第94話 深夜のクレーマー

大学時代、金土日限定で4ヶ月ほど焼肉屋でアルバイトをしたことがある。動機は母親から「大学なんて行ってるんだからバイトしてウチに金を入れて」と怒られたことで、求人誌に載っている店に片っ端から電話をかけ面接に行きまくった結果、家の近くにある焼肉屋に採用されたのだ。


そこは今思うと大変劣悪な職場環境だった。まず初日、先輩方には新人が入るという報せがされていなかったようで、私が裏口から入ると厨房のおじさんもホールの先輩方も「誰この子」といった表情を浮かべた。またわからないことを質問すると、それが初めてのことであっても「こないだ教えたでしょ!」と怒られた。私はその度「初めてです!」と強く言い返した。


劣悪さは客へのサービスにも反映しており、基本的に注文を受けてから料理を提供するまでの時間はやたら長かった。ご飯物は特に遅く、肉とライスを同時に頼むと肉を提供した30分後にライスが提供されるという事態が度々起きた為、待ちかねた客からよく怒られた。また、夏場にエアコンの温度設定をケチって客室を灼熱地獄にしたり、店に侵入したムカデに客が刺されてもロクに対応しなかった。

こんなに劣悪な環境でも客が絶えなかったのは、恐らく肉の質だけやたら良いのと常連が多かったからだろう。また私が4ヶ月も粘れたのは、給料だけはまともに貰えたからだ。深夜勤務は堪えたが。


働き出して2ヶ月ほどが経つと、近所に住む高校生が4人、新人として入ってきた。皆しっかり者だったが、店の外や網の洗い場で煙草を吸っていて(法律的な問題で)心配になった。店長や主任のおばさんは黙認どころか容認し、当時19歳の私に「黒ちゃんもああなりな」と戯言をほざいた。




そんな劣悪どころか無法地帯のような環境で粘り続けたある日の閉店間際、店長と私だけで片付けをしていた店内にスーツ姿の上品そうな老爺が現れた。私が老爺を席に案内すると、老爺はすぐさまメニューを開き「ご飯付きはどのセットだね」と訊いた。私はライス付きのセットをいくつか案内したが、何故か老爺は顔をしかめ怒り気味にこう叫んだ。


「だからご飯付きのセットはどれかと訊いている!」


今案内したじゃねえかよ。苛立ちを抑え根気よく案内をし直し、3回程同じやり取りをしたところでようやく上カルビのライスセットわかめスープ付きの注文を承った。

私は注文をハンディに打ち込み厨房に戻った。厨房では店長が水を飲みながら待機していたが、ハンディプリンターから注文票が印刷されるや否やその注文票をクシャクシャに丸めて捨ててしまった。


「え、なんで」


「黒牟田君、もっかい客席行ってごらん」


私は店長に促されるまま老爺のいた客席まで戻った。客席はメニューが散乱し網越しに円形の青い火が揺れ正に使用中といった様子だが、老爺の姿だけは無かった。

どこ行った?トイレか?辺りを見回す私に店長が近づき「片付けといて。釜(網の内部)は洗わなくていいから」と言った。


「良いんですか?」


「うん、もう戻って来ないから」


なんでやねん。私は怪訝に感じながらもテーブルの上を片付けた。その後、厨房に戻ると店長が怪談と称してこんな話を聞かせてくれた。


9年ほど前、店の近所にある民家にて老齢の男性が孤独死した状態で見つかった。

男性は遠方に暮らす家族により店の真裏にある墓地に墓を建てられたが、その家族を含め誰もお参りに来ないまま翌年に台風で倒壊した。その男性というのが店に来ていた老爺らしい。


「生前からお店の人とか苛めるの好きだったみたいで、半年に1回ぐらいここに来てはホールの子を苛めるんだよね」


つまりは悪質クレーマーか。死んでもクレーマーだなんて生きてるクレーマーより厄介だな。そんな感想を抱くと同時に、私はどうしても聞き捨てならないことについて店長に言及した。


「裏に墓地あるんですか?」


「アレ?見たこと無い?」


意外そうに店長が言う。

この店、職員の扱いやサービスだけじゃなく立地も劣悪だったのか。良い所なんて肉の質が良いことと給料がまともに支払われることだけだと呆れつつ、店長に促され退勤した。

店の横にある裏口を出て、店の真裏に回ると、本当に墓地があった。雑草に覆われた中で複数の墓石が倒壊していた。


翌月、私は半ばバックレる形で焼肉屋を辞めた。理由は月〜金の夕方までを学業に費し金の夜〜土日をバイトに費す生活に加え夏休み等の連休もほぼ出勤させられたことで常に目眩に襲われるようになったのと、ホールの女の子と店長が「ウチまかないが無いから」と言って客の食べ残しをつまみ食いしているのを見て気持ち悪くなってしまったのと、3ヶ月の試用期間を超えたら昇給する契約だったのを反故にされたからだ。

主任のオバサンから「アンタがここを選んで働いてんでしょうが」とかなり怒られたが気にしなかった。


最後のバイトを終えた後、私は「今後絶対飲食店では働かねえ」と誓った。




あれから十数年立って、私は同居人の秋沢氏にボーナスが入る度に2人で焼肉を食べに行っている。

今年の夏は、私がバイトをしていたあの店に突撃してみた。例によって料理が来るのは遅かったが、やはり肉の質は良かった。

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