第95話 アメフラシ

海水浴場の数だけ海にまつわる怪談は存在する。全国的に有名な怪談は勿論、名前すら聞いたことの無いような海水浴場で地元民が語り継いでいる怪談も存在する。


…というのは私が勝手に考えついた持論だが、今年の夏、私の知人達がこの持論を裏付けるような経験をしてきてくれた。




その知人─金本氏は8月の中頃、勤め先の先輩である樹氏、後輩のゆうきさん、ミン君と共に市内の海水浴場へ遊びに行った。きっかけは友達と海で女子会をするのが毎年の楽しみだったゆうきさんが、今年は友達と予定が合わず遊びに行けないと社内で愚痴を漏らしたことだ。

金本氏は持ち前の女子力を駆使して女子会を開こうと決心し、ついでに樹氏とミン君も呼ぶことにした。

ゆうきさんは「女子力の高いオッサンが3人来るだけじゃないですかぁ」と苦笑しつつも誘いに乗った。ちなみにミン君はゆうきさんより4歳年下である。




当日、4人は金本氏の車で県内北東部にある海水浴場を訪れた。海水浴場にはサーファーや家族連れなど2〜3組の客がいるのみで、この閑散ぶりを好機と捉えた金本氏は車から七輪と金網、BBQ用の小道具、肉などを取り出した。


「いやー持って来といて良かった。ついでにサザエとか見つけたら焼きましょうよ」


嬉々として七輪を運ぶ金本氏に樹氏が「"漁業権"侵害したらどうなるか知ってるか」と凄むと、金本氏は涙目で「肉だけ焼きます」と誓った。


そうして簡易テントで拠点を作ったり女性→男性の順で水着に着替えに行ったりお互いに水着を褒め合ったりして海水浴を楽しむ準備を進めた。

男性達が着替えをしている間にゆうきさんがサーファー2人組からナンパされたようだが、彼氏を作りたいのかそれとも強者の余裕なのかあしらうこともせずサーファー達の話に応答しているゆうきさんに男性陣は冷や汗をかいた(結局ゆうきさんが『男友達と来てる』か何か言いながら金本達を指差したのでサーファー達は苦笑しながら離れていったらしい)。


準備が終わると金本氏と樹氏が七輪で肉を焼き、その間にゆうきさんとミン君は泳いだりシーグラスを探したりして遊んだ。金本氏は海で遊ぶ2人を遠目に見ながら、出版社の男衆の中で最も背の低いミン君がゆうきさんより頭半分程大きいことに気づき「ヤバいときめきそう」と呟いた。一方で樹氏はゆうきさんのハイウエストビキニを凝視しながら金本氏に対しこのような問いかけをした。


「着ているものの生地が多い程エロい…そう思わないか?」


問いかけられた金本氏は「いやぁ…」と相槌を打ちつつ、目の前で変態みたいな問いかけをしてきた男に哀れみの視線を送った。樹氏の整った顔の下、前を開けたアロハシャツから形の良い腹筋が覗いているだけに、彼の発言が金本氏には酷く残念に思われたのだ。

どうして僕の身近には残念な男が溢れているんだ。自分のことを省みもせず身近な残念男子のラインナップを思い浮かべ煩悶する金本氏の足を、ふと何かか這うようなむず痒さが走った。視線を向ければそこにはどす黒くブヨブヨとした何かがいて、金本氏は一瞬ナマコかと思ったがそれにしては身体の端がヒダのようにビロビロとしていたので、すぐにアメフラシかと思い直した。

しかしアメフラシが陸地で生きられるなど聞いたことが無い。コイツは何なのか。そう思いながら金本氏はアメフラシを持ち上げ、直ぐ様悲鳴を上げて手放した。


「何してんだ金本」


怪訝そうに問う樹氏に金本氏が「アレ」とアメフラシを指す。樹氏はアメフラシを拾い上げ、その腹面を見て「うーおっ」と唸った。アメフラシの腹に、人の顔のような模様がついていたのだ。それも写真を焼きつけたかの如く精巧で、目鼻口だけでなくほうれい線や眉の下の彫りまで認められた。

昔から人面岩やら人面魚やら人の顔"に見える"生き物はメディアを通じて見てきたが、このアメフラシはそんなレベルではない。SNSに上げたらバズると考えた金本氏はアメフラシにスマホを向けた。直後、スマホに向けて紫色の液体をかけられてしまった。咄嗟にスマホを庇い紫色に染まる金本氏の手。


「大丈夫か?溶けてないか?」


咄嗟に樹氏がタオルを取り出す。金本氏は「大丈夫!ただの紫色の汁です!」と答えつつアメフラシが液体を飛ばしたことに驚いた。アメフラシが出す紫色の液体は煙幕程度の効果しか無いので、通常目標物目掛けて飛ばすなどあり得ないのだ。

人面といい紫色の液体を飛ばすことといい、このアメフラシはどこかおかしい。"エイリアン"という言葉が脳裏をチラつき始めた金本氏の隣から、突如「あの〜」と男性の声。


「そのアメフラシ、俺らのご先祖様ッス」


先程ゆうきさんをナンパしていたサーファー男達が、苦笑いをしながら立っていた。


「へ?ご先祖様?」


間抜けヅラで目をパチクリとさせる金本氏に男達が説明をしてくれた。

遥か昔から、この海では盆前になると腹に人の顔が浮かんだアメフラシがよく見つかるらしい。それは顔の精巧さに加え、通常のアメフラシとは違い陸に上がったり脅威に対して液体を噴射したりと意思を持っているかのような行動をするので、盆の帰省まで待ちきれなかったどこかの家の故人がアメフラシに乗り移って帰ってきたのだと言われているそうだ。


「で、アメフラシが無事に陸に上がれたらご先祖様はそのまま家に帰れるんですけど、海の中で死んだらその年はずっと家に帰れず海の中を彷徨うらしいです」


「この時期に幽霊の目撃情報も出ますね」


「へぇ…」


不思議な伝承への興味とサーファー達が地元民だった驚きにフムフムと頷く金本氏と樹氏。そこへ「見てー!」と陽気な女性の声が響いた。


「人面アメフラシですよぉー!」


声の主─ゆうきさんが腹に人の顔が浮かんだアメフラシを両手に1匹ずつ摘んで迫ってきた。隣にはドン引きしているミン君の姿。

ゆうきちゃんそれはご先祖様らしいよと金本氏が説明する間もなくアメフラシの腹から人の顔が消え、直後に生温いヌルリとした感覚が金本氏達の肌を掠めた。

伝承、本当かもしれないなぁ。ヌルヌルになったご先祖様が家の玄関を潜る様を想像して金本氏は吹き出しそうになった。


この後、サーファー男達も交えて焼肉をしていると男達の1人が唐突に「そういえば」と声を上げた。


「陸に上がれなかったご先祖様がたまーに海からこっち見てるらしいですよ」


ちょうどあんな風に。男が指差す先、和服姿の男性が腰まで水に浸かった状態で金本氏達を見ていた。ただ男性がいる場所は大人でも足が着かない程の沖合だったので、金本氏と樹氏は泳ぐことを諦め、再び泳ぎに行ったゆうきさんとミン君、サーファー達を見守りつつ漂流物探しに興じたそうだ。

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