第68話 獅子身中の虫 後編
我が家に押し掛けてきた木村氏を追い出した翌日、彼から貰った小瓶に入っていた米が僅かに黒ずんでいるのに気づいた私は秋沢氏にムラヤマさんのことを話し、木村氏に声をかけられたら私に報告するよう忠告した。秋沢氏は話こそ聞いてくれたが「考えすぎだよ」と笑って仕事に向かってしまった。
考えすぎと言ったって、昨夜のようなことがあった以上考えないわけにもいかないだろう。どうか秋沢氏の身に恐ろしいことが起きませんようにと願いつつ台所の片付けをしていると、私のスマホから電話の着信を知らせる電子音が鳴り始めた。心臓が高鳴るのを感じつつ濡れた手を拭い、スマホを取る。画面には日頃仕事を貰っている出版社の編集者金本氏の名前が表示されていた。私はホッと息をついてから「はい」と応答した。
『あ、初郎君?ちょっとウチのWEBコラムに協力してほしいんですけど、これから来れますか?』
金本氏の要請にわかりましたと答えミニバッグを肩にかける。すると慌て気味に扱った為か、ミニバッグに提げていたあの小瓶がキーホルダーから外れて落ち、床の上でパリンという音を立てて割れてしまった。直後、辺りに響き渡る赤ん坊の泣き声。タイミングの悪い赤ん坊だなと思いながら小瓶と中身を回収したところで、その音が赤ん坊というよりも獰猛な獣の唸り声に近いことに気づいた。私は回収した物を紙に包んでミニバッグに押し込み、さっさと家を出た。
出版社に向かう途中、勤め先の社用車を運転してどこかへ向かおうとしているムラヤマさんと出くわした。「よう」と呑気に声をかけてくるムラヤマさんに木村氏のことを話すと、ムラヤマさんは目を見開きどこから声を出しているのか苦しげに「ア゛ァ゛ァ゛」と呻いた。
「…マジで?」
「なにその声…ていうかムラヤマさん何か見えないの?」
「いや見えないのって、そらそのカバンから多少邪念めいたものを感じるけど…でもマジで多少やし、まだ科学で説明できることしか起きてないやん」
「そうかもだけど」
「とにかく落ち着いて。絶対先走らないで」
そう言うとムラヤマさんは停めていた車を出発させた。そして去り際に「短気は損気!」と叫んだ。
ムラヤマさんの車が影すら見えなくなってから、私は「よく考えたらムラヤマさんが言い出したんじゃん」とぼやきながら再び出版社に向け歩き出した。
そうして特に何が起こることも無く無事に出版社へ辿り着き金本氏に声をかけようとしたところで、私の鼓動がドキリと高鳴った。何の偶然か、そこに木村氏の姿があったからだ。木村氏は私の姿に気づくなりにこやかな顔で歩み寄ってきて「ちょっと話そう」と談話室を指した。
いやコラムの更新があるので。私はそう言って彼を避けようかと思ったが、しかしこれは逆に木村氏に探りを入れる良い機会かもしれないと思った。あの小瓶が本当にただのお土産で、昨日から起きている奇妙な現象も全てただの偶然ならそれはその方が良い。偶然でなかったらその時はこちらも何か考えなければいけない。木村氏どころか出版社との別れも覚悟しつつ、私は木村氏の誘いに応じた。
ガラス越しに編集部のデスクが見渡せる談話室の中で、私達はしばらく金本氏が淹れてくれたコーヒーを黙って啜っていた。私は木村氏の出方を窺うため。木村氏の意図は読めない。
そうしてコーヒーをほぼ飲み終えた頃に、木村氏が口を開いた。
「昨日はごめんね。急に押しかけて」
謝罪の言葉を口にする木村氏の顔は本当に申し訳なさそうな、寂しさを感じさせる笑みを浮かべている。しかし腹の内はわからない。私は作り笑いをしながら「とんでもない」と返した。
「こちらこそすみません、気が立ってたもので」
