第58話 あぶらとり紙の女

※今回の主人公は黒牟田初郎でも身近な人でもない赤の他人です。




俺は勤め先へ通うのに自宅のアパートから歩いて7分のところにあるバス停を利用している。バス停に着くまでの道のりは閑散としたもので、狭いコンクリート道路を挟んで古い一軒家と小さな畑がモザイクの様に乱立し、そこを抜けても1件のコンビニと新興住宅に挟まれた大通りがあるのみ。

この何もない道を毎日往復するのが俺の日常だ。件のコンビニの品揃えの他に変わるものは無く、ただただ同じような日々を過ごす。別に大した不満は抱いていないが、しかしあまりにも同じような日々が続くと変化を望んでしまう。例えば可愛い子が通らないかなぁとか。

いっそのこと通勤路を少し変えてみようか。ある日そんなことを考えながら家を出たが、すっかり癖付いていた為か身体はいつもの道へ足を運んでしまい、仕方無いかとそのまま歩を進めた。すると、前方を女性が歩いているのが見えた。俺と進行方向が同じな為に顔は見えないが、流行りのコートを羽織り踵の低いパンプスでペタペタと歩く姿が若そうな印象を与える。

あんな子いたんだ。可愛かったら声をかけようと、女性を追い越すフリをして顔を見る。そして思わず目をそらした。女性の顔には仮面の如く目の部分に穴の空けられたあぶらとり紙が巻かれていた。穴から覗く目は俺のことなど興味無いと言わんばかりに真っ直ぐ進行方向を見つめている。

関わっちゃいけない人かもしれない。俺は足を速め女性と距離を置いた。バス停に着くと、俺は「同じバスに乗り込まれたらどうしよう」と不安になりしばらく自分が出て来た小道を睨み続けたが、あの女性が道から出て来ることは無かった。


その日の帰り道も、俺はあの女性と出くわした。バス停を降りてコンビニでカップ麺を買い、大通りから自宅へ続く狭い道へ入った矢先。あの女性がまた俺の数m先を歩いているのが見えたのだ。

今度から時間ずらそうかな。顔を見ないようにしながら女性を追い越し、俺は自宅へ駆け込んだ。途中で振り返られなくて良かったと安堵した。


翌朝、勤め先へ向かう為に家を出た俺は思わず「ぉわ!」と声を上げてへたり込んだ。あの女性がアパートの玄関に立っていたのだ。例によって穴の空いたあぶらとり紙を顔に巻いて。しかし目は俺の方を見つめて。俺は女性から目をそらし、黙ってその場を過ぎ去った。

大通りまで向かう間、女性のものらしきペタペタとした足音が背後から聞こえてきた。まるで追いかけられているような気がして頭が狂いそうになった。今度こそバスに乗り込んで来るんじゃないかと思ったが、大通りに出ると女性は追ってこなくなった。


その日の仕事終わり、俺は勤め先から歩いて10分程のところにある繁華街をうろついた。自宅に帰りたくなかったからだ。あの狭い道へ入ればまたあの女性と出くわし、下手すれば追いかけられるかもしれない。一応あの道以外にも自宅へ続く道は存在するが、そこに彼女が現れないとは限らない。

今日はビジホに泊まろう。そう決め込んで、繁華街の端にあるビジネスホテルの密集地帯に向かった。するとその途中で懐かしい人物と再会した。茶色の短髪に濃紺のスーツ、ビジネス用のリュックという姿をした、背が低く童顔な男。高校のクラスメイトだった秋沢だ。高校時代、俺と秋沢は同じ友達グループの輪にいたが大して仲が良かったわけでなく、むしろグループのリーダーに取り入っていた秋沢を俺は内心毛嫌いしていた。

よりにもよってコイツに会うなんて。人好きしそうな笑顔で近づいてくる秋沢を無視しようかと思ったが、しかし一応は同じ友達グループだったわけだしとこちらも笑顔で応対した。ついでに世の中には人に話すことで伝染する怪談が存在することを思い出したので、秋沢に伝染することを願いながらあの女性のことを話した。秋沢は俺の話を聞き終えるや「やばー!」と身震いしたが、続けて思いもよらぬ言葉を投げかけてきた。


「友達に言ったらどうかしてくれるかも。これから会うけど行く?」


何だその友達。怪しさ満点だが、すごく興味がある。俺は秋沢に怪談を伝染させられなさそうなのを少し残念に思ったが、しかしその友達とやらを見てみたいし仮にソイツのおかげで女性が現れなくなったら万々歳なので秋沢についていき友達とやらに会うことにした。


秋沢と昔話をしながら碁盤上に建物の並ぶ繁華街を巡ること5分、中心部にある公園沿いの、外壁の汚れた薄暗いビルの2階にあるバーへと入った。青色の灯りに彩られEDMが流れる薄暗い店内。まだ夜の7時頃だからか客は少なく、カウンターに女性が3人と奥のテーブルに男5人のみ。ただこれが全員癖の強い見た目をしており、女性3人組は強めのアイメイクに真っ赤なリップという絵に描いたようなパリピで、男5人組は全員が全員髪を染めるか刈り上げるかパーマをかけるかしており1人に至っては眉毛が無い。

漫画に出て来る小物のチンピラみたいで嫌だなこの集団。通勤路の女性程では無いが関わりたくないと思った俺は別の所で友達とやらを待とうと秋沢に持ちかけようとしたが、それよりも前に秋沢が男達に話しかけにいったので思わず「おいおいおいおい!」と声を荒げた。


