第9話 風になりたい

私が日頃お世話になっている出版社の編集者である金本氏には細木氏という従兄弟がいる。彼は自分の店を持った美容師であり、私の右側頭部に大きな剃り込みを作った張本人である。

2ヶ月前、毛が伸びかけていた剃り込み部分を直して貰っていたところへ細木氏がこのような話を始めた。


「俺さ~事故車掴まされたかも~!そこのバイク~!」


不穏な切り出しをしながらもギャハハと笑う細木氏に示されて、ウィンドウの側に置かれた大型バイクに目を向ける。黒を基調にしたボディの前方に大きなライトが一つつけられた、所謂ネイキッドバイクという奴だ。手入れがきちんとされているようでパッと見は全くの新車に見えるのだが、よく見れば目立たない場所に傷や錆が見受けられ、そこそこ年季のいったものであることを物語る。


「中古車?乗るの?」


私が尋ねると細木氏はまたギャハハと笑いながら「乗らないよ~!」と答えた。


「インテリア用だよ!前々から置いてみたいと思ってたんだけど~、そしたら中古車ディーラーのダチがすっげー安く売ってくれたの!」


「でも事故車だったと」


「確証は無いけどね~!でもアレ置いてから色々変なんだよね~!聞いて聞いて~!」


以下、細木氏の話である。


細木氏が店のインテリアとして件のネイキッドバイクを置いたのは、私が訪れたこの日からつい3週間程前。中古車ディーラーの知人から囁かれた「安くてかっこいいバイクがある。店に置いてもいいし実際に走ってもいい」という売り文句に惹かれて買ったものだという。

バイクを店に導入した当初、その大柄で無骨なデザインに惚れ込んだ細木氏は「良い買い物をした」とアシスタントや客に自慢して回り、暇さえあればバイクを隅々まで眺めた。

しかし1週間程経った頃、店の中で妙な現象が起こり始めた。


「僕はもっと前から気づいてましたよ!ワックスが極端に減ったり!」


トイレからアシスタントの純也君が顔を出すのを細木氏が「いいから」と再びトイレに押し込んだ。


以下続きである。


ある日の早朝、細木氏が開店準備をしていると、どこからか硝子の割れる音が聞こえてきた。音は店の中で鳴ったようだが、店中を隈無く調べても何かが割れた形跡は見つからなかった。翌日はバイクのエンジンがかかる音が聞こえた。その翌日は空吹かしをする音。

そして昨日。店を閉めた細木氏が純也君への労いとしてジュースを買いに出た後、店に戻る途中で純也君が何かから逃げるように走ってくるのに出くわした。


「おい、店空けんなよ」


「ヤスノリさぁん(細木氏の下の名前)、僕一人であそこにいるの嫌ですぅ」


細木氏は店に戻りながら純也君の話を聞いた。

いわく、純也君が一人で店の掃除をしていた時、唐突に何かが折れるような音がしたそうだ。それはスプラッター映画で登場人物が骨を折られた時に鳴る音に似ており、彼は嫌な予感を感じながら音の方向に目を向けたという。

するとその先には件のバイクと、その横にライダース姿の人物が三角座りで寄り添っていた。人物は奇妙な方向に曲がった指でバイクをいとおしそうに撫でながら何かを呟いており、背筋に寒いものを感じた純也君は弾かれるように店を出て、そのまま細木氏と合流したらしい。


