第2話 新居探し



事故物件で起こる怪奇現象に悩んでいた会社員の秋沢氏を「次の新居が見つかるまで」という条件の下で我が家に住まわせてから約2年が経過した。秋沢氏はいまだに新居を見つけきれず我が家に住み続けているが、それというのもある事情により私が新居探しを中断させたからである。

元々秋沢氏は生真面目で、我が家に住み始めて半年程は「迷惑がかからないように」とネットで目ぼしい物件を探しては休日を使って不動産屋に相談をしに行っていた。そうして不動産屋から目ぼしい物件の資料を幾つか貰って帰って来て私に見せてくれたが、そのどれもに問題があった。

新居探しにおいて秋沢氏が最も気にしていたのは「事故物件であるかどうか」である。なので秋沢氏が物件の資料を持って帰って来る度に私がネットで検索をかけていたが、彼が目星をつける物件はどれも事故物件だった。

基本的には「心理的瑕疵あり」と曖昧ながら恐ろしいものを想像させる文句が表示されたが、中には過去の事件がはっきりと記されているものもあった。


「僕って変な意味で引きが強いんですね」


資料を処分しながら秋沢氏が悲しげに呟いた。

それからも秋沢氏は根気よく新居を探したが、事故物件でない物件を引き当てることはできなかった。

そして秋沢氏が住み始めてから半年程が経ったある日、秋沢氏が仕事から帰るなり喜色満面にこのような報告をしてきた。


「新居が見つかりました」


いわく、秋沢氏の友人夫婦が現在住んでいるアパートを引き払う予定でいるので、友人夫婦の退去と同時に自分が契約しようと考えているのだと言う。


「友達が長いこと住んでたっぽいんで僕も安心して住めると思うんですよ」


自信満々に話す秋沢氏にどこか不安を覚えた私は「念のため調べてみない?」と言おうかと思ったが、秋沢氏の友人夫婦に失礼だと考え口を閉ざした。


新居発見の報告から約10日程経ったある日曜日、秋沢氏は件の友人夫婦の引っ越しの手伝いをすると言って朝から出掛けていった。私も一緒に手伝う約束をしていたが、突如仕事仲間の金本氏と会う用事ができてしまった為に秋沢氏よりも少し遅れて友人夫婦のお宅に伺うことになった。

金本氏と会っている間、ちらりと引っ越しのことを話すと「あれそこ幽霊マンションじゃないすか?違ったっけ?」と言われ嫌な予感がした。

金本氏との用事を済ませた後、私は早足で友人夫婦のお宅に伺った。

道中、金本氏の言葉を思い出しながら「もし本当に幽霊マンションなら、またしばらく同居生活だろうか」と考えた。

それはそれで良い。むしろそっちの方が良い。秋沢氏との同居は「常に他人の目がある」というデメリットを除けばメリットしか無かった。家賃を折半することでお互い少しだが貯金をする余裕ができた。会社員である秋沢氏の生活リズムに合わせることで自分の生活リズムを見直すことができた。そして何より自宅に話し相手がいると寂しくなくてよかった。

あの決して広くはないが狭くもない我が家に再び自分の声だけが響くようになる様を想像しているうちに、私は秋沢氏の友人夫婦のお宅であるアパートに着いた。外壁が薄いピンク色に塗られた外4階建てのアパートにしては大きい建物。

そういえば何も考えずに聞いていたが、金本氏はこのアパートを"マンション"と呼んでいた。アパートとマンションを呼び分ける基準は忘れたが、これならどちらにも見えるだろう。

そう考えながら階段を上がり、友人夫婦のお宅があるという3階の角部屋前のインターホンを押した。反応が無い。すみませーん、秋沢の知人でありますがーと声をかけると、ややあって扉が開き、秋沢氏が憔悴した様子で出てきた。


