第63話 夜の帳
奏は微かに笑うと、プレートメイルを脱ぎ、服の留め具を外した。
ためらいもなく開く。
その胸には、さらしが巻かれていた。
声を失う俺たちに、奏はいたずらっぽく笑った。
「
リゼが素っ頓狂な声を上げる。
「じょ、女性だったのですか!?」
さらしの上からでははっきりとは分からないが、肩の細さや丸み、柔らかな線は、どう見ても女性のそれだった。
――そして。
ためらいなく晒された滑らかな肌には、無数の傷が走っていた。古いものから新しいもの、浅いもの、深いもの――無惨に引き攣れた跡まで。
奏は何でもないような顔で服を整えた。
「後宮が用意されていることからも分かる通り、勇者は男性であることが前提とされていますね。実際、大陸史を紐解いても、これまでに召喚された勇者は全て男性だ」
俺自身、何の疑いもなく、勇者は男なのだと思っていた。
リゼたちも同じようで、呆気に取られたように立ち尽くしている。
「望まれない女勇者を召喚したとあっては、
ようやく腑に落ちる。
だから奏は、後宮には一度も立ち寄らなかった――いや、立ち寄るわけにはいかなかった。後宮を、パルフィーを守るため、自分が女であることを誰にも明かさず旅に出て、それ以来男として生きてきたのだ。
それまでのにこやかさから一転、奏は真剣な顔でリゼたちに向き直ると、深々と頭を下げた。
「オレの浅はかな行動のせいで、後宮の皆さんが辛い想いをしていると、風の噂で聞きました。本当に申し訳ありません」
「いいえ、そんな! 顔をお上げください!」
リゼが慌てて首を振る。
奏は間違っていない。複雑な事情を抱えている以上、後宮を避けるのは最善の行動だった。
それでも奏は真摯な瞳で俺たちを見詰める。
「償いになるか分かりませんが、オレで力になれることなら、何でもおっしゃってください」
俺は奏が携えた槍に目を向けた。
「その槍は」
「神器です。オレが旅立つ時に、寄り添ってくれた。この槍で、多くの魔族を倒して来ました。けれどまだ、魔王の手がかりを掴むには至っていません」
魔王の手がかりを探して大陸をさすらい、多くの魔族と剣を交えてきた勇者。
――彼女なら、何か知っているかも知れない。
俺はリゼに目配せして、奏に向き直った。
「奏。聞きたいことがあるんだ」
「オレで答えられることなら、何なりと」
「人を探してるんだ。この子の妹で、名前はシャロット。八年前に行方不明になった」
俺の言葉を引き継いで、リゼが口を開く。
「風の噂では、魔族に攫われたのではないかと」
「魔族に……」
「何か心当たりがあれば、教えて欲しい」
奏は少し考え込んで、リゼの腕に目を移した。
「失礼ですが、そのアザはいつ?」
「シャロットが行方不明になった時に。私も一緒に居たのですが、その時の記憶がなくて……瞳の色も、元ははしばみ色だったのですが……」
「…………」
奏は目を伏せたまましばし押し黙っていたが、やがて口を開いた。
「この付近で、幼い娘をさらう魔族の噂を聞きました。魔族の名は『
リゼが俺を見上げた。
「ロクさま!」
「ああ」
ようやく掴んだ手がかりだ。
『
奏が琥珀色の目を細める。
「もう日が暮れる、近くの森へ移動しましょう。野営の経験はおありですか?」
***********************
夜のとばりが降りた森に、ぱちぱちと乾いた音が響く。
たき火に枝をくべていると、湯気の立つカップが差し出された。
「どうぞ」
目を上げると、奏が微笑んでいた。
夏とはいえ、夜露に濡れた森はしんと冷えている。
礼を言ってハーブティーを口に含むと、優しい温かさが胃に染み渡った。
「見張り、代わりますよ」
「ありがとう。でも、まだ大丈夫だ」
奏は眠っているリゼたちを眺めながら、腰をおろした。
「……みんな、良い子たちですね」
「ああ」
奏の視線を追って、健やかで愛らしい寝顔に目を細める。
みんな大切な教え子であり、仲間であり、守りたい人であり、家族だ。
奏は俺を見つめていたが、静かに頭を下げた。
「本当に、ありがとうございます……って、オレが言うのも違う気がするんですけど……。彼女たちが幸せそうで良かった。後宮の主になってくださったのが、勒さんで良かった」
自分が去ったあとの後宮のことを、ずっと気に掛けていたのだろう。その声には、噛みしめるような安堵と感謝が滲んでいた。
最初は先代勇者の存在に戸惑っていたリゼたちも、奏の人柄と誠意を感じ取ったのか、日が暮れる頃にはすっかり打ち解けていた。
