第21話 痣

一時期、私の同居人である秋沢氏の身体に立て続けに痣ができたことがある。


始まりはある日曜日の朝、ベランダで飼っているメダカに餌を撒く秋沢氏の腕に小さな赤黒い痣を発見したことだった。秋沢氏はこの前日に勤め先で健康診断を受けていたので、私ははじめ「血圧計で締め付けたのかな」ぐらいにしか思わなかった。しばらくすれば治るだろうとも。

しかし痣は2日、3日と経つにつれて痣は数を増やしていった。場所も様々だった。最初は腕に2個、3個と増えていったのが、胴体や足にまで広がっていった。しかも赤黒い痣だけだったのに、打撲した時にできるような青痣まで見られるようになった。

私は職場でのいじめを疑ったが、秋沢氏いわく「それは絶対にない」とのことだった。


痣が増えるにつれて秋沢氏の行動もおかしくなっていった。

快活であまり遠慮のない性格だったのが、時々無表情でぼーっと虚空を眺めるようになり私の顔色を窺うような振る舞いも増えてきた。「お腹すいた」と言って私の秘蔵の菓子パンを見つけ出し貪るようになった。

一番奇妙だと思ったのが、夜中に私の布団へ入ってくることだった。普段、私と秋沢氏は1つの部屋に布団を並べて寝ているので、寝相の問題でお互いの布団を侵略することは度々あったが、この時期の秋沢氏は故意に入ってきているようだった。

こっちに入ってきて何をする気なんだろう。私が寝たフリをしながら見守っていると、秋沢氏は私の手を取り、中指の先をくわえチュウチュウと吸い始めた。思わず起きて「どこか悪いんじゃないの」と問い質すと、彼は気弱そうな笑顔を浮かべながら「ごめん」とだけ言った。




秋沢氏の痣が顔にまで広がってきた頃、私は秋沢氏を連れてライター仲間の木村氏宅を訪れた。突如SNSに「友達連れてウチに来て」と連絡があったのだ。

秋沢氏を連れて外を歩くと、道行く人が痣だらけの彼を二度見した。多分私が犯人だと思われてるんだろうなぁと悲しくなった。

木村氏の家に着くと、木村氏が秋沢氏を見て「ぁや!」と素頓狂な声を上げた。


「前見た時より酷くなってる!」


「見たことあるんですか」


「あるよぉ!」


木村氏いわく、数日前に私と秋沢氏が買い物をする姿を見たそうで、その時に秋沢氏のシャツから覗く痣が気になったので呼び出したそうだ。


「信じてください誓って僕じゃないんです」


「わかってるから、大丈夫だから。とにかく上がって」


私と秋沢氏は居間に通され、ハニーバター味のパウダーがまぶされたアーモンドを頂きながら秋沢氏の痣について説明した。


「何か僕が前に書いた虐待事件の記事に似てるな」


話を聞き終えた木村氏が、茶を啜りながら言った。


「信じてください誓って」


「わかってるって」


そうじゃなくて、つまり。言いながら木村氏がアーモンドをかじった。


「水子供養してる所とか行ったのかなって」


「はあ、水子」


水子とは流産や中絶で亡くなった胎児を示すものじゃなかっただろうか。

私が首を傾げると、木村氏は私の考えを察知したらしく「赤ちゃんや小さい子が亡くなっても適用されるんだよ」と説明してくれた。


「そういう所行った覚え無い?」


木村氏に問われた秋沢氏は自身の頬を両手で挟み少し考えた後「無いです」と答えた。


「えっ無いの?」


「はい…最近ずっと忙しかったから特にそんなとこは…あっ」


秋沢氏の目が大きく開かれた。


「そういえばこの間、肝試しとか好きな同僚が行ったところが虐待事件があったって…」


私は木村氏と「それだ!」と声を上げた。それから同僚が行ったという場所を聞き出しインターネットで検索をかけた。出てきたのは意外にも大人の虐待事件だった。軽い認知症を患っていた義父の介護に追われた女性が、夫のいない間に義父に暴行を加えて死に至らしめてしまったらしい。


「誰も責められない事件だねぇ…」


木村氏がため息を交えて呟く。

恐らく、肝試しの現場に残されていた老爺の思念か何かを同僚が持ち帰り、それが秋沢氏に伝染したのだろう。木村氏はそう推測した。

これで原因はわかったが、では対処としてはどうすればよいか。お祓いでもした方がいいのか。木村氏に尋ねるとノンノンと首を振った。


「とりあえず秋沢君を介しておじいさんに優しくしてあげよう」


「というと」


「秋沢君が奇行に走ってもそのまま受け止めてあげるとか。そしたらそのうち良くなるんじゃない?」


普段からある程度受け止めているが。そう答えると木村氏が「もっと受け止めて」と返した。

何だか雑だな。思いつつ、私は家に帰ってから木村氏の言うことを実践した。

秋沢氏がぼーっとしている間は話しかけないようにした。秋沢氏が菓子パンを探り始めたらお茶も用意しておくようにした。夜中になって秋沢氏が布団に入ってきたら、彼が眠りに落ちるまで頭を撫でた。

これらの行動を毎日繰り返しながら、私は1つ違和感を抱いた。

秋沢氏の奇行の数々は、認知症のそれというより子供のそれにしか見えない。ぼーっとするのはともかくとして、布団に入ってくるのは私に甘えようとしているように見えるし、何より空腹で菓子パンを貪る仕草は"ネグレクト"を思わせる。

秋沢氏は何か別のものに影響されてやしないだろうか。そう疑っていると、私のSNSに木村氏からメッセージが入った。


『気になったので虐待事件の詳細について調べてみたよ。暴行だけじゃなくてご飯を抜いたりすることもあったっぽいね』


『お嫁さんのストレス凄かったんだろうね。でもおじいさんの方にとってもストレスだったみたいで、日に日に子供がえりしていったらしい』


ああ、そういうことか。秋沢氏の子供っぽい行動が老爺の子供がえりによるものならば、やはり秋沢氏が影響を受けたのは老爺なのだろう。

ならばもう今まで通り秋沢氏を介しておじいさんに優しくすることで、秋沢氏の痣や奇行が治るのかもしれない。私は自信を持って秋沢氏の奇行を温かく見守り続けた。

しかし1週間程経っても秋沢氏は元に戻らず、痺れを切らした私は秋沢氏を引きずってお祓いに行った。

元に戻った。




後日、私は1人で木村氏の家を訪れ事の顛末を説明した。


「普通にお祓いに行ったら解決しましたよ」


前回と同じハニーバター味のアーモンドをかじりながら語気を強めて言うと、木村氏は「あらら、ごめんね~」と悪びれていない様子で謝った。


「テレビで見たんだよ、認知症の人のやることなすこと全部肯定すれば少しは良くなってくるって。秋沢君の場合もいけるかなって…」


気づくと、私の右人差し指と中指が木村氏の鼻の穴を塞いでいた。人生で二度目に人に手を上げた瞬間だった。

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