第72話 ティータイム

中学時代の同級生であるムラヤマさんは霊感持ちだ。昔から私の後ろに大蛇が見えていたらしく会う度に「いやぁ立派だねぇ」と感嘆したり、社会人になって偶然再会した時は私の所持品から僅かな邪念を感じ取ってくれやがったり("獅子身中の虫 前後編")、度々その霊感の強さを見せつけてくれた。

そんなムラヤマさんから、先日SNSで『明日カフェ行きませんか』というメッセージを貰った。


『奢るよう。行こうよう』


目を輝かせたコアラのスタンプと共に送られてきた文面から「何が何でも連れていくぞ」という気概を感じ震えたが、奢ってくれるのならばと誘いに乗ることにした。




翌日、ムラヤマさんから指定された時間に市内のある町を訪れた。町は県内で5本の指に入るエリート高校を中心にして住宅がギッシリと建ち並び、その中に学生をターゲットにした軽食屋やキッチンカーが点在している。ちなみに件の高校は私の兄の出身校である。

私はキッチンカーから漂うワッフルの甘い香りや軽食屋の看板に掲げられた「唐揚げ」の文字に誘惑されそうになりながらムラヤマさんと合流し、彼女に導かれるまま住宅街を右へ左へと進んだ。そうして辿り着いたのが「高野ビル2」と書かれた2階建てのビルだ。古い建物らしく外壁が所々黒ずんでいるが、入口には真新しい木製の扉が付けられており、その上に『喫茶 よりどころ』と書かれた木製の看板が掲げられている。


「都会から移住してきた人がやっとこさ始めた店って感じ」


「どんな例えよ」


ムラヤマさんに突っ込まれながら店に入る。中はカウンター席のみで客はおらず、店長らしき垢抜けた青年が1人、笑顔で立っているのみ。


「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」


青年に促されるがままカウンター席の中心に並んで座る。席には開かれた状態のメニュー表が置いてあり、紅茶やコーヒー、中国茶、ジュース等様々なカテゴリに分かれてドリンクの名前が記載されている。しかしフードメニューが見当たらない。飲み物だけで勝負していく店なのかと思い尋ねてみると青年が「あ、いやいや」と首を横に振った。


「ドリンクを注文して下さったお客様に無料で軽食をお付けしてます。何が付くかはお楽しみということで」


「えっすごい面白いですね。でも大赤字じゃないですか」


「それ程でも無いですよ」


笑顔を絶やさぬまま答える青年。その様があまりにも爽やかなので私もムラヤマさんも思わず見とれてしまいそうになったが、すぐさま我に返ってドリンクを選んだ。私がジャスミン茶でムラヤマさんがアールグレイのストレート。アイスかホットかを問われ、2人ともホットを選んだ。

青年が茶を淹れる間、私はカウンター脇に立て掛けられていた本を読む振りをしながら、ムラヤマさんに小声で「ほらね」と囁きかけた。


「何?」


「絶対都会から移住してきたよあの子」


「まぁこのへんにいないタイプの人ではあるけど」


「ていうかムラヤマさん何でこの店知ったの」


「あ、それはまあ後で話すわ。それよりホラ」


ムラヤマさんに促されて本から顔を上げると、青年が硝子製のティーセットを両手で抱え笑みを浮かべていた。


「お待たせしました。ジャスミン茶です」


青年がティーセットを私の目の前に置く。中には良い香りを漂わせている黄金色の液体と橙色の花弁が美しい大輪の花。"工芸茶"というやつだ。人生初の工芸茶に私は思わず「きゃー!かわいー!」と声を上げて写真を撮りまくり、ムラヤマさんに「女子か」と突っ込まれた。

続いてムラヤマさんの前に、香り高い赤茶色の液体がなみなみと入れられた、やや縦長に四角錘台の形を成した硝子製のティーポットが置かれた。このポットのシンプルながら洒落たフォルムが気に入ったようで、ムラヤマさんは「後でこのティーポット探そう」と写真を撮った。

私はティーポットと共に用意された硝子のカップに茶を移し、1口飲んでみた。ジャスミンの香りが口の中いっぱいに広がって贅沢な気分になった。ムラヤマさんもアールグレイの味を気に入ったらしく「うん、うん」と笑顔で頷く。

そこへ青年が「軽食です」と私達の目の前に皿を2つ置いた。それを見て私は目を剥いた。

まず私の前に置かれたのは、まちまちな大きさながらふっくらと仕上げられた、いかにも手作りといった風な3つの蒸しケーキ。猫のキャラクターがプリントされているプラスチック製の皿に盛られたそれは、私が幼い頃、壁にボールペンで落書きした私を折檻した後に母が作ってくれたものと瓜二つだった。皿のデザインも含め。

こんな偶然があるのか。背中がヒヤリとするのを感じながらムラヤマさんに目を向けると、彼女も何やら驚いたように目を剥いて、目の前の大小様々な砂糖の固まりが散りばめられたシュガートーストを見つめていた。


