第70話 ぬいぐるみ

私の同居人である秋沢氏は可愛いものが好きだ。服を買う時は可愛らしいデザインのものを選ぶし、話題の食べ物等を前にすると「かわいー」と言って写真を撮りまくるし、猫や犬などの小動物を見かけようものなら手を叩いたりしておびき寄せようとする。

しかし意外にもぬいぐるみや飾り等可愛いものの代表格のようなものを持つ気は無いようで、その理由が秋沢氏いわく「実用的でないから」だそうな。

そんな秋沢氏が先日テレビを見ながら、どこから用意したのか1体のぬいぐるみを抱いてしきりに話しかけていた。その時買い物から帰って来たばかりだった私は「珍しい」と思い、秋沢氏の横に立って手元のぬいぐるみを覗き見てみた。ぬいぐるみは人型で、2頭身の身体に目つきの悪い三白眼、右側頭部の刈り上げにウェーブ髪を象った黒いフェルトが縫いつけられ、赤いトレーナーパーカーを着ている。

アイドルのグッズか何かだろうか、それにしても私にそっくりなぬいぐるみだ。私はしげしげと眺めた後で背筋が凍るのを感じた。今私が着ているのも赤いトレーナーパーカーなのだ。


「それどうしたの?」


ぬいぐるみに話しかけ続ける秋沢氏に恐る恐る声をかける。秋沢氏は私に気づくと「おかえり」と微笑みながらぬいぐるみを投げ捨ててしまった。


「投げるなよ!」


思わず悲痛な声で咎めながら、ぬいぐるみが投げられた方向へと駆ける。しかしぬいぐるみは見つからず、秋沢氏は秋沢氏でぬいぐるみのことを忘れてしまったかのように怪訝な顔を見せた。




その夜、私は夢の中でぬるま湯に浸ったような、もしくは誰かに抱き締められたような心地好い温もりに包まれる夢を見た。温もりの中で私は「一生この中にいたい」と思っていたが、しかし夢の中でどれだけ快い気持ちになろうと現実の尿意には勝てない。

私は股のうずきと共にあっさりと目を覚ました。そして目の前に広がる光景に「ヒエッ」と小さく悲鳴を上げた。隣で眠る秋沢氏の腕の中に、あのぬいぐるみが抱かれている。まるで子供がぬいぐるみと添い寝するように。夢での温もりは秋沢氏の体温がぬいぐるみを経由して伝わってきたのか。

というか消えたぬいぐるみがどうしてここにあるのか。そもそもこれは何なのか。私は秋沢氏の腕からぬいぐるみを引っ張り出そうとしたが秋沢氏の腕力がやたらと強く、しばらく引っ張り合いをしていると勢い余ってぬいぐるみがすっぽ抜け、飛んでいってしまった。ぬいぐるみは床を滑って閉めきったカーテンの下に潜り込んだ。私は咄嗟にカーテンを開き辺りを隈無く探したが、ぬいぐるみは再び消えてしまっていた。




翌日の夕方、夕飯の仕込みを終えてテレビを見ていた私に、いつの間に仕事から帰って来たのか秋沢氏が「ちょっと!」と悲痛な叫びを上げた。


「投げないでよ!」


「えっ?」


わけがわからず間抜けな声を出す私をよそに秋沢氏が部屋の隅にうずくまり「あれ?無い」と呟く。

あ、ぬいぐるみか。部屋を這い回る秋沢氏の尻を目で追いながら、私は彼を象ったぬいぐるみの姿を想像していた。

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