「いやいや、あんな遅くに上がり込む方が悪いんだから。昨日渡そうとしたもの、今日君に会えるんじゃないかと思って持ってきたよ」
言いながら木村氏が鞄から茶封筒を取り出し、私に差し出してきた。触れると何やら薄くて四角い物が入っており、CDか何かだろうかと思いながら「すみません」と受け取った。
「ていうか黒牟田君、大丈夫?調子悪そうだけど」
木村氏が心配そうに私の顔を指して言う。
今だ。ここで仕掛けてみよう。ムラヤマさんの忠告通り、先走らないように努めながら私は「一晩かけて話を1個考えていたんです」と話を切り出した。
「ある所にAさんという男性がいました。Aさんは知り合いであるBさんのことが嫌いで、Bさんを貶めてやろうと呪いをかけました」
木村氏がうん、と頷く。私は話を続ける。
「その呪いというのがね、ほら昔こんな話あったじゃないですか。米に罵声を浴びせ続けたら黒ずんでいったって奴。それを利用したんですよ。予めBさんの名前を書いておいた米粒に罵声を浴びせた上で、アクセサリー状にしてBさんに贈るんです」
木村氏の眉がピクリと動いた。私は背筋に寒いものが走るのを感じながらも話を続ける。
「呪いのアクセサリーを受け取ったBさんは、それから妙なことに見舞われるようになりました。一緒に住んでいる友達が怪我をしたり、獣の唸り声を聴くようになったり。そして身近にAさんが頻繁に現れるようになったり。で、ある日Bさんは気づいたんです。Aさんから貰ったお米が黒ずんでいることに。ちょうどこんな風に」
私はミニバッグから、紙に包んでおいた米を出してみせた。木村氏はそれを無表情で見つめていたが、やがてこのように口を開いた。
「…AさんがBさんを貶めようと思った理由みたいなのはあるの?」
「それがわからないので、木村さんにご意見頂きたいんです」
木村氏の目が据わる。そして部屋の外に響きそうな声で「小賢しいなあ」と言ってみせた。
「黒牟田君、人はどれだけ模範的に、どれだけ人に愛されるように努めて生きても人類全員から愛されるなんてことは無いんだよ」
「…と言うと?」
「僕は君を良い子だと思う。真面目で、人当たりが良くて、秋沢君や出版社の人達に愛されてるのも納得できる」
だからこそ憎たらしい。木村氏の口がそう動いた瞬間、背筋がゾクリと寒くなり、胸を締めつけられた。覚悟をしてきたハズなのに、真っ向から敵意を向けられるとどうしていいかわからない。
そのうち木村氏は私のそばまで歩み寄り、敵意など感じさせない程優しく私の頭を撫でた。
「木村さん…」
「良い顔してるね。せっかくだしハッキリ言っておこうね。僕は君が大嫌いだ」
私の頭は真っ白になり、我に返った頃には椅子が散乱した床の上に座り込んで木村氏に「ごめんってばぁ~!」と抱き締められていた。談話室の出入口にはゲラゲラと笑いながらスマホを向ける金本氏と先輩編集者の樹氏。
「僕が悪かったよぉ!嘘だから泣かないで~!」
笑い混じりに言う木村氏の額には内出血の痕。樹氏いわく、木村氏の言葉にショックを受けた私が泣きながら彼を突き飛ばしたらしい。
訳が分からず困惑していると、談話室に救急箱を携えた事務員のゆうきさんと編集長の但馬氏が入ってきた。
「ウチの馬鹿共がすみません。ほら撮るのやめろ馬鹿共」
私の前に膝をついて謝りながら、金本氏達を咎める但馬氏。彼いわく、木村氏が私に名前入りの米粒をくれてから今に至るまでの流れは全て、樹氏がWEBコラム用に考えついた実験らしい。その名も『人は自分の名前入りのプレゼントを貰った時どんな反応をするのか』。記念日でも何でも無いただの平日に、ただの友人知人にあたる人間からわざわざ自分の名前を入れられた特注品のプレゼントを貰った時、人は果たして喜ぶのか、はたまた気持ち悪がるのか、という企画らしい。
