛けると、エルフの女性がはっと向き直った。


「失礼いたしました、勇者さま。よくぞいらして下さいました。長旅、お疲れでしょう。私は『精霊の森』を護るエルフを束ねる女王です」


 両手を広げてふわりと微笑む。


 人形のように整った相貌に、尖った耳。何もかも見晴るかすような色素の薄い瞳に、背中に流れる淡い金髪。端麗なその姿は、まさに想像したエルフそのもので――


『ふん、良い子ぶりおって。破れた化けの皮から、性悪な本性が見えておるぞ』


「゙あ゙あ゙ん!?」


 女王は鬼の形相でドラゴンを睨め付け――俺たちの存在を思い出したのか、こほん、と咳払いした。


 俺の後ろに隠れていたリゼが、おそるおそる尋ねる。


「あの、何があったのでしょうか?」


「それが、『精霊の森』に迷い込んだドラゴンの子どもが、行方を絶ってしまったらしく……『精霊の森』は、神秘に溢れた深い森。我々も手を尽くして探したのですが、見つからず」


 困り顔の女王に、一際大きなドラゴンが鼻を鳴らす。


『抜かせ! 大方貴様らが拐かしたのであろう、陰湿な耳長族め! く返せ、でなければ我らが直々に立ち入る!』


 なんだと! とエルフの男性が食いつく。


「言いがかりも甚だしい! そもそも貴様らのような乱暴者の侵入を、精霊王が許すわけがなかろう! 引っ込んでいろ!」

『ならばさっさと『世界樹の扉』を開いて、精霊王に助力を請え! なぜ『鶏鳴のハープ』を使わぬ!』


 ドラゴンの一喝に、女王以下エルフたちがさっと目を逸らした。


『……まさか、失くしたのか?』


 答える代わりに、不自然に視線を泳がせるエルフたち。


 ドラゴンの怒号が精霊の森を揺るがした。


『精霊王に繋がる唯一の鍵であるハープを失くしたのか、エルフどもォォオオ!』


「な、失くしたわけではない! ちょっと大事にしすぎて、いろいろ隠しているうちに、どこにしまったか分からなくなっただけだ! あるだろう、そういうこと!」


『ないわ! 我らから森の守護の任を奪っただけでは飽き足らず、古より続く無類の至宝を紛失するとは! この役立たずどもが!』


「何を! そもそも、三百年前にお前たちがちょっかいを出さなければ、こんなことにはなっていないのだ! 我々を責める前に、己が強欲さを恥じろ!」


『あまねく生き物の頂点であるドラゴン我らが世界の秩序を守るのは道理! 今度こそ潔く、精霊の森を明け渡すがいい!』


「何を言うか、精霊の加護を得て世界を我が物にしようと企んでいる不敬者どもめ!」


 舌戦が加熱するにつれ、ドラゴンの口から業火の先触れが溢れ、エルフたちの周囲に魔術の火花が飛び始める。


 立ち尽くす俺に、リゼがそっと耳打ちする。


「エルフとドラゴンは、八百年前に『精霊の森』の管理権を巡って争ったという言い伝えがございます。その時は、山が五つ消し飛んだとか」


「どちらも長命だから、長い年月を掛けて、色々な因縁が重なったのでしょうね。今も小競り合いが絶えないそうよ。……小競り合いと言っても、強大な力を持つ種族同士だから、局所的な災害規模になるけれど」


 そう解説してくれるフェリスの顔も強ばっている。


 事情はよく分からないが、どうやら一触即発だ。


 そして、割と大事おおごとだ。



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