第24話 結界

暑さが和らぎ出した平日の夕方。

地元の出版社の金本氏から依頼された記事の執筆が捗らず頭を悩ませていた私に、仕事から帰って来たばかりの秋沢氏が声をかけてきた。彼は私の手元を覗き込むと一瞬だけ目を大きく開き「友達と会ってくる」と言って出ていってしまった。

何だあの子。私は秋沢氏が見せた一瞬の仕草が気にかかった。何かを訴えようとしていたが、私が仕事をしているのを見て諦めた。そんな風に捉えられる。

何だか少し厄介そうだ。私はSNSで金本氏と知人の細木氏、ミン氏に召集をかけた後、急いで外行きの服に着替え秋沢氏の後を追った。


程よい距離を保ちつつ秋沢氏を尾行した結果、辿り着いたのは市内の小高い山の中に作られた自然公園だった。ここは全国的に名の知れた鉄鋼業者の職員が住民の半数を占める住宅街の外れにあり、利用者が多い一方で幽霊の目撃情報など背中が寒くなるような噂も囁かれている。

自然公園の駐車場で手近なバンの陰に男4人身を潜め、友人らしき男と合流した秋沢氏の話に聞き耳を立てた。


「な、ガチなん?」


「ガチガチ。見ればわかるって。100段階段の途中からちょっと外れたとこに道があってさ、行ったらあるから!結界!」


何を見に行こうとしてんだよ。ツッコミの言葉が喉まで出かかったがなんとか抑えた。

秋沢氏は多分、結界の見物に誘おうと私に声をかけたのだろう。それは仕事を後回しにしてでも乗らなければ。私は金本氏達に合図を送り、一斉に秋沢氏達の前に躍り出た。


「何か面白そうな話してたね?」


唖然とする秋沢氏の首に腕を回し、ノーとは言わせないぞと言わんばかりに力を強める。視界の端では秋沢氏の友人がこの世の終わりに直面したような表情で固まっていた。金本氏と細木氏の柄が悪いせいだろうか。


「初郎君、仕事は?」


気道を軽く圧迫されているのにも構わず尋ねてくる秋沢氏に「後でやる」と答えた。


「そんなことより早く結界見に行こうよぉ」


「げっ、しっかり聞いてやがる」


げっと唸る割には秋沢氏の口許が僅かにニヤけており、僕が来て安心してんじゃねえかよと思った。

そういうわけで結界とやらを見るべく、男6人で自然公園の中に突撃した。昼間に比べると涼しいもののじんわりと汗ばむ程度には暑さが残る気候の中、100段階段へと続くコンクリ張りのウォーキングコースをノロノロと登っていく。

秋沢氏の友人─佐藤氏はいまだにこの世の終わりと言わんばかりの顔をしている。彼の両サイドに立つ金本氏と細木氏の柄が悪いからだろうか。

場を和ませてあげよう。私は手近な葉を拾い上げ、秋沢氏の頭頂にちょこんと乗せた。


「ピ○ミン」


秋沢氏の目が据わったので大人しく葉を下ろした。


結局「新しくできた店のタピオカミルクティーは美味いけど重い」という話で佐藤氏と打ち解けながら、私達は山頂へ続く100段階段の麓に到達した。

この階段を登りきった先には市内を見渡せる素晴らしい眺望が待っているのだが、今回は途中で道を逸れなければならない。


「途中からとは言いましたけど、何段目ぐらいからですか?」


「60段目ぐらいですかね」


私の問いに佐藤氏が答える。すると他のメンズ達からえーっと声が上がった。


「誰がこんな暑いのに60段も登るんだよ!」


「熱中症起こすわ!」


「解散だ解散!」


「我們一起去喝珍珠茶!」


ゴネにゴネる運動不足のメンズ達に「後でタピオカ買ってあげるから」と言うと途端に大人しくなった。

こうして男6人、タピオカへの想いを胸に60段という夏にはきつい段数の階段を上がり始めた。


「たーぴおか、たーぴおか」と唱えたりグリコをしたりしながら階段を登っていると、佐藤氏があっと声を上げた。


「ここです、ここ」


階段を登る我々から見て右手の、覆うように繁る雑木林の中に、人の手が加わったとわかる道ができていた。


「あからさまだなぁ」


言いつつも階段を逸れ、件の道に入っていく。そして雑木林の中をしばらく歩くと、六畳間程の拓けた場所に辿り着いた。真ん中には石でできた棺のようなものが鎮座しており、近づいてはいけなさそうな臭いがする。


「あの箱の中に徳利とか注連縄巻いた卵みたいなやつとか入ってたんですよ」


絶対当たったら駄目なやつやん。佐藤氏の説明に恐らく全員がそう思ったことだろう。

私達は恐る恐る棺に近づき、中を覗き込んだ。確かに中には注連縄を巻かれた卵状の物体、徳利、古さびた剣が納められていた。

触ったらヤバイやつや。自分の中に響く警報に従い踵を返そうとしたところで、佐藤氏が徳利を持ち上げた。


「ちょっちょっちょっちょっ!何してんの!?」


「中入ってますねこれ。酒の臭いがする」


徳利の口に鼻を当てる佐藤氏から徳利を奪い取り、元の場所に戻した。


「佐藤さん洒落怖って読んだことある?こういう奴の扱い知ってる?」


「あー洒落怖懐かしい!弟が読んでたっすわ!俺読んだこと無いけど!」


だろうね。君ネットと無縁そうだもん。下手に扱うと二度とタピオカが食えなくなるぞと脅し、私はスマホに棺の写真を収めた。


「俺ちっさい頃とかいつもこの公園で遊んでたけど、こんなのがあったなんてな」


写真を撮りながら呟く細木氏に私は頷いた。


「100段階段自体あんま登らないからね…」


「ていうかこれ何だろ」


「ピィ!!!!」


佐藤氏の手が卵状の物体に触れたので弾き飛ばした。すると佐藤氏の手が咄嗟に注連縄を掴み、卵状の物体から注連縄をすっぽ抜いてしまった。


「あー!」


「ピィー!」


注連縄の封印を解かれた卵状の物体がブルブルと震え始め、徐々にヒビが入り出した。

本当に卵だったのか。1ヶ所に固まり震える私達の前でヒビが広がっていく。そして殻がいくつか崩れ落ち、暗い空洞にギョロリと光るものが見えた。それは人の目のように見えて、私は思わず棺に入っていた剣を取って空洞に差し込んでしまった。卵はブルブルと震えた後、ピクリとも動かなくなってしまった。


「え、大丈夫ですか…」


「それどうなん…?」


若干引き気味な声が囁かれるメンズ達を振り返り、私は言った。


「とりあえずタピオカ飲みに行くか」


後日、私は1人で棺の場所を訪れてみた。棺も、徳利も剣も、卵も元通りになっており、側には新しく看板が立て掛けられていた。


『誤って注連縄を取り払ってしまわれた方は、卵に剣を刺して頂きますようお願い申し上げます。 O市』


正解だったようだ。私は胸を撫で下ろし、公園を出た。

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