企画に巻き込まれたのは私と金本氏とゆうきさん。プレゼントの名前入り米粒を渡す担当は全て木村氏が請け負い、ゆうきさんを1番手にして金本氏、私と順々に、1人につき3日間反応を窺っていったらしい。その結果、ゆうきさんは自宅にプレゼントを仕舞い込み、金本氏は自分の机に飾り、私は呪いだと騒ぎ立てたというわけである。
ちなみに昨晩木村氏が我が家に押し掛けてきたのも実験の一環で、ゆうきさんや金本氏と違い在宅ワークである私を観察するには直接家に行くしかないと思ったらしい。
「あとほら、ついでにあげたい物もあったし。それ」
木村氏に示され、先程貰った茶封筒を開く。中に入っていたのは『実録!未確認生物』と書かれたオカルトDVDだった。
「じゃあ帰り際にクソ意地悪そうな笑顔見せたのも実験の一環ですか」
私が問うと木村氏は「いや」と否定した。
「秋沢君と2人きりの時間を邪魔されたくないのかなって思って」
「あーあーそういうのいいですから」
木村氏の半ば妄想が入り交じった推測を切り捨ててから、私は秋沢氏の頬にできた傷と獣の唸り声に言及した。この2件については偶然だとしても奇怪すぎると。すると樹氏から「"かまいたち"と猫じゃないですか」と返された。"かまいたち"とは知らず知らずのうちに皮膚が裂ける自然現象のことで、寒冷時期に起こりやすいらしい。
なるほど確かにそんな現象があったと納得し、では猫はどういうことかと考え、そこであることを思い出した。我が家の隣家が5~6匹の猫を飼っている。それだけ猫がいれば仲間内で喧嘩や交尾を始めることもあろう。その時の唸り声が私の部屋まで響いてきた、ということだろうか。
「じゃ、しゃあ米粒は…」
「うーん、さっき見せてもらった感じだとカビだと思う」
「…全部科学的に、というか現実的に証明されてしまった…」
ガッカリしたような安心したような、ダラリと肩の力が抜けた私の身体をいまだ抱き締めたまま、木村氏が「本当にごめんね」と謝った。
「面白い持論を展開してきたから乗らないわけにはいかないと思って」
「ただ乗っただけですか?本心じゃないんですか?」
「ひどいなぁ!本心じゃないよぉ!そういうヒール的な立ち位置をやってみたかったんだよぉ!」
とにかく仲直りのチューだと言って木村氏が私の頬にキスをした。私は再び彼を突き飛ばした。
後日、樹氏の考えたWEBコラムが但馬氏の判断でボツとなり、代わりの記事を書かせてもらっていた私のもとへムラヤマさんが差し入れの菓子を持ってきた。ムラヤマさんは応対した樹氏にデレデレしながら、私に向かって「先走るなって言ったやんアホ」と毒づいた。
「先走ってないし。探り入れただけだし」
「それを先走ったって言うの。あのね、邪念ってのは憎悪とかそんなんだけに限らんでな、テレビのドッキリみたいな『ちょっと驚かしちゃろう』って奴にも宿るの。やから私もあの小瓶についた邪念の意味を取りかねたの」
はいはいさいですか。不貞腐れながらコラム記事を書き続ける私の横でムラヤマさんが「ところでさっきのお兄さんカッコいいな」と顔を蕩けさせた。
「やめとけ、あんな実験思いつく辺りあの人こそ邪念の塊やし、あとソクバッキーやぞ」
「あーそんな感じするわ。『カフェは地雷』とか言ってきそうな。でもカッコいいなぁ…」
ある漫才コンビのネタを引用して樹氏をディスりつつ、蕩けた顔で樹氏を見つめるムラヤマさんを見ながら、私は「イケメンってすげえなぁ」とだけ思った。
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