第22話 陰口

最近ずっと、私の同居人である秋沢氏がよそよそしく私の顔色を窺うような様子ばかり見せてきた。

「大丈夫?どうしたの?」と問うても「大丈夫」と返すのみでずっと理由を聞けずにいたが、最近になってようやく秋沢氏の口から話してくれた。

以下秋沢氏の話。




今から約1ヶ月程前に遡る。

秋沢氏が仕事から帰宅すると、居間の奥にてスマホで何やら話している私がいた。その声はいつにも増して低く、人の陰口を言う時特有の下卑た笑い声を伴っていた。

あのメンタル絹豆腐が珍しい。思いながら秋沢氏が居間に入ろうとして、私の口から漏れた言葉に耳を疑った。


「ちいせえクセに声だけはでけえんだからよ」


秋沢氏の心臓が激しく高鳴る。もしかして自分のことだろうか、と。

秋沢氏には少しだけ自覚があった。この家に住むようになってから早2年と数ヶ月。秋沢氏はお小言が多くなっていた。彼がお小言を言う瞬間といえば、私が仕事である記事の執筆をサボっていたりテレビで歌番組を見ながら激しく歌ったり踊ったり確実に私に非がある時だけなのだが、それでも居候風情が家主に物申すのはどうかと頻繁に自問していたらしい。

そんな矢先に私の発言を聞いてしまった秋沢氏は、私が彼を内心で煙たがっているのではと疑い始めた。そして更に私の発言を聞き取るべく居間の入口に身を潜め、私の様子をじっと見つめた。

秋沢氏のことを示すような単語は出なかったが、代わりに妙なことに気がついた。私の足下から背後に向けて小さく伸びる影から、ズルズルと何かが私の背を伝って這い上がってきた。それは影のように黒かったがシルエットは私と同じで、黒いモヤを纏いながら私の背後に立ち、私と同じ発言を繰り返していた。

私はそれの存在など気づかぬまま、口許を歪めて喋り続けていた。そして電話が終わり、ようやく私が秋沢氏の存在に気づき「おかえり」と微笑みかけた。その笑顔が無理矢理貼りつけられたもののように思えて、秋沢氏はこの家に居続ける為にも私を刺激しないようにしようと決めたそうだ。


またある日、会社の昼休みに外へ出ていた秋沢氏は、私が日頃お世話になっている出版社の編集者である金本氏がどこかに電話をしているのを見かけた。秋沢氏は軽い挨拶と、私の様子を詮索する為に金本氏に近づいた。そこで、金本氏の口から漏れた言葉に心臓が跳ね上がった。


「除け者にされた怒りを他の関係無いところにぶつけるのは間違ってますよねぇ。だいたい自分から除け者にされにいったんだろって。ハハッ」


自分に当てはまるところは殆ど見られないものの、先日に聞いた私の発言の件も相まって、秋沢氏は自分のことなのではないかと不安に苛まれた。

秋沢氏は金本氏に声をかけるのをやめ、彼に見つかる前にそそくさとその場を離れた。金本氏の背後では、彼と同じシルエットをした影がブツブツと喋り続けていた。




そんな話を、秋沢氏は手を震わせ声を詰まらせながら話してくれた。私は秋沢氏の頭を撫でながら「違うよ、君じゃないよ」と宥めた。


「君は確かに小さいけど、大きいのは声じゃなくて器だよ」


「ちょっと酷い」


不服そうにしながらも秋沢氏は笑った。ようやくいつもの関係に戻れると思った。

それから私はわだかまりが残らないよう秋沢氏に全て説明した。私が陰口を放った時も金本氏が陰口を放った時も、2回とも私と金本氏の二人だけで電話をしていたこと。陰口の矛先は、出版社のメールフォームやSNSに過激な発言を送ってくる人物へのものであること。


「ごめんなさい、疑って…」


再び声を詰まらせる秋沢氏に「君のお小言が聞けないと寂しいよ」と返した。秋沢氏は「またちょっと酷い」と笑った。




秋沢氏とのわだかまりはこれで無くなったが、私や金本氏の背後にいたという影が何なのかという疑問が残った。

ただ、あまり難しく考察する必要は無いだろう。恐らく人間誰しもが持つ心の闇とか悪の部分みたいなのが可視化されただけだと思う。

しかしそうすると1つ、説明のつかないことがある。実はここ2ヶ月程、私は度々秋沢氏に対して戯れのつもりでお尻を叩いてみたりソファで寝ているところに覆いかぶさってみたり、関節技をかけてみたりしていた。するとある日、秋沢氏が肩を回しながら「お前ホントマジでお前さ」と呟いたのだ。

その時、秋沢氏の背後に影は出ていなかったのである。

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