第71話 当選しました

先日、日頃仕事を頂いている出版社の金本という編集者が大怪我をして病院に運ばれたという報せが私のスマホに入ってきた。心配になって搬送先の病院に駆けつけると、ちょうど処置を済ませたらしい金本氏が右腕にギブスを巻いて、先輩の樹氏に付き添われて処置室から出てきた。



「おー初郎君来てくれたんですね!さすが心の友!」


無事な左手をブンブンと振って歩み寄ってくる金本氏。大事ではないようなのでひとまず安心し、いったい何をやらかしたのかと訊いてみると、彼は「僕がやらかしたわけじゃないですよ」と口を尖らせつつ説明を始めた。

事故が起きたのは金本氏が昼休みのランチから戻った後。社屋に入り、自分の部署に向けて階段を上がっていると、彼のスマホに知らない電話番号から着信が入った。普段金本氏はスマホに登録した番号以外には応答しないのだが、この時は何故か指が自然と通話ボタンをタッチしてしまった。

あーやってしまったと思いつつスマホを耳に当てた金本氏。すると電話口から愛想の良い女性の声でこのように言われたそうな。


『おめでとうございます!貴方が当選しました!』


当選するようなものに応募した覚えの無い金本氏は「詐欺か」と思い電話を切って、また階段を上がり始めた。すると突然、背後から強い力で襟を引っ張られ、バランスを崩してそのまま転げ落ちてしまった。その時にどこでどうぶつけたのか、右腕を骨折してしまったという。


「誰かに悪戯されたんですか」


「それが誰もいなかったんですよ!最悪!」


私の問いに金本氏が地団駄を踏みながら答える。


「利き手こっちなんですよ!仕事がしにくいったらありゃしないですよ!」


「俺がサポートしてやるよ」


「樹さん…!」


金本氏の肩に手を添えて囁きかける樹氏に、金本氏が恋する少女の如く瞳を輝かせて抱きつく。目の前で始まった茶番に呆れつつ2人から距離を置こうとしたところで、私のスマホに美容師の細木氏からメッセージが入った。


『お尻骨折しちゃったから2週間ぐらいお店休む』


私は金本氏にメッセージを見せ「君の従兄弟もやらかしてるぞ」と伝えた。


「ヤス(細木氏のこと)…!ソウルメイトですね」


「ソウルメイトではないだろ。僕これから細木君見に行ってみるよ」


「お願いします。お気をつけて」


樹氏と金本氏に見送られながら私は病院を出て、そのまま細木氏の住むアパートへと向かった。




細木氏宅のインターホンを鳴らすと、彼のアシスタントである純也君が出てきた。


「あー黒牟田さーん!来てくれたんですね!」


満面に笑みを浮かべた純也君に通されて部屋に入ると、布団から尻だけを突き出して横たわる細木氏の姿があった。


「よう初郎君」


「なんで尻だけ突き出してんの」


「医者にケツ温めんなって言われたからよう」


ケツだけ寒くて仕方ねえ、と細木氏は私が持ち込んだ缶コーヒーを受け取りながらぼやく。


「ていうかマジもー最悪よ。踏んだり蹴ったり」


「そんなに?」


「そんなに。なんか店行く途中に詐欺みたいな電話がかかってきたと思ったら、向かいから来てた奴とすれ違い様にぶつかって尻餅ついたんだよ」


「詐欺みたいな電話」と聞いて私は金本氏の話を思い出した。


「もしかしてそれ『当選しました』って奴?」


「それそれ!」


なんでわかんのと目を剥いて答える細木氏に金本氏が同じ同じ電話を受けたことを話すと「やべー気持ちワリー!」と叫んで自分の肩を抱いた。


「こんな大怪我したら当選どころか大当たりだわな!ギャッハッハッ!」


「元気すぎる」


偶然とも思えぬ程不自然な現象を前にして気丈でいる細木氏が羨ましいと思った。

そこへ私のスマホからけたたましい着信音が鳴り響いた。画面を見ると知らない電話番号が表示されている。まさか、と思い応答すると淡々とした女性の声が聞こえた。


『○○信用金庫■■支店の佐川と申しますが、黒牟田初郎様でいらっしゃいますか?』


相手は私が以前、母親の車を買うのに金を借りた金融会社だった。もしや金の未払いでもあっただろうか。ドキドキしながら「そうですが」と答え、次に放たれた女性の言葉に身をすくませた。


