第100話 決別 前編

『蛇 前後編』にて書かせて頂いたが、私は幼少期に母の故郷である集落にて氏神として祀られている大蛇の塚にいた蛇を踏んでしまい、大蛇の化身として定期的に肉食男子(語弊)に変貌する身となってしまった。その肉食男子ぶりとくれば余りにも酷く、肉への欲望が強まるにつれて私の暴力性が顔を出し、身近にいる生きた動物や人間にまで食欲の矛先を向けてしまう。この異常な食欲を鎮めるには件の塚付近に大量の肉を埋めるのが良いとされており、私は自分の中で肉への欲求が強まる度に塚を訪れてはスーパーで買った大量の肉を埋めていた。




そんな私に異変が起きたのはつい1週間前のことだ。その日、私は3年半も同居生活をしておきながら今更になって『初郎』という名前の由来を尋ねてきた親友の秋沢氏に事情を説明すべく彼と件の塚を訪れていた。

石を乱暴に積み上げたような粗雑な塚の前に立ち、蛇の頭を踏んだ話とか仔犬を食べそうになった話とかを順序立てて説明していると、突然私の身体が熱くなり心臓が猛烈な速さの鼓動を打ち始めた。それに伴い異常な口寂しさと空腹を感じ、油っぽいものが食べたくなる。そして気づけば、秋沢氏を押し倒しその首に食いついていた。薄い首の皮を噛む私の口内に鉄の味が広がる。

今このタイミングで、こうなるなんて。血の気が引くような思いをしたが、血の味があまりにも甘美に思われて秋沢氏の首から口を放すことができなかった。しかし間もなく秋沢氏が放った一言により私は魔法が解けたように秋沢氏から離れることができた。


「優しくして」


何言ってんだよ馬鹿。口を離して秋沢氏の顔を見ると頬を赤らめていたので、ふざけてる場合かと1回小突いておいた。首の傷はそこそこ深かった。




一応首を噛んでしまったことについて秋沢氏に謝った後、私は突如湧き上がった肉への欲求に不安を覚え肉を準備する為に山1つ越えたところにあるスーパーへ向かった。道中、車の中で秋沢氏に消毒綿を渡しつつ「ヤバいと思ったら跳ね返して良いから」と伝えると「さっきのはふざけてんのかと思って」とはにかまれた。例えおふざけでもヤバいと思ったら跳ね返す勇気を持ってほしいものである。




スーパーで『メガ盛り』と書かれた肉をしこたま買った後、私達は塚に戻り肉を埋める作業を始めた。その間も私は目の前の肉を食べたい衝動に襲われたので、秋沢氏が買ってくれた鶏のサラダチキンを食べて気持ちを落ち着かせた。

そうして20分かけて肉を土に埋め終えると、私の肉への欲求は嘘のように治まった…かと思いきや全然収まらなかった。相変わらず目の前の丸顔が世間のどんな肉よりも美味そうに見え、いずれ丸顔もとい秋沢氏を手にかけるのではないかと不安になった私は慌てて母に電話をした。幼少期、大蛇に取り憑かれた時にお世話になった住職がいる寺を教えてもらおうと思ったのだ。

5コール程で出てきた母に事情を話すと、すぐに寺の住所を教えてくれた。寺の場所は塚からそう遠くないそうなので、私達は車を飛ばして寺へと向かった。




寺に着くと幼少期にお世話になった住職がまだ現役で職務につかれており、私の姿を見ると「千代実ちゃんとこの息子さんやないか!」と笑顔で出迎えて下さった。

住職に勧められるがまま住居スペースへお邪魔し、居間で住職の奥様お手製のおはぎを頂きながら私の身に起きたことを話すと、それまで笑みを浮かべていた住職の顔が一気に険しくなった。


「そら良うねぇなぁ…ちょっと堂島さんに電話しよう」


そう言うと住職は席を立ち、堂島という大蛇の伝説に詳しい人物へと電話をかけた。そして5分ほど話した後、険しい顔のまま居間に戻ってきた。


「どうでした…?」


住職の表情から期待はしていなかったが、一応聞いてみる。住職はうーんと唸りつつ私の前に座り、哀れみの目で「覚悟して聞いてな」と言った。


「初郎君、もうその子と会ったらいけん。こんなド田舎に一緒に来るぐらいやけん相当に仲良しなんじゃろうけど、もう会われん」


住職の宣告に私はショックを受けた。正直「もう治らんけん頑張って向き合え」とかその程度のことしか言われないと思っていた。それが秋沢氏との決別を言い渡されるなんて。衝撃で言葉が出ず、頭がグラつくような感覚を覚えながら秋沢氏に目を向けると、彼も相当ショックだったらしく顔から表情というものが消え失せていた。


「あの、僕達ルームシェアしてて…」


喉から声を絞り出すようにして言葉を返す。しかし住職は「可哀想やけど」と首を横に振った。

私は何を言う気力も失せ、ただ「そうですか…」とだけ言って寺を出た。




地元へ帰る道中の車内で、母親から電話がかかってきたので路肩に車を停め電話に出てみた。蛇は大丈夫かと言うので住職からの宣告をそのまま話してみると、かける言葉に迷ったのか『あら…』とか『うーん』とか唸りつつ次のように続けた。


『たまに会うぐらいやったら大丈夫やないの?一緒に住むのは危ないかもしれんけど、たまに会って遊ぶぐらいなら…ホラ、そしたら彼女とかできても困らんし、ね』


私は「うん」とだけ返してから電話を切った。息子を想う気持ちこそ伝わるが残酷な、我が母親らしい気遣いだと思った。

私がずっと恐れていた秋沢氏との別れが、こんな形で、こんな早く来るなんて。後部座席で心配そうに見つめてくる秋沢氏をバックミラー越しに確かめ、私はハンドルに頭を預けて泣いた。

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