「いいから!他の所で友達待とう!」


「え?いやこの人達だけど」


「は?」


頭にハテナを浮かべながら改めて男達を順々に見比べたがやはりどう見ても小物のチンピラなので、俺はこう思った。秋沢、遊ばれてない?と。

馬鹿正直に通勤路の女性の話をしたらめちゃくちゃに笑われそうなのでやめておこう。そう思って踵を返そうとしたが、そんな俺を引き止めるが如く秋沢が俺を指しながらこう言った。


「なんかやばい女の子に尾けられてるって」


俺は身体から血の気が引いていくのを感じた。

なんで話の核心から入るんだこのチビ。秋沢を恨みつつ「大丈夫ですんで」と再び踵を返そうとしたが足がもつれて転んでしまい、男達から「落ち着いてね」とソファに座らされてしまった。


「話しとけよ。話すことで解決することだってあるかもしんないし」


秋沢が促すのに男達がそうそうと頷く。その目に宝物でも見つけたような輝きが見て取れて、俺の話を興味本位だけで聞こうとしているのが見て取れる。

この無神経チビめ。秋沢を恨みつつ俺はもうどうにでもなれとあぶらとり紙を顔に巻いた女性のことを話した。話の間、男達は意外にも真剣に話に聞き入っていた。そして話し終えると眉なしの男─黒牟田が「なんか気持ち悪いですね」と言った。


「ていうかその人生きてる人なんですかね?」


「わかんないす…」


「まあ生きてた方が気持ち悪いか」


黒牟田の言葉に「確かに」と頷く。幽霊なんて普段は信じていないが、あの不気味な女性が生きた人間だったらそっちの方が何を考えているかわからなくて恐ろしい。


「そこって昔事件とか無かったんすかねー」


続いて金本というパーマをかけた茶髪の男が質問をしてきた。頭の悪そうな話し方をしているがこれでも出版社で編集業務をしているという。人とは見かけによらないようだ。

それはともかく事件というと、俺の近所では何年か前に若い女性が行方不明になっている。一瞬まさかと思ったが、しかし行方不明になった女性の身長はニュースいわく150cmで、それに対しあぶらとり紙の女性は俺とほぼ変わらない身長…165~170cmはあった。全くの別人だ。それを話すと金本は「そうすかー」と返して頭を抱えた。

なんだ、この人達ちゃんと話を聞いて一緒に考えてくれるんじゃないか。見た目だけで疑うなんて申し訳無いことをしてしまった。心が温かくなり目頭が熱くなったのも束の間、金本の先輩である樹という男が背筋の寒くなるような質問をぶつけてきた。


「女性の持ち物とか、見覚えのあるものはありませんでしたか」


樹は女性が赤の他人でなく、知人の誰かだと言いたいらしい。そういえば女性が履いていたパンプスは昔付き合っていた彼女がよく履いていたものだっけか。コートだって彼女が「欲しかったんだ」って言いながらお披露目してきた奴と同じで、そうそう女性が中に着ていたセーターもそうだ。当時は彼女が好きだったけど照れ臭くって思わず「何着てもブスだな」なんて言っちゃったりして…。

そこまで話したところで、俺の額から冷や汗が流れた。


「アイツ彼女です…」


悪寒に襲われて手足が寒くなる。別れたのはとっくの昔なのに、どうして今になって現れたのだろう。あんな不気味な姿で。

俺は助けを求めるように男達に視線を向けたが、男達は興醒めしたような、どこか見下すような目つきで俺を見ていた。


「何すか。何なんすか」


「いやぁちょっと…しばらくそのままにしといたら?」


「ねぇ…良い薬になると思うよ」


掌を返したように辛辣な態度を取り始めた男達に困惑していると、細木という美容師の男が「サイテーだわ」と俺を指差した。


「恋人に褒め言葉の1つもかけられないってどうなってんの、お前の頭」


「えっそっち!?いや、照れ臭いじゃないすか…愛情の裏返しみたいな…」


「あーあーあー出たよ出たよ!"愛情の裏返し"!ただの悪口だろーが!自分の女を胸張って可愛いって言えてこそ真の男ってもんでしょーが!えぇ!?」


男達から「よっ大将!」と歓声が上がる。後ろのパリピ女3人組からも拍手が上がる。晒し者にされているようで恥ずかしい。


「なんかお酒も不味くなってきたしそろそろお開きといきますかー」


黒牟田の一声で男達が一斉に立ち上がる。


「いやいやいやいやなんでよ!なぁ秋沢おかしいだろアイツら!」


俺は秋沢の袖を掴み引き止めたが、秋沢は「無理!」とだけ叫んで俺の手を振り払った。

なんでだよ。俺は最後の希望を見出だすが如く店を出る男達の最後列にいる中国人の男に目を向けた。中国人は俺の視線に気づくと鼻で笑いながらこう言った。


「お前の中の中国がどんなんか知らんけど、俺の父さんは母さんのこと毎日『綺麗だね』って褒めてたよ」


男達全員に見放された俺は店の真ん中で途方に暮れた。しかしパリピ女3人組からクスクスと笑い声が聞こえてきて屈辱的な気分になったのですぐに店を出た。俺の飲み代は既に支払われていた。


それから俺は繁華街を出て自宅に戻った。小道で彼女を捕まえ、俺に妙な悪戯をした理由を問い質すつもりでいたが、彼女は現れなかった。

翌日も、翌々日も彼女は現れなかった。気味の悪いことが何もないただの通勤路に戻った小道を俺は有り難がりながら、しかしまたどこかから彼女が出て来るんじゃないかと疑いながら通った。




彼女が亡くなっていたことを友達伝いに聞いたのは、それから2~3日が経ってからのことだ。

彼女は俺と別れて間もなく、傷心旅行で訪れた山で滑落し亡くなったらしい。

俺を責めるような口調で話す友人に苛ついて、俺は彼女を知る友人のSNSを全てブロックした。

俺は悪くない。

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