「目に見えて疲れてんね」


私が言うと、秋沢氏は私の顔をまじまじと見つめ「よかった」と呟いた。


「え、なにが」


「ドア開けてて。手ェ離さないで」


そう言って秋沢氏は奥へと消えていった。

訳もわからずドアを手で支えていると、奥から人の話し声が聞こえた後秋沢氏と友人夫婦らしき男女がそれぞれ段ボール箱を抱えて出てきた。


「僕も運ぶよ」


「いやドア持ってて」


秋沢氏の通りすぎ様に声をかけたが鬼気迫る表情で拒絶されてしまった。

全ての荷物を外へ運び出した後、戻ってきた秋沢氏に手を引かれ訳がわからないまま建物を出た。

駐車場に行くと荷物をバンに積み終えた友人夫婦が息を切らしながら「ありがとうございました」と仰った。


「ドア持ってただけですけど」


「いや、助けて頂きました」


ご主人は私に握手を求め、奥様はその場で涙ぐんだ。いよいよ危ない集団を相手にしているような気分になった私は秋沢氏に助けを求めた。


「どうしたことよ」


「皆助けられたんですよ」


ニコニコと秋沢氏が笑う。この人まで危ない人になったな、と思ったところで秋沢氏が説明をしてくれた。

朝、秋沢氏が友人夫婦のお宅を訪れた時、荷造りは既に終わっていて後はご主人の用意したバンまで運ぶのみといったところだった。

しかしいざ荷物を部屋から運び出そうとすると、突然部屋中に壁を叩くような音が響き始めた。

音はあらゆる場所から聞こえたが、両隣の部屋からのものが一番大きかったが、ご主人いわく両隣は無人だという。

秋沢氏達はなるべく気に留めないようにして荷物を持ち玄関を出ようとした。すると今度はドアを何度も叩く音が聞こえ始めた。

どういうことなのかと秋沢氏はご主人を問い質したが、ご主人は顔を青くして首を横に振るのみだった。

とにかく音が響くだけであれば荷物を運び出そう。そう考えた秋沢氏はドアスコープを覗き、そして声を上げた。ドアの向こうに全体が赤黒い人形のようなものが立っていた。

秋沢氏はご主人に見たものを話し、私かもしくは他の誰かが来るまで家に籠るよう提案した。ご主人は元々非科学的なものを信じない人間だそうだが、この時ばかりは秋沢氏の言葉を信じ家に籠ることに賛成した。

それから気が遠くなる程の時間、音に悩まされ続けた。時折奥様が痺れを切らし外に出ようとするのを秋沢氏とご主人の二人で宥めて落ち着かせた。そうしていると突然音が止み、間もなくしてインターホンが鳴らされた。それが私だったという。


「じゃあつまりまた事故物件だったの?」


私の問いにご主人の顔が曇った。

続けて秋沢氏が「そうなの?」と聞くとご主人は小さく「ごめん」と呟いた。


「ごめんってちょっと」


「不動産屋から聞いてたけど、あんま信じてなかった」


ご主人いわく、契約前に行った部屋の下見の際、不動産屋の男性からこのような説明を受けたという。


「気を悪くしないでくださいね。時々クレームが来るからお客さんには先に教えておきますね。ここね、"出る"って言われてるんですよ」


"出る"という表現にご夫婦はピンときたそうだが、非科学的なものを信じないタチである為に「気にしませんよ」と返したという。しかしいざ引っ越してみると、ご夫婦でも不自然に思うような現象が次々起こり始めた。

まずは何もしていないのに水道の蛇口が勝手に開く現象から始まった。その次はトイレの中に一瞬だけ髪の長い女性が見えるようになり、今度はテレビの画面が数秒ほど人の顔に占められるようになった。

ご夫婦は3ヶ月程耐えたが、とうとう限界が来た。そして引っ越すことにしたという。


「お前長く住んでたって言ったじゃん」


詰め寄る秋沢氏にご主人はただ「ごめん」と謝るのみだった。

その後話し合いの末に二人は和解し(元々そんなに険悪にもなっていなかった)、私達はご夫婦のバンが新居へ向かうのを見送り家に帰った。

家に着くなり秋沢氏が「また1から新居探しですね」と呟いた。こんな時に何か気の利いた一言でもかけてあげられれば良いのだろうが、私の口から出たのは「いや君しばらく新居探しやめた方がいいわ」という一言だった。

彼が持ち前の引きの強さにより今後も事故物件にぶち当たるであろうことへの懸念と、まだしばらく同居生活を続けていたいという私の勝手な願望から捻り出した言葉であったが、我ながら冷たい言い方をすると言った直後に後悔した。

しかし秋沢氏は特に気にしておらず、それどころかモヤが晴れたように表情が明るくなり「まだお世話になってもいいんですか?」と聞いてきた。


「正直ちょっとストレスだったんです。休み潰して新居探しに行って、でもいつまで経っても見つからなくて。肩の荷が降りた感じがします」


晴れやかな笑顔を見せる秋沢氏に半ば気圧されながら、私は「僕も話し相手が出来るから」と返した。

秋沢氏の笑顔が僅かに照れ臭さを含んだ。


この数日後、以前秋沢氏と出会った時にお世話になった知人但馬氏を交え、秋沢氏の友人夫婦の住んでいたアパートで起きたことについて調べた。

アパートは築十数年と比較的新しいもので、何か事件・事故があれば記録が残っていそうだが一切見つからず、秋沢氏が見た赤黒い人の正体もおおよそすら掴めなかった。


「○野不○美の本みたいな話かもしれませんよ。アパートができる以前に何かあった、みたいなやつ」


細かく調べてみますか、と但馬氏が提案したが、そんな気力は秋沢氏ともども持ち合わせていないので結構ですとお断りした。


そんなこんなあり、秋沢氏はもう2年と少し程我が家に住んでいる。丁寧語だった話し方はすっかり砕け、少しばかりお小言を言うようになった。

秋沢氏は新居を見つける気などもう無いようだが、それでも稀に不動産屋の広告が入ると目を通す。そしてこれと思った物件をネットで調べると例によって「心理的瑕疵」の文字が出る。

まるで秋沢氏がこの家に縛りつけられているようだと思った。それでなければ、変な言い方になるが"運命"か─


『運命の人は、必ずしも異性とは限らない』


昔なにかのCMで流れた言葉を思い出した。

運命ということにしておくか。そう思いながら、私は不動産屋の広告を処分した。

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