みんなではしゃぎながら野営の準備をする姿は、どことなく修学旅行を想像させた。
「仲良くなれて何よりだ」
「ずっとパルフィーと二人旅だったので、新鮮というか、懐かしかったですね。女子校時代を思い出しました」
「へえ。部活は? 何部だったんだ?」
「陸上部です。でもどこの部活も人が足りていなかったので、よくバスケ部とかテニス部の試合にも駆り出されてました」
そうか、と納得する。
あのしなやかな体捌きは、彼女が前世から培ってきた運動神経が成せる技だったのだ。
「でも、お礼が毎回タピオカだったので、もうしばらく見たくないですね。いや、もう見ることないか」
「分からないぞ。
「そしたら一緒にお店開きましょうよ。タピオカならだいたい飲み尽くしたんで、一家言ありますよ。マンゴーソーダ、豆乳ラテ、抹茶ミルク……あ、抹茶はこの世界にないのかな? いや、チーズティーを先取りするっていう手も……」
懐かしい単語がいくつも出てきて、思わず笑ってしまう。
──もしかすると、どこかですれ違っていたかも知れないなと想像してみる。くたびれたスーツを着た俺と、タピオカを手にして友だちと歩く制服姿の彼女と。
前の世界では交わるはずのなかった互いの人生が、
ふと気付くと、奏はカップを両手で包んでじっと何か考え込んでいた。
その髪が、たき火に照らされて金色に透けていた。
「髪……」
「はい?」
「地毛か? 綺麗だな」
奏は「ありがとうございます」とはにかんで、少しくせのある前髪を弄った。
「教師には、よく黒く染めろって怒られてました」
「元から短かった?」
「切りました、旅立つ時に。切って、その場で燃やしました」
背中まで伸ばしてたんですけどね、と何でもないように笑う横顔を見詰める。
見知らぬ異世界で、何の後ろ盾もなく、男のふりをして生きる。
並大抵の覚悟ではなかったはずだ。
俺は獣人の少女の寝顔に目を落とした。
「パルフィーとは、仲良くやってるみたいだな」
「これでも素直になったんですよ。出会った時はすっかりやさぐれてて、『どうせ自分なんか』が口癖で。何を聞いても、『別に』とか『どうでもいい』とかばっかりで。最近ようやく憎まれ口を叩くようになってくれたんです」
奏の笑顔には、屈託ない喜びが浮かんでいる。
パルフィーの背景を思えば、ここまで打ち解けたのはむしろ奇跡だ。
たった二人、旅を続けながら、月日を積み上げてきたのだろう。
「信頼されてるんだな」
奏は「だと良いんですけどね」とたき火に薪を放り込みながら笑った。
「あの子、すごく気難しくて、すぐ拗ねるんですよ。まあ、反応が可愛くて、ついからかっちゃう
無理しなくていいよと笑うと、奏は頬を染めながら頭を掻いた。
「おかしいな、今まで間違えたことなかったのに……なんでだろう、勒さんといると力が抜けるっていうか……」
奏はそうぼやきながらたき火を眺めていたが、ふと声を潜めた。
「あのアザ」
奏の言わんとすることを察して、俺は眠っているリゼに目を落とした。
「『開闢の花嫁』だと、
奏はしばらく目を伏せていたが、ゆっくりと口を開いた。
「……あれは、魔族が『魔の種子』と呼ぶものです」
「魔の種子……」
「旅の先々で、あれと同じ『魔の種子』を植え込まれた少女を何人か見て来ました。……その全てが魔の力に耐え切れず、人でも魔族でもないモノになり果てて、崩れ去ってしまった」
その横顔には、犠牲となった少女たちへの哀惜と、彼女たちを救えなかった自責が浮かんでいた。
琥珀色の瞳が、辛そうにリゼを見詰める。
「もし彼女が
俺は奏に向き直った。
「教えてくれ。魔族は何故、魔の種子を植え込んでいるんだ」
「……あれは、魔王に捧げられる生贄の印です。魔族たちは、人間の魔力に反する『魔の種子』を幼い娘に植え込み、育て、魔王の瘴気に耐えうる乙女を造り出そうとしている――それが何のためかは、まだ分かりませんが」
森に、深い沈黙が落ちる。
俺は顔を上げると、琥珀色の双眸を見詰めた。
「奏。お願いがある」
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書籍版『追放魔術教官の後宮ハーレム生活』
1巻 【4/20】 発売
ファンタジア文庫特設サイト【https://fantasiabunko.jp/special/202104harem/】
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