第69話 裸の女

私が住んでいる賃貸マンションの裏には大きな桜の樹がある。樹はマンションが建つよりも遥か昔からそこに生えているようで、毎年3月の半ばぐらいになると枝という枝に薄桃色の花をいくつも咲かせている。

その桜の樹の下に、ここ1週間程か、全裸の女が佇んでいる。私の方─ベランダに背を向けている為に年齢はわからないが、出る所が出るわけでもなければ締まる所が締まっているわけでもない、中肉中背のどこにでもいる普通の女だ。

そんなものだから私ははじめ、女が誰かしらから虐待を受けているものかと思い警察へ通報しようとした。しかしよく見れば女は街灯1つ無い暗闇の中でもハッキリとシルエットがわかる程光っており、手足を動かさぬまま桜の樹の下をゆっくりグルグルと回っているので、これは人ではないと思って関わるまいと決め込んだ。




5日前、我が家を間借りしている秋沢という男が仕事で嫌な目に遭ったとかで「しばらく1人にしてほしい」とベランダに出てしまった。私が女のことを伝えるべきか迷っていると、間もなく秋沢氏がキャッと顔を覆って部屋に入ってきた。


「何アレ」


「あ、見た?」


「見た」


「ここ何日かずっといるよ」


「マジで?何かイケナイものを見ちゃった気分」


頬を赤く染めて話す秋沢氏の顔は不気味な程ニヤニヤとして、まるでラッキースケベに遭遇したとでも言わんばかりの様子であった。




それから3日前、ライター仲間である木村氏が「人恋しい」などとほざきながら我が家に上がり込んできた。木村氏とは少し前にちょっとした確執があったので("獅子身中の虫 前後編"参照)家に入れるのを躊躇ったが、本人が「マジで冗談だったんだよ」と泣き出したので入れてやった。

木村氏はしばらく私や秋沢氏に甘えながら酒を飲んでいたが、やがて導かれるようにベランダへと出ていった。その視線の先には例の女。


「何アレ。あの人大丈夫?」


「よく見なさい。人間があんな動きしますか?」


「あっそうか…これはこれはけしからんですなフフフ」


木村氏はニヤニヤとしながら女を眺めていた。時々「あのぐらいの子が一番エロいよね」などと言っていて気持ち悪かった。




それからも度々我が家に誰かしらが訪れては、あの女を見て頬を赤らめたりニヤニヤしたりした。私としては女が不動のまま桜の樹の周りを周回するのが不気味で、ついでにいつか振り向いてくるんじゃないかと不安で仕方無いのでどうにかしたかったが、しかし彼女を見た人が皆、直前にどれだけ不機嫌だったとしてもたちまち笑顔になってしまうのでまあいいかと思った。




ちなみに女は今もいる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る