第13話 箪笥のお兄さん

私の同居人である秋沢氏の実家には、観音開きの大きな箪笥がある。秋沢氏のお父様がアジア諸国のどこかから輸入してきたもので、螺鈿で描かれた多種多様な鳥がキラキラと輝く美しい品だ。

最近、この箪笥の老朽化に当たり廃棄しようとした矢先、妙な現象に見舞われるようになったらしい。


ある夜中、尿意で目覚めた秋沢氏のお父様がトイレに向かっていると、自分の足音の他にもう一つ、ヒタヒタとした足音が聞こえることに気づいた。つい先程細君─秋沢氏のお母様がぐっすりと眠っているのを確認していたお父様は、もしや泥棒かと思いバットを携えて音を辿った。

音は元子供部屋─秋沢氏が帰って来た時に泊まれるように整えた部屋から聞こえた。お父様はバットを構え、恐る恐る部屋に近づいた。すると、部屋のドアから人が湧き出てきた。湧き出てきたというよりも、部屋の中からドアをすり抜けて出てきたようだ。その人は薄汚れたワイシャツと裾を捲ったスラックス姿の若い男性で、彼は元子供部屋から出るとお父様など目もくれず、またヒタヒタと歩き出した。

はて夢か?それとも幻覚か?お父様が男性の後ろを恐る恐るついていくと、彼は仏間へと入っていった。その仏間に、件の箪笥があるそうだ。


また、お母様はある日の昼頃、件の箪笥をいつでも廃棄に出せるよう、中のものを取り出そうと扉を開けた。中身は主に着なくなった服と鞄で、良い機会だしそれらも処分してしまおうと考えていた矢先、箪笥の奥に目をやったお母様は愕然とした。

奥の壁に人の顔が浮かび上がっていた。顔はまるで子供が描いたような稚拙なものだったが、それでも気持ち悪い。

お母様は箪笥を開けないようにしたという。


ご両親は自分達の身に起きた奇怪な現象に対し、どんな対策を施そうかと考えた。夏の心霊番組に出てくるような霊媒師に依頼すれば良いのかもしれないが、どうにも胡散臭くて気が進まない。かといって懇意の寺も無い。

困り果てたご両親は、ダメ元で秋沢氏に電話をかけた。




…というクソ長い前置きがあって、私は秋沢氏の実家に呼ばれた。

輸入物の箪笥とあって、ワイシャツの青年が外国人だったら(言語的に)対処が難しいと考えた私は、お世話になっている出版社の金本氏にお願いしアジア方面の外国語が話せる方を動員してもらった。

金本氏は二人の男性を動員してくれた。

一人は以前、私と一緒に唐辛子グッズを買い漁った(やや語弊あり)ライターの木村氏。そしてもう一人は金本氏が兄貴と呼び慕う編集者の雷門氏だ。

中心市街の駅で彼等と合流した時、私と秋沢氏は雷門氏の脚が尋常でなく長いことに驚かされた。白く清潔感のあるTシャツをタックインするという着方が脚の長さを更に強調しており、私は秋沢氏と「あんな小さな出版社に置いとくのもったいねえべな」と囁き合った。


それから木村氏の軽自動車で中心市街から南西に20分程走り、住宅街の中に建つ秋沢氏の実家を訪れた。

彼の実家は2階建ての一軒家だが、シェアハウスの類いと見間違えそうな程には大きく、木村氏と「この子が神に与えられなかったのは身長だけだな」と囁き合った。

家にお邪魔すると品の良いお母様が「あらまあよくお越しで」とにこやかに出迎えて下さった。


「お母さん、例の箪笥だけど」


「ああ、仏間に置いとるよ。アレ気にしててくれたんな。あんた本当に優しいなぁ」


お母様に案内され、私達は件の箪笥と対面した。箪笥の特徴は冒頭に書き記した通りであるが、螺鈿で精巧に描かれた鳥は今にも飛び出してきそうな程躍動感に溢れており、廃棄じゃなくてどこかに寄贈した方がいいんじゃないかと内心考えた。

するとしばらく見とれていた雷門氏が「ちょっと中を失礼」と扉を開けた。その先、奥の壁には確かに人の顔が描かれていた。子供がクレヨンで描いたようなクオリティではあったが、引かれた線ははんだごてでも押しつけたように焦げついており、人の仕業ではないことを物語っていた。

