第20話 エイ

秋沢氏と同居を始めて1年目の夏、日頃お世話になっている出版社の編集者である金本氏、彼の従兄弟である細木氏、秋沢氏、私の4人で海に出かけた。

場所は私の母の実家がある集落の海水浴場。シャワーや更衣室は薄暗く汚いが、他の海水浴場と違い殆ど人がいないので泳ぎやすいのだ。


市街から金本氏の車で出発し、道の狭い峠を2つ、3つと越え集落に入る。そして集会所の駐車場に車を停めたところで、よく日焼けした浅黒い肌の逞しい青年達が2~3人こちらに近づいてきた。そのうち一人の顔を見た私は「洋ちゃん!」と声を上げた。


「あれ、初郎君やん」


驚いたように私の名を呼ぶ青年は、私の従兄弟である洋ちゃんだった。先程まで友達と一緒に父親(私の叔父)の潜り漁を手伝っていたのだという。


「初郎君、泳ぎに来たん?」


私の手元にある浮き輪やスイカを見ながら洋ちゃんが訊く。


「そうだけど」


「そうなん。でも今エイが出とるからなぁ」


「げっマジで」


"エイ"という言葉に私はギョッとしたが、一方秋沢氏や金本氏は「すごい!」と目を輝かせた。


「ここエイ出るの!?」


「見に行きましょーよ!」


恐らくマンタみたいな奴を想像したのであろう、キャッキャとはしゃぐ秋沢氏達と洋ちゃんを見比べどうしようかと困っていると、洋ちゃんが「絶対に浅いところで泳いでな。それさえ守ってくれればいいけん」と言ってくれた。

こうして地元民の許しを得て、私達は砂浜に繰り出した。砂浜の一角に傘を刺して拠点を作り、海水を張った盥にスイカを入れ濡らしたタオルを被せておく。

それからは各々自由に過ごした。秋沢氏と金本氏は海に入って水を掛け合い、細木氏は我々と同じく市街から来たと思われる女子大生二人組に声をかけられヘラヘラしながら何やら答えた。一方で私は素肌の上に羽織ったパーカーのフードを目深に被り、地面に汗の滴を落としながらシーグラスを拾い集めていた。


「泳がないんですか?」


細木氏と話していた女子大生の一人から訊かれ、思わず「ええ、まあ」と答えた。


「今年は"エイ"が出るらしくて」


「あーなんか私達も言われましたーでもエイって裏側可愛いですよねー」


言いながら女子大生が私の手に集められたシーグラスを覗き「かわいー!」と黄色い声を上げたので、青く大きなものを二人分渡した。

すると今度は海から黄色くない声が聞こえた。


「やばいやばいやばいやばい!!」


「何かいた何かいた何かいた!!」


スリラー映画のゾンビの如く腕を振りながらドタドタと走ってくる秋沢氏と金本氏に「"エイ"じゃね」と訊くと「エイじゃねーし!」と返された。


「えーじゃあ見に行ってみよ」


「行くなよ!」


「危ないって!」


二人の制止をよそに私はゴーグルを着けて浅瀬に入り、海中に潜って沖に目を向けた。

私のいる場所から約2m程先、溝の如く底が深くなる"澪"という場所。そこに全身が真っ白で坊主頭の、男とも女ともつかないものが、魚のような大きく丸い目をギョロギョロと動かして私を見ていた。

私は岸に上がり、見たものの特徴を女子大生に伝え震え上がらせている金本氏に「"エイ"だったわ」と報告した。


「エイ!?初郎君にはアレがエイに見えるんですか!?どう見ても白ハゲのオッサンだったでしょ!」


「言うの忘れててごめんけど、アレがここで言う"エイ"なの」



いつからそうなのかわからないが、この集落の海には数年に一度、人の形をした人でないものが現れる。それが出現する時期は一貫しておらず、地区の消防団が毎日火の見櫓の上から海を眺め、魚影を探すことでそれの出現を確かめている。

またそれが出現している間、地元民以外の人間が海に入ると高確率で土左衛門となって発見される。沖まで入った者は必ず、である。

地元民は余所者がそれの被害に遭わないよう、それが現れた年は「エイが出て危ないから」と偽り余所者が海に入るのを防いだ。



「というわけで、ここでの"エイ"はさっきの白ハゲの代名詞になりましたとさ」


説明を終えると、男性陣から「早く言え!」と怒鳴られた。女子大生二人分は身を寄せ合って震えていた。

この後、海で遊ぶのをやめた私達は女子大生も交えてスイカ割りをした。まちまちの大きさに割られたスイカを全員で食べながら、私はふと思いついてスイカの欠片を沖に向けて投げてみた。ポチャンと音を立て海に浮かんだ赤い果肉は、間もなく水面から出てきた白い手に掴まれ消えていった。

女子大生達が悲鳴を上げ、私は秋沢氏から怒られた。




数日後、夕飯時に秋沢氏から「"エイ"って地元民は襲わないの?」と訊かれた。


「襲わないよ。地元民でなくてもその血が流れていれば襲わないみたい」


僕も昔一緒に泳いでたから、と付け加えるとエビチリを掴もうとしていた秋沢氏の箸が止まった。その隙にエビチリを奪っておいた。

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