第67話 獅子身中の虫 前編

『獅子身中の虫』という諺がある。組織の中に属していながら、その組織にとって害となるような行為をする者のこと…つまり味方の中に敵が潜んでいるという意味の諺であるが、私はこれを先日、ムラヤマさんという女性から聞かされた。

ムラヤマさんというのは私の中学時代の同級生で、家が檀家をしているか何かで仏教への信仰心が強い人だった。また、彼女自身も何かが見えたり聞こえたり読めたりするそうで、昔は彼女と顔を合わせる度に「立派な蛇だなぁ」と言われていた("蛇 前後編"参照)。




そんなムラヤマさんとは市内のスーパーで食料品の買い出しをしていた矢先に再会した。茶色に染めた髪を1つにまとめ、白地のフリースを羽織って、黒やら紫やら灰色やらで構成されたダボダボの迷彩ズボンと蛍光色のスニーカーでベタベタと歩きながら「よう」と声をかけてきたムラヤマさん。私の記憶の中のムラヤマさんは常時セーラー服に姫カットという出で立ちだったので、すっかりマイルドヤンキーに変わり果てた彼女に私は気づくこと無く「人違いです」と返してしまった。


「人違いじゃねーわ。黒牟田君やろ」


「あっムラヤマさんか…変わったね」


「アンタもな」


お互いの外見の変化に驚いてから、ムラヤマさんが「ウチの後輩がどうも」と言った。


「何かしたっけ?」


「相談聞いてくれたやん。ダメだったっぽいけど」


"相談"と言われて、私は昨年の秋頃に同居人の秋沢氏を経由して受けた相談を思い出した。

確か運命の出会いだとか言われて女の幽霊に取り憑かれたという話で、私が「天照大御神の嫉妬を買って別れさせてもらえばどうか」と伊勢神宮への参拝を勧めたのだ("運命の人"参照)。結局相談者は女と別れられず、勤め先の先輩なる方から私に相談したことを見透かすようなことを言われ…。


「やっぱ"先輩"ってムラヤマさんやったんか」


「そうよー。ちなみに江島の近況聞く?」


「いやいい」


エーと残念がった後、ムラヤマさんが「それどしたん」と私のミニバッグにぶら下がっている空豆程度の大きさの小瓶型キーホルダーを指した。この小瓶はライター仲間の木村氏から頂いたお土産で、中には私の名前が書かれた米が1粒入っている。「手先の器用な人がいるもんだね」と感嘆しつつ中身を説明すると、ムラヤマさんが何やら恐ろしい物を見ているかのように顔を強張らせた。


「何?」


「いや…すごい失礼なこと言うかもしれんけど、なんかそれ怖いわ。傷む物に名前書いてるし、あと変な感じがする」


本当に失礼なこと言いやがったと思ったが、ムラヤマさんの口から出たのだと思うと起こる気になれず、むしろ妙な恐ろしさを感じて身震いした。しかし贈ってくれたのは友人である木村氏なので、特に変な物ではないハズだ。なんなら普段寄越してくる物の方が3倍恐ろしい。そう伝えるも、ムラヤマさんは顔を強張らせたまま、このようなことを言った。


「"獅子身中の虫"って言葉があってさ」


「シリコンスチーマー?」


「耳腐ってんのか。"獅子身中の虫"っつって、味方だと思ってた奴が敵だったみたいな言葉よ。大丈夫やと思うけど、人間社会においてはよくあることだから気をつけてよ」


そう言うとムラヤマさんは小松菜をカゴに突っ込んでレジへと歩いていった。

ムラヤマさんは、木村氏が私に対して害を及ぼすつもりでいると言いたいんだろうか。そんな馬鹿な。

鼻で笑って買い物を再開したが、それから帰宅するまで私の背中はヒヤリとした冷たいものを感じていた。




無事に家へと帰りついた私は、ムラヤマさんの言葉を振り払うように大急ぎで買った物を片付け、夕飯を作り始めた。メニューはオムライス。余計なことを考えなくて良いよう、神経を使うものを作りたかった。

フライパンにバターを溶かして広げ、みじん切りにした玉ねぎとウインナーをケチャップと絡めながら炒める。軽く塩胡椒を振ったら2人分の白飯を投入し、それからもう1つフライパンを用意して卵を溶く…。

そこへ玄関のドアが開く音と共に、同居人の秋沢氏が帰って来た。


「ただいま。めっちゃいい匂いするね」


台所に広がる香ばしい匂いに声を弾ませる秋沢氏。その顔を見て私は思わず声を上げた。

秋沢氏の頬に、4~5cm程の切り傷ができて血が流れている。痛くないのか、秋沢氏は私の指摘を受けて初めて傷の存在に気づき声を上げた。


「誰かとすれ違った時につけられたとか無いの?」


「無い無い!何これマジで意味わかんない!」


手近な鏡で傷を確かめ喚く秋沢氏に応急処置をしてやりながら、私はムラヤマさんの言う通り、木村氏があの小瓶を通じて我が家に何か悪いものをもたらそうとしているのではないかと思った。しかし木村氏とはこれまでに何度も助けたり助けられたりして交流を重ねており、私やその周りに害を及ぼす程の反感を買うような心当たりなど無い。いや、もしかしてそんな風に思っているのが私だけなのだろうか。木村氏は私の思いもよらぬ所で、私への不満を溜めていたりするのだろうか。

しばらく木村氏とは会わないようにしよう。そう決めた翌日の夜、木村氏が我が家に押し掛けてきた。私が外のゴミ置き場へゴミを出しに行っている間に入ってきたらしく、居間で秋沢氏が淹れたお茶を飲みながら「夜分遅くにごめんね」と笑いかけてきた。

私はすぐさま木村氏の腕を掴み「帰って下さい」と玄関へ引きずった。


「え、黒牟田君」


「すみません、でも今日はダメなんです。帰って下さい」


「いやまだ」


「帰れ!早く!」


思わず声を荒げてしまった。家の中が静まり返り、不穏な空気が漂う。


「は、初郎君、何言ってんの?いいよ木村さん、もう少しゆっくりしてって」


秋沢氏がひきつった笑いを浮かべながら間に入り木村氏を居間に戻そうとしたが、木村氏は「あぁー大丈夫だよ」と笑って靴を履き始めた。


「ごめんごめん僕こそこんな時間にお邪魔しちゃって。また出直すよ」


靴を履き終えた木村氏は秋沢氏から鞄を受け取ると、優しげな笑顔のまま家を出た。そうして扉を閉める間際、一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、口許に邪な笑みを浮かべた。

アイツ。私は愕然として玄関に立ち尽くした。隣で秋沢氏が何やら怒鳴っていたが、私の頭には内容が何一つ入ってこなかった。




後日、ミニバッグにつけられた小瓶を覗くと中の米が僅かに黒ずんでいた。

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