『おめでとうございます。この度お出し頂きました弊社月刊誌の懸賞に当選されました』


私は懸賞など出したことが無い。なのでこんな電話がかかるはずなど無い。もしや。

私は適当に答えて電話を切った後、買ってきたコーヒー総勢10本を全て机に置き細木氏と純也君にお暇する旨を伝えた。


「何、もう帰んの」


「用事ができたもんで」


「店開ける前に頭剃りたくなったら来いよ。ビール2本で受けてやるよ」


「今度お願いするわ」


細木氏と純也君に見送られてアパートを出ると、空が西側に僅かな赤みを残して殆ど藍色に染まっていた。

そろそろ秋沢君の仕事が終わる頃かな。市街へ仕事に出ている同居人の顔を思い浮かべつつ考えた矢先、ふと嫌な予感を感じて、私は大通りに出てバスに乗り込み市街へと急いだ。身近な人間が2人も同じ怪奇現象に見舞われて大怪我をしたことで、秋沢氏にも同じ不幸が降りかかる可能性があることに気づいたからだ。




秋沢氏の勤め先に比較的1番近いバス停で跳ぶようにバスから降りた後、私は競歩の選手にも負けない程の俊足で件の勤め先まで早歩きした。普段以上に身体を動かしているからか、それとも秋沢氏への心配からか、心臓が早鐘を打ち呼吸が荒くなる。

しばらく歩くと秋沢氏が勤める企業の看板が見えてきた。その下にはちょうどタイミング良く退社してきた秋沢氏のこじんまりとした姿。声をかけようとすると、秋沢氏がスマホを取り出し怪訝そうな顔をしながら耳に当てた。

電話の相手は誰だろうか。距離を詰める為に走り出しかけたところで、秋沢氏の背後に電動草刈り機を持った老爺が歩いていることに気づいた。恐らく付近で草刈りをしてきたのだろう、老爺の足取りは重く、草刈り機の刃が剥き出しのまま前後に揺れている。


「圭佑ェェ!」


ものすごく嫌な感じがした私は思わず秋沢氏の名前を呼びながら走り出した。秋沢氏も私に気づいたようで、幼さ100%の顔を綻ばせて手を振ってくる。老爺はこちらの事情など知る由も無いので普通に歩いてくる。

私は全速力で秋沢氏のそばまで走り寄り、それから彼を歩道から勤め先の社屋の入口─老爺からかなり距離を置ける場所に引っ張った。


「なに!?なになに!?」


訳がわからぬといった様子で訊いてくる秋沢氏をよそに、私は老爺が我々の近くを通り過ぎるのを見守った。すると突然、老爺の持っている草刈り機の電源が入り、刃が高速で回転を始めた。


「おぉぉ、何や」


老爺が慌てて電源を切り、再び歩き出す。彼が立ち止まった場所は、先程まで秋沢氏が立っていた場所だった。

もし秋沢氏を退かせていなかったら…。私は背筋が寒くなった。秋沢氏も同じことを考えたようで、しばらく血の気の引いた顔で老爺を見つめていた。そこへ突如鳴り出す秋沢氏のスマホ。秋沢氏が応答し、間もなく「そうですか」とだけ言って電話を切ったので、恐る恐る何の電話かと尋ねてみた。


「いやね、さっき詐欺みたいな電話が来たから」


「詐欺…?」


「うん。当選しましたってやつ」


やはり私と合流する直前に受けた電話は金本氏や細木氏が受けたものと同じだったらしい。なら今度はどんな電話が来たのか。


「で、そしたら今『当選は無効になりました』って」


「ほう!」


私は思わず目を見開いた。『当選しました』の合図と共に訪れる不幸を避けることができれば、当選は無効となるのか。

これが金本氏や細木氏に降りかかる前にわかっていればと思いながら「良かったね」と言った。秋沢氏は何が良いのかわからないといった様子だった。




帰宅後、私は自分に舞い込んだ当選連絡が何なのか明らかにする為、母に電話をかけた。


『あーあー○金さんね!出した出した!アンタの名前で!』


やはり母が私の名前を使って出した懸賞だった。安堵しつつ「人の名前使うなや」と言うと、母が『でもおかしいな』と言い出した。


『アタシ連絡先に自分の電話番号書いて応募したんやけど、なんで初郎に電話が来たんやろうか』


車のローンを払い終え次第、○○信用金庫とは縁を切ろうと思った。

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