第73話 魔犬

H.P.ラブクラフトの小説に『魔犬』という話がある。墓場荒らしが趣味の若者2人組がある遺品を掘り起こしてしまった為にどえらい目に遭うという教訓系(多分)のホラーであるが、中学1年生の時分にこれを読んだ私は話の主旨よりも"友達と同居する"という文化に衝撃を受けてしまった。

それまで私にとって"同居"とは家族か恋人同士でするものだという認識しか無かった。なので『魔犬』を読んだ当初はかなり困惑したが、しかし仲良しの友達と2人でおどろおどろしいコレクションに囲まれ、墓場荒らしという冒涜的な行為を楽しみながら暮らす様には少し憧れを抱いた。

そんな私は現在秋沢という青年とごくごく平凡な同居生活を送っている。おどろおどろしいコレクションに囲まれるわけでなく、墓場荒らし等の冒涜的な行為をするわけでもなく、シンプルな家具がちょっと置かれた部屋で穏やかに慎ましく暮らしている。適度に仕事を頑張って、休みの日は特に予定が無ければ2人でゴロゴロしたり外に出てみたりして、たまーに美味しい物を食べたりして。かつて憧れた『魔犬』の主人公コンビに比べれば刺激の無い平々凡々な生活かもしれないが、人間平々凡々ぐらいが1番良いのだ。




ところが先日、この平々凡々な我々の生活に平々凡々でないものが持ち込まれた。きっかけは我が家に友人を招いて宅飲みをした時、金本という男が妙な忘れ物をして帰ったことである。

茶色の角2封筒に入れられたその忘れ物は犬のような形をした土製の人形だった。なんでこんなものを持ち歩いてるのかと半ば気持ち悪さを覚えつつ金本氏に電話をかけると、彼は『あー!』とこちらの耳をつんざくような声を上げた。


『ずっと探してたんですよー!良かったー!』


電話口でも察せられるほど安堵に浸る金本氏。彼いわく、この犬型の人形は勤め先である出版社のWEBコラムを読んだ方から頂いた物で「枕元に置いて寝たら不可解な現象に見舞われたのであげます」という旨の手紙がつけられていたので検証する為に持ち帰ったのだそうだ。

とりあえず明日取りに来るようにと伝えて電話を切った後、私が人形をテーブルに置こうとすると秋沢氏が何やら悪戯っぽい笑みを浮かべてこのようなことを尋ねてきた。


「枕元、置いてみていい?」


この子ときたら、もう。何か起きたら自己責任ということにして承諾した。




それから深夜、私はおどろおどろしい物が沢山飾られた洋館の中で秋沢氏と2人、悪魔のような禍々しい声に怯える夢で目を覚ました。まさに『魔犬』のような状況じゃないかと怖さやら懐かしさやらを感じながら再び眠りにつこうとすると、暗闇の中に動物の鳴き声が響き渡った。


ワンワンワンワンワンワンワンワン

キャンキャンキャンキャンキャンキャンキャンキャン


犬だ。それもかなりの数の。その合間に秋沢氏らしき呻き声も聞こえる。これが不可解な現象とやらか。秋沢氏を助けるべきか。闇に目が慣れぬ中で秋沢氏の方を向き、思わず口を覆った。

秋沢氏が寝ている場所には毛玉の塊が蠢いていた。目が慣れるにつれその毛玉達はハッキリとした形を成していき、やがて犬の姿へと変わった。仔犬から成犬まで様々な大きさの柴犬へと。秋沢氏は十数匹はいようかという柴犬に集られていた。顔の周りでは成犬や何匹かの仔犬がペロペロと頬を舐めたり仰向けになって身体を床に擦らせたりし、隣で1匹の成犬が微睡み、腹の上で仔犬が何匹かピョンピョンと乗っかったり降りたりして遊び、たまに秋沢氏らしき腕が柴犬達の間から伸びてモフモフした身体を撫でている。

目の前に広がる光景は私にとってかなり羨ましいものだった。私も中に混ざりたい。私もモフモフしたい。身体を起こして秋沢氏と柴犬の戯れを眺めていると、1匹の成犬が私のそばに駆け寄り私の肩に前足をかけてきた。

触って良いのか。恐る恐る成犬の柔らかそうな胴を撫でる。するとモフモフとした毛の感触と温もりが私の手を優しく包み込み、私は感極まって変な声を上げてしまった。

それから一晩中、柴犬達がいなくなるまで私は(多分秋沢氏も)柴犬と戯れた。柴犬達の身体が透け始めた時は泣いてしまった。




翌朝「ワンチャンイナクナル…」とぼやきながら仕事に行く秋沢氏を見送った後、入れ違いでやって来た金本氏に「犬の人形をもう一晩貸してくれないか」と頼んでみた。


「え、なんでですか」


「あーまあちょっと不可解な現象とやらの検証をしてみたいというか…」


「えらく熱心ですねぇ」


その熱心さを仕事でも発揮して欲しいですねぇ、と毒づきつつも金本氏は私がもう一晩人形を預かることを承知してくれた。

またワンコ達に会える。思わず笑みをこぼしてしまった矢先、金本氏が私の肩を掴んでこのようなことを言った。


「気をつけて下さいよ。それくれた人、大量の犬に身体を食い千切られる夢見た後しばらく身体に痣が残ってたらしいですからね」


私はさっさと人形を金本氏に返した。

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