第12話 訪問者
裏の山中からウグイスやメジロの声が聞こえていた覚えがあるので、恐らく3月~4月の間のことだと思う。
私は母から「祖母ちゃんの家を引き払うことになったから片づけを手伝え」と緊急召集を受け、祖母ちゃん家─母の実家がある集落を訪れた。
母からは「なるべく人手が欲しい」と言われていたので、仕事が休みだった同居人の秋沢氏にも来てもらった。
私の軽自動車でカーブだらけの峠を抜け、山と海に挟まれた小さな集落に辿り着いた途端、秋沢氏が「すげえ」と感嘆した。
峠の上から見えたのは古さびた一軒家の密集した集落と、その右手に広がる砂浜。そして青々とした海。私は子供の頃から年1~2のペースで通っているのですっかり見慣れていたが、市内の新興住宅地で生まれ育った秋沢氏にとってはかなり感動的な光景だったらしい。
集落に降りた私達は、集落と砂浜の間を突っ切る大通り沿いに建つ集会所前に車を停め、集落の奥、山寄りに位置する祖母宅に向かった。
祖母宅では既に私の両親や叔父夫婦、従兄弟の洋ちゃんが片づけを初めており、秋沢氏の姿を認めるなり「これはまあまあ」と頭を下げた。
私達は用意された軍手を嵌め、女衆が廃棄用と保管用に分別した家財道具等を外に運び出した。途中、両親が風呂場で何やらヒソヒソと話していたので聞き耳を立ててみたら「友達連れてくるっち言いよったけん彼女かと思った」とのことだった。聞かなければよかった。
抉られた心を慰める間もなく叔母の分別した家財道具を運んでいると、秋沢氏から「お客さんが来た」と呼び出された。
玄関に出てみると、花柄のワンピースを着た若い女性が立っていた。
「まさこちゃん、いらっしゃいますか?」
"まさこ"とは祖母の名前である。
実はこの時、祖母は数年前から発症していた認知症が酷くなった為、山ひとつ越えた先の施設に預けられていた。
まさこ"ちゃん"なんて、こんなに親しい呼び方をされるような相手が祖母にいたのか。そう思いながら祖母の行方を説明すると、女性が目を丸くした。
「実はまさこちゃんにネックレスを貸していたのです。金色で、赤い宝石が嵌め込まれていて…」
「おお、かなり良いタイミングで来ましたね。ちょうど片づけをしていたんですよ」
ネックレスならあの辺かな、と私は既に運び出していた鏡台の引き出しを探った。
ネックレスはすぐに見つかった。細かい細工の施された額に鮮烈な赤色の宝石が嵌められた豪奢なものだった。
私が「これですかね」とネックレスを女性に渡すと、彼女は「これです」と少し泣きそうになりながら答えた。
「良ければ施設に会いに行ってやって下さい。喜びます」
「ええ、是非ともそうさせて頂きますわ。お忙しい中なのに探して下すってありがとうございました」
女性はペコリと一度頭を下げるとそのまま立ち去っていった。
育ちの良い人だなーと思いながら作業に戻ると、古ぼけたアルバムが目に入った。気まぐれで開いて、そして目を疑った。真っ先に開いたページに貼られた白黒写真に、あの女性が写っていた。祖母宅を背景にして、あのワンピースを着て佇んでいた。
えっそういう奴だったの?私は秋沢氏を呼んで写真を見せた。秋沢氏も「さっきの」と目を見開いたが、すぐ「友達じゃない?」と言った。
「数十年前にお祖母様に貸したネックレスを返してもらいに来たみたいな。良い話じゃん」
「良い話かなぁ」
あまり腑に落ちないながらも「恐ろしいものじゃなくて良かった良かった」と作業を再開した。後で母に女性のことを聞いてみようと写真を抜き取ってポケットに突っ込んだ。
一通りの片付けが終わった後、叔父夫婦宅で夕飯を頂いた。
食卓には潜り漁をしている叔父が用意した栄螺や鮑、ウニ等のなかなかお目にかかれない品々が並び、温かい白米の上にウニをたっぷりと乗せ、その上に卵黄を飾るという罪深い料理に秋沢氏が悶絶した。
食卓の料理を殆ど平らげたところで、私はあの写真を取り出し両親や叔父夫婦に見せた。
「この人誰かわかる?」
まず母は老眼鏡で女性の顔を見つめながら「誰やこれ」と言った。続けて叔父夫婦が「知らんなあ」と答えた。
「祖母ちゃんの友達はだいたいわかるけどこの人は知らんなあ…」
母が呟いた後、叔父がこう言った。
「なんかその写真こええなあ。なんでかわからんけど。なんかずっと見ちょきたくねえわ」
確かに、と全員が頷く。
その人に祖母ちゃんの居場所教えたんだけど、とは言いきれなかった。
その日から現在に至るまで、祖母の身に異変は起きていない。強いて言えば寝小便をしたぐらいである。
ちなみに祖母があのネックレスをどういう経緯で手に入れたのか、母に尋ねてみたが「そんなネックレスは知らん」とのことだった。
私達の方も何事も無く平和に暮らせている。
変わったことといえば、秋沢氏がスーパーでウニとにらめっこをするようになったことぐらいである。
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