雷門氏はしばらく顔を眺めると、何か思いついたように箪笥の中へと入り扉を閉めた。そしてしばらく何か呟いた後で、そっと扉を開き木村氏を呼んだ。

木村氏は戸惑いながらも箪笥の中に入っていき、それから「ほぉあっ」と甲高い声で驚いたと思ったら、二人で何やら話し始めた。

そうして5分程箪笥の中で何やら話し続けた後、二人がニコニコと笑いながら出てきた。何が起きたのかわからず戸惑い、半ば気持ち悪ささえ感じている様子の秋沢氏に雷門氏が声をかけた。


「君、小さい頃よくここに閉じ込められてたでしょ」


え、そうなの?と尋ねると、秋沢氏が驚いたように「そうです」と答えた。


「悪戯をしたお仕置きによく閉じ込められてました」


「その時、いつも慰めてくれるお兄さんいなかった?」


「あー…確かにそんな記憶があります。イマジナリーフレンド的な奴かと思ってたんですけど…まさか…」


次は君の番だよと木村氏が箪笥を示すと、秋沢氏が弾かれたように箪笥の中へと駆け込んでいった。

木村氏も一緒に入って何かを話し始め、その間に雷門氏が私に説明をしてくれた。


「例のワイシャツの人、箪笥の職人さんみたいです。無類の子供好きらしくて、この箪笥が廃棄される前に、昔この中で泣いていた子供─秋沢くんが元気かどうか確認したかったそうです」


いい話ですねぇと二人でしみじみしていると、秋沢氏が目蓋を腫らして出てきた。


「お兄ちゃんと話せて良かったです。ありがとうございます」


流れる涙を拭いながら頭を下げる秋沢氏の後ろから、続いて木村氏がしゃくり上げながら出てきた。


「よかったねぇ秋沢君、おじさん涙止まらないや」

「木村さん、ありがとうございました。ありがとう…」


そういえば木村さんは何故一緒に入ったのか、と問うと雷門氏が「通訳です」と答えた。


「職人さんの言語がですね、私も半分くらいはわかるものだったんですが、木村さんの方が得意だと事前に伺っていたのでお任せしました」


適材適所ってやつですよ、と雷門氏が煙草を持つような手つきをしながら言う。


「もしかしてそれ、ゆうきさんの真似ですか?」


前に秘湯の件でお世話になった出版社の事務員さんを思い出しながら尋ねると、雷門氏が「うん」と答えた。

あの人、会社でも同じこと言ってんのか。

ここで秋沢氏のお母様から「ホットケーキ焼いたけどいかがですか」とお誘い頂き、私達は獲物に群がるハイエナの如くリビングに寄り集まった。甘いシロップとしょっぱいバターが染みた熱々ふわふわのホットケーキを頂きながら秋沢氏の子供時代の話を聞くことができた。その話の中で何か秋沢氏の弱味に繋がるものが無いかと耳をダンボにしたが、彼の欠点といえば少々学業の成績がよろしくなかったぐらいで特に弱味になるようなものは無く、木村氏、雷門氏と三人で「身長と引き替えに恵まれた人生を手に入れたな」と囁き合った。


秋沢氏のお宅を出たのは空が僅かに暗くなってからだった。

帰りがけ、秋沢氏が「身長の話全部聞こえてたぞ」と言うので3人で秋沢氏を取り囲み駒のごとく回していると、突如秋沢氏の名前を呼ぶ男性の声が聞こえた。秋沢氏のお父様だった。カツアゲだと思われたようで誤解を解くのが大変だった。




後日、秋沢氏から箪笥職人の青年が出てこなくなったことを聞かされた。箪笥の中の顔もいつの間にか消えていたらしい。


「箪笥は中を所々虫に食われてたらしいから処分するらしいけど、そうしたらお兄ちゃんはどうなるんだろう」


寂しげに言う秋沢氏に、私は「どこかの家の箪笥に住み着くんじゃない?」と答えた。


「君みたいに箪笥に閉じ込められた子供の前に現れて、その子の思い出になるんじゃないの」


「優しい思い出だね」


僕達もお互いに優しい思い出になりたいね、と言ってこの話を締め括った。

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