「ていうわけなんだよね~やばー!ギャハハ!」


なおも笑い続ける細木氏の背中を、トイレから出てきた純也君が「もう!」と力の限り叩く。


「ホント能天気なんだから!黒牟田さん、どうしたらいいと思います?」


あ、君達も僕をオカルトマニアの類いだと思っているのね。違うんだけどな。違うんだけどなぁ。

という思いを胸のうちに仕舞い込み、私は「とりあえずそのディーラーに聞いてみたら?」と提案した。


「安く売ってくれたんでしょ?その人なら何か知ってるかもよ?」


「聞いてみる~」


細木氏はその場でどこかに電話をかけ始めた。


「あ、もしもし~?元気~?こないだのバイクなんだけどさ~ギャハハ…」


数分後、電話を切った細木氏に「どうだった?」と尋ねると、細木氏はさあね、と言わんばかりに両手を上げてみせた。


「あいつも人から買ったものだからよくわかんないって~。売ってきた奴からは特に何の申告も無かったらしいし」


なるほど、ではどうすべきか。いっそ廃車にしちゃえと言いたいくらいではあるが、買って3週間しか経っていないものを簡単に引き払える奴がどこにいるというのか。

そうだ。


「ディーラーの人は何も見てないの?君達がそんなドえらいもの見たんなら、その人が見ててもおかしくないんじゃない?」


細木氏が「確かに!!」と声を上げ、再びどこかに電話をかけ始めた。


「もしもし~ごめんまた聞きたいんだけど~うんそうそうバイク~ギャハハ…」


これまた数分後、電話を切った細木氏が「何もないって」と言った。


「ちょこちょこ点検したりテスト走行したりしてたけど何も起こらなかったって」


なるほど。ディーラーが所有していた時点では何の現象も起こらなかったと。と、すると何故細木氏の手に渡った途端怪現象が起き始めたのか。

ディーラーと細木氏で何が違うのか。バイクの手入れ具合をみるに二人とも点検の類はしているようだし。

まさか。


「細木くん、今度の週末ツーリングしない?」


「ツーリング?」


細木氏は怪訝な顔で私を見ながらも「いいねえ」と承諾してくれた。




それから数日後の土曜日。私は細木氏と純也君、そして親愛なる同居人の秋沢氏と共に県内西部のドライブスポットを訪れた。

絵の具でもぶちまけたような青一色の空の下、鮮緑の若草に彩られた山に挟まれて、軽自動車に乗った私は助手席に秋沢氏を乗せ、バイクに跨がった細木氏は後ろに純也君を乗せ、真っ直ぐに伸びる道路を走り抜ける。


「初郎くんツーリングじゃなくね!?」


不服そうな細木氏に私は「大型二輪の免許持ってないもーん」と返し軽自動車を飛ばした(法定速度内で)。背後から細木氏が「待てー!」と叫びながら追いかけてきた(法定速度内で)。

そんな中、助手席の秋沢氏は一人窓の外に広がる山々を眺め「あそこ牛がいる」と微笑んだ。本当に牛がいた。

この自然いっぱいのドライブスポットを楽しんでいると、後方にいたハズの細木氏に追い越された。風を切って颯爽と走り抜ける細木氏の顔はこれまでに無いほど輝いていた。


散々ドライブルートを走り回った後、道路沿いのドライブインで昼食を取っていると細木氏が「ていうかなんでツーリング誘ってきたの?」と尋ねてきた。


「いや、ディーラーの話聞いたらピンときて」


「ピンと?」


私はどこから話したものか、と悩みながら説明を始めた。

まず純也君が見たというライダース姿の人物。彼は(何代前かは不明だが)恐らくバイクの持ち主だったのだろう。事故か何かで亡くなったのだろうが、バイクに関する何らかの未練が強かった為にバイクに憑いてしまったのではと思われる。

では一体何に対する未練なのか。これは恐らく「走ること」への未練だろう。ディーラーがバイクを所有していた時期、ディーラーは点検の為に何度となくバイクを走らせていた。この間、怪現象が起こることも無ければライダース姿の人物が出現することも無かった。

しかし細木氏の手に渡った途端、バイクは店を飾る為の置物に変えられ走ることは無くなった。おかしなことが起こり始めたのはそれからである。


「まあつまり、走りたかったんじゃないかなー、て」


私の拙い説明を全員が目を白黒させながら聞いた。


「と、とりあえず走ればいいの?」


細木氏が尋ねてきた。私はウンと一度頷いた。


「あまり頻繁には走らなくていいと思うけど、とりあえず思い立ったら走ってあげて」

「う、うん?うん、了解」


細木氏が理解したかどうかは謎だが、とにかくバイクを走らせてもらえるようにはなった。




このツーリングから1ヶ月後、細木氏からカット料金を割引きする旨の葉書が届いた。


『やっほぉー!お店が平和になったよー!サンキュー!アイラビュー!』


騒がしい挨拶文と共に印字されたカット料金3割引の文字を眺めながら、また僅かに伸び始めた剃り込みに手を当てる。


「また剃りに行かなきゃ…」


そっと呟いた直後、葉書を覗き見た秋沢氏が「はぁ!?」と部屋中に響くほどの大声を上げた。


「3割引なんでしょ?せっかくなら違う髪型にしてもらいなよ!夏だし全体的に短くしてもらうとか!」


「ええーでも…」


躊躇っている間に秋沢氏がインターネットで何やら検索し、出てきた画像を突きつけてきた。


「アシメモヒカンしてみようよ!アシメモヒカン!似合うかもよ!」


「君、僕で遊んでるだろ…!」


「真剣だぞ!」


この数日後、細木氏に頼んで本当にアシメモヒカンにした私はしばらく秋沢氏と顔を合わせる度に爆笑されるという地獄に陥ったのだった。


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