「あの、これ」


何を言えば良いかと迷いながら青年に声をかける。青年は今までと変わらぬ笑みを浮かべたまま「当店の手作りです」と答えた。


「はは、すごいですね…器のチョイスもなかなかノスタルジックといいますか」


「はい、お客様の思い出に残っているであろう食器を選ばせて頂きました」


「へぇ~すご…え?」


思いもかけない言葉が青年の口から出たのに、あまりにもさらりとしていたので危うく聞き流すところだった。私が「思い出?」と追及すると青年は笑顔のままハイと答えた。


「アカシックレコードからお客様の記憶を少し拝見させて頂きました」


アカシックレコードとは宇宙の誕生から現在まで全ての事象や思念が記録されているという概念のことで、オカルトやスピリチュアルが大好きな人間が多用する用語でもある。あくまで概念であり実在しないものであるハズだが、彼はそれを「見た」と言っている。

なんかヤバい店に来てしまった。一刻も早く帰りたいと思いつつムラヤマさんに「わー…すごいね」と話を振ると、ムラヤマさんはトーストを見つめたままこう呟いた。


「これ、お母さんの定番トーストだ…」


いよいよ鳥肌が立った私はさっさと蒸しケーキを平らげた。味も瓜二つだった。

ムラヤマさんも光の速さでトーストと紅茶を平らげたので、私はさっさと席を立ち「美味しかったです…会計良いですか?」と青年に言った。青年は相変わらず笑顔のままでレジを操り「お1人様690円です」と答えた。


「安っ…ICカード使えますか?」


「はい。こちらにタッチして下さい」


ムラヤマさんがカードリーダーに交通系ICカードを当て、私がごちそうさまと声をかけて店を出る。それから私はその場で項垂れてしまった。

実は青年が出した蒸しケーキを見てから、私の中で母に折檻された記憶が強く甦ってきていたのだ。叩かれるのは当たり前で、寒空の下に放り出されたり、暗い所に閉じ込められたり、壁の前に座らされスレスレの所にボールをぶつけられ続けたり…。走馬灯の如く嫌な記憶ばかりが巡ってくるので吐きそうになった。一方ムラヤマさんは特にトラウマを呼び起こされた等無く、ただただ「すげえな」と驚いていた。


「すげえけどさぁ…」


「あ、黒牟田君後ろ」


苦しさを吐露しかけたところで、ムラヤマさんから促されて背後を振り返る。その先に心配そうな顔をした青年がタンブラーを2つ手にして立っていた。


「大丈夫ですか?」


「ええ、まあ」


「あの、実はさっきの蒸しケーキ失敗してて…お詫びと言っては難ですが、これ良かったらお持ち帰り下さい。当店オリジナルブレンドのコーヒーです」


「え、あ、ありがとうございます」


「どうか家で飲んで下さいね」


「家で」というのが引っ掛かりつつも私とムラヤマさんはコーヒーの入ったタンブラーをありがたく受け取った。青年は深々とお辞儀をすると、店の中に戻っていった。そのドアには「テナント募集」と書かれた不動産屋の看板が掛かっていた。


「え!?テナント募集!?」


「お、気づいた」


私はドアに駆け寄りノブを引いたが、ドアには鍵が掛けられており、僅かな硝子部分から中を覗いてみたが薄暗い空間に机や椅子が雑然と積み上げられているのみだった。


「あうあうあうあう」


「すまんね、君を驚かせようと思って黙っといたのよね」


「あうあうー!」


驚きやら戸惑いやらでボキャブラリーを失った私をよそに、ムラヤマさんは店を見つけた経緯を話し始めた。

まず、ムラヤマさんはネットでお洒落なカフェを探していた矢先に、グルメレビューサイトであの店を見つけたらしい。サイトには店が3年前に閉店したという旨の説明があったが、口コミ欄には何故か2年前のものや1年前のものがちらほらと載せられていた。そしてそんな口コミには決まってこのように書かれていた。


『思い出に浸らせてくれる』


面白そうだと思ったムラヤマさんは、ある日の真っ昼間に店の跡地であるこの高野ビルを訪れた。そこには確かに店があり、驚いたムラヤマさんは中を確かめてみようとノブに手をかけた。そこへムラヤマさんのスマホに勤め先から電話が入り、彼女はしばらくドアを離れ電話に応対した。そうして電話を終えてから再び店のドアに目を向けると、そこにはテナント募集の看板が掛けられていたそうだ。


「そんでコイツぁおもしれーと思って黒牟田君連れてきた」


「ムラヤマァ…」


意地悪く笑うムラヤマさんに呆れていると、ムラヤマさんから背筋が凍るような捕捉を聞かされた。私達が話した店主の青年は、経営不振で店が潰れた直後に店内で首を吊ったらしい。


「まぁ噂やけど。ウチのママが噂好きだからね」


「いやほんとムラヤマァ…」


呆れる私をよそにムラヤマさんは「楽しかったよー。じゃあねー」と手を振って帰ってしまった。私も帰ることにした。




帰宅すると、先に帰っていた同居人の秋沢氏から40個入りのチョコセットを渡された。仕事の帰りに立ち寄ったスーパーのバレンタインコーナーを見ていたら食べたくなったらしい。私は良い機会だと思い、青年から貰ったコーヒーを温めてチョコのお供として出してみた。ほろ苦いコーヒーは甘いチョコとよくマッチして美味しかった。

なるほど「家で飲んで」とはこういうことか。これも"アカシックレコード"から読み取った情報なのだろうか。だとしたら、少しはその存在を信じてやっても良いかも。

トラウマで疲弊した私の心は殆ど癒えて温かくなった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る