黒牟田初郎の長い話

むーこ

第1話 出会い



私の生業は文を書くことである。

といっても作家のように自分の名前で1つの物語を作り上げたり自分の日常を綴ったりするようなものでなく、直接聞いたわけでもない海外アーティストのご高説を当人の写真と共にゴシップ誌に掲載する、所謂ライターというやつである。

元々は作家を目指していたが、ご覧の通り単調で芸の無い文章と大して面白くもない話ばかり書く為各所から「才能が無い」として門前払いされてしまった。

収入も無く貯金も尽き掛けた矢先、ある小さな出版社から「簡単な記事を書く仕事がある」と誘いをかけられ、今の仕事に落ち着いた。

そうして(ほぼ海外TVのインタビューをまとめただけだが)仕事をいくつか頂けるようになった頃。肌寒い4月末の夜のことだ。

私は記事の執筆中に無性にジャンクなものが食べたくなり、自宅の近所にあるファストフード店に駆け込んだ。夕飯時を過ぎたというのに人でごった返す店内、熱々のチーズバーガーとポテトが乗ったトレイを持って空いた席を探していると、コーヒーを片手に持ったまま二人掛けの机に突っ伏すブレザー姿の少年が目に入った。

塾の帰りだろうか、それにしても夜だというのに家にも帰らないで。赤の他人であるにも関わらず少年のことが気にかかってしまった私は、お節介だと思いながらも彼の向かいに座り声をかけた。


「大丈夫ですか?」


声に反応して顔を上げた少年は、私の顔を見るなり面食らったような顔をして、上擦った声で「はい」と答えた。


「ごめんなさい、怪しい者じゃないんです。ただちょっと気になって、お節介なもので...」


少年の反応に驚きしどろもどろに弁解をしながら、私は少年の顔を見て更に驚いた。目の下にひどい隈ができていた。

こんなになるまで勉強させられてんの?等と考えながら私は「こんな時間だから」「親御さん心配しますよ」と少年に帰宅を促した。少年は暫く怪訝な顔で私を見つめた後、合点のいったような顔をしてこう言った。


「僕、会社員です」



えっ?と辺りに響く程の声を上げ、改めて少年の服を見て、再びあっと声を上げた。

ブレザーだと思っていた濃紺のジャケットには校章も襟章も見当たらず、ネクタイには立派なタイピン。顔こそ幼いが身なりは社会人のそれだった。


「大変失礼しました」


私が謝ると少年もとい青年は「よく間違われるので」と笑って許してくれた。そして「僕の話を聞いてくれませんか」と続けた。


「新居に引っ越したばかりなんですが、帰りたくなくて」


私は快く引き受けた。もちろん青年に失礼なことをしてしまったことへの負い目もあるが、実はライターの傍ら小説を書いてみようと思っている節もあり、ネタ集めの