第38話 来る

※同居人の秋沢くん視点です。




僕が間借りしている家の主である黒牟田初郎が、何かの拍子に「来る」と呟くことがここ一週間程続いている。彼が呟く度に僕は何が来るのかと尋ねてみるが、そうすると黒牟田が「え?何が?」と逆に問うてくるので、一体何が来るのか全く知ることができない。

同じ頃、僕が勤める会社で指原さんという男性社員が救急搬送された。その人はかなり老齢の社員で、仕事中に突然ひきつけを起こして倒れ、唸りながら血を吐き始めた。同僚が救急車を呼んでいる間に僕は指原さんのご家族に連絡を取り既往歴を尋ねたが、大した病はしていなかった。

それから1週間と経たないうちに、他の社員まで体調不良を訴えるようになった。目眩や激しい頭痛、吐き気、中には指原さんと同じくひきつけを起こし救急搬送された人もいた。


「呪われてるわ」


事務のお局様が呟いた言葉に、黒牟田の言葉を思い出した。

「来る」とはそういうことなのか。



二人目の救急患者を見送ったその夜、僕が風呂から上がったタイミングで、ソファに腰掛けた黒牟田がスマホを見つめたまま「来る」と呟いた。


「その"来る"ってマジで何なの?」


「え?」


黒牟田の目が泳ぎ出した。どうも自覚があったらしい。僕は黒牟田が「何が?」と発する前に、ソファに座ったままの黒牟田の肩を掴んだ。


「ね、ほんと何が"来る"の?」


「いや、あの、」


「僕に隠すようなものなの?」


「え、いや」


「何かあるんだったら言ってよ。自分一人で背負おうとしないでよ。友達じゃん。僕だけじゃ不安ってんなら細木さんとか金本さんとか、いろんな人に助けてもらえばいいじゃん。ね、だからさ…」


話の途中で黒牟田に担がれ、そのまま布団に寝かされてしまった。

それから黒牟田は「おやすみ」とだけ言って家を出てしまった。翌朝にはちゃんと戻ってきていたが、ゴミ箱にチューハイの空き缶が山程捨てられていて、酒浸りになる程黒牟田が切迫していることに無力感を覚えた。



その日の夕方、仕事を終えた僕は自宅マンションの前で、黒牟田の知り合いである細木と金本という男達と出くわした。正確には"待ち伏せ"されていた。

「少し遊んでいこうや」と肩を組んでくる二人に黒牟田の異変について問うてみるが、二人は「さあ」と白々しく首をかしげるのみ。


「とぼけんなよ金本さん」


「とぼけてませ~ん。とにかく初郎君からしばらく家に近づけるなって言われてるんです~んふふ」


「つーわけで俺達と夜のドライブしようやぁお嬢ちゃ~んプップーとね、ギャハハ」


「誰がお嬢ちゃんか!どけ!」


僕は二人を押し退けるとマンションのエントランスに駆け込み、4階に向けて階段を駆け上がった。細木と金本も僕を追って階段を上っているようだったので、追いつかれまいと全力を出した。そうして4階の自宅、黒牟田と住んでいる部屋の前に辿り着くと急いで鍵を開け中へと入った。

玄関に入ってすぐ、台所に黒牟田は立っていた。唖然として僕を見つめる黒牟田の手には大きなタッパーが抱えられ、その横でぽっちゃりとした中年女性─黒牟田の母親が同じく唖然として僕を見ていた。


「あ、あう…?あ、こんばんは…」


「あ、あらこんばんは…初郎、この人…」


「あ、そう友達…ほらこないだ、ばあちゃん家の片付け来てもらった子」


「そうよね…いや絶対一人で住んでねえとは思いよったけどそういうことね」


黒牟田の母親は僕に向き直り「オカズ渡しとるけん良かったら食べて」と苦笑を交えながら言うと足早に家を出ていってしまった。

それから入れ違いで金本と細木が家に入ってきて、黒牟田の持つタッパーを見るなり「ごちでーす!」と声高に言いながら上がり込んできたのでそのまま事情説明も兼ねて酒盛りをすることになった。


「この度はお騒がせ致しました」


しゅんと頭を垂れて謝る黒牟田に、僕は彼の母親がくれたサザエの炊き込みおにぎりを頬張りながら「ほんとにね」と返した。


「友達同士の同居って概念が無い人だから困惑すると思ったの」


「まぁね…でもそんなん初めから言ってくれれば協力するのに。一週間も"来る"ばっか繰り返して」


そう言うと黒牟田が「え?」と表情を強張らせた。


「え?じゃないよ。何かの拍子に"来る"って言ってはとぼけてたじゃん」


「いや、それ知らん…」


「は?」


「母親が来るってわかったの昨日だよ…」


翌日、救急搬送された指原さんともう一人の社員の病名がわかった。二人とも軽い熱中症とカルシウム不足だそうだ。

結局、何が「来る」のかいまだにわかっていない。

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