第39話 タルパ
「"タルパ"ってご存知ですか?」
市街の裏通りに建つ喫茶店の窓際席。地元の出版社で編集長を務めるT馬氏から呼び出されてここを訪れた私は、但馬氏から開口一番放たれた言葉に思わず「は?」と眉をしかめた。
「水道の部品ですか?」
「違いますね。ご存知無いんですか?貴方ともあろう人が」
但馬氏の言い方が嫌味ったらしいので彼の右目付近を覆う火傷の痕を引っ張ってやりたい衝動に駆られたが、何とか抑えて「雑学溜め込む程暇じゃないんでね」と嫌味ったらしい返事をした。
「で、何です田村って」
「"タルパ"です。降霊術の一環というか、まあまずは検索かけてみて下さい」
但馬氏に促され、スマホで検索をかけてみた。いわく、何も無いところから思念だけで霊体を作り出す秘術だという。
病院を紹介すべきか。迷いかけたところで、私の考えを察したのか但馬氏が「私の話じゃないですよ」と言った。
「金本が始めたんですよ」
「金本君が?」
金本氏といえば普段私がお世話になっている雑誌編集者で、よく興味本位で降霊術や肝試しを企画しては周囲を恐怖に陥れる問題児である。
あいつならやりそう。真っ先にそんな感想が浮かんだ。おおよそまた興味本位で始めたのだろう。ただ但馬氏がわざわざそんなことを報告するということは、何か起こってしまったのかもしれない。
「で、金本君は…」
「昨日から会社に来てません」
本当に何か起こっていた。
「いやなんか『タルパで彼女作っちゃる』みたいなことは言ってたんですけどね」
目的が興味本位でなく恋人の自己生産だった。
「始めてからしばらく仕事中も上の空になったり、かと思えば嬉しそうにスマホで話し出したりしましてね」
「それ全部妄…タルパですか?」
「多分」
「悲惨じゃないですか」
若干どころでなく引く私の顔に但馬氏が「でもね」と自身の顔を近づけ囁いた。
「ちゃんと登録あるんですよ。本人から見せてもらいました。"ユナ"って書かれた番号」
えっと、帰ろう。今まで飲んでいたミルクティーの代金を財布から取り出すと「逃がしませんよ」と腕を掴まれた。
「これから金本の家に乗り込むのでついてきて下さい」
「嫌ですそんな痛い金本君見たくないです」
「助っ人も呼んでます。ほら窓見て」
但馬氏が窓を指差すので反射的に目を向けた。窓の外からブラウンのワンショルダーニットを着こなした美女─出版社事務のゆうきさんがカフェラテを片手に手を振っていた。逃げられないと悟った私は、二人についていく代わりに自分が飲んでいたミルクティーの代金を払ってもらうことにした。
喫茶店での会計を済ませた後(本当に但馬氏が負担してくれた)、私達は金本氏の家に直行した。市街からバスに乗って約30分、古い平屋から2階建ての新築まで無秩序に建ち並ぶ住宅街のど真ん中に、築20年は経っていそうな2階建てアパートが建っている。そこの1階に金本氏の家があった。
金本氏宅の玄関前に立つと、但馬氏がドアの新聞受けに指を突っ込み鍵を取り出してみせた。
「どこついてんですか、その鍵」
「新聞受けに手ェ突っ込んでちょうどギリギリ届くとこに貼りつけてるんですよ。危ないですよね」
というか何故アンタがそんなこと知ってるんだ、と問いたかったが答えを聞くのが恐ろしかったので黙っておいた。
鍵が開くのを確認した後、但馬氏を先頭にして私達は家の中へと上がった。金本氏宅は1Kで、台所を兼ねた短い廊下を進むとすぐに金本氏と対面できた。
「あ、お疲れ様です…」
消え入りそうな声で挨拶をする金本氏は全身を毛布で覆った状態で体育座りをしており、その前にはA3程の大きなスケッチブックが立て掛けられていた。スケッチブックには長髪の女性が描かれており、恐らくこの絵から金本氏がタルパを生成したのだろうと思った。
「大丈夫か」
但馬氏が金本氏の側にしゃがみ声をかけた。
「どこかキツいのか」
「いや…ユナが行かないでって言うもんで」
"ユナ"。私とゆうきさんはしゃがんだままの但馬氏と顔を見合わせた。金本氏の着信画面に表示されたという女の名前だ。
私は金本氏の足下に放置されていたスマホを手に取り、電話帳でユナの名前を探し、目を剥いた。
驚くことに金本氏は自分の電話番号を"ユナ"のものとして登録していた。
「ちょっと初郎君やめてください」
スマホを奪い返そうとする金本氏に私は「ノー!」と叫んだ。
「これ君の番号!君自身の番号!アンダスタン!?」
「そういうの言わないで下さい!返せー!」
スマホを巡り金本氏と揉み合いになっていると、但馬氏から「黒牟田さん、アレ」と肩を叩かれた。但馬氏が指差す方向に目を向ける。スケッチブックに描かれた女の絵が般若の如く歪んでいた。
「あー!ごめんねユナ!」
金本氏がスケッチブックに駆け寄る。そして抱き締めようとしたところで、ゆうきさんがスケッチブックを取り上げビリビリに破ってしまった。
「「「ユナァー!!!!」」」
思わずメンズ全員で叫んでしまった。
そんなことも構わず、ゆうきさんはスケッチブックの紙片を集めるとシンクに放り、火を着けてしまった。そうして燃え上がる紙片から女性のものらしき悲鳴が上がる中、ゆうきさんは火が他に燃え移らないよう見守り、その様子を我々メンズは呆然としながら見ていた。
紙片が燃え尽きた後、膝から崩れ落ちてしまった金本氏をどうしようか戸惑っていると、ゆうきさんが金本氏の目の前にしゃがみこのように言った。
「妄想の女とはセッ○○できませんよ」
金本氏がわっと泣き出した。
但馬氏が「やめなさい」とゆうきさんを嗜め、私が子供のように泣き喚く金本氏(御年34)を慰める。
10分程慰め続けてようやく金本氏は落ち着いてきたが、それでも一人にするのは不安なので我が家に泊めることにした。
我が家に上げてから金本氏は殆ど喋らなかった。普段は鬱陶しいほど多弁な男が黙りこくっているのが不気味らしく同居人の秋沢氏が「何があったの」と尋ねてきたが、話すと金本氏の名誉に関わりそうなので黙っておくことにした。
翌朝、金本氏が何事も無かったかのように「おはよーございます!」と起き出してきた。昨日の悲壮な様が嘘のようで、私は「吹っ切れたみたいだね」と笑いかけた。すると金本氏から驚くべき返事が返ってきた。
「何がですか?」
金本氏は昨日の事件を覚えていなかった。まさかと思い色々尋ねてみたが、そもそもタルパを作っていたこと自体忘れてしまっているようだった。
周りに心配かけといてコイツ、と拳を握ったが、金本氏が元に戻ったので良しとし、今後一切タルパについて言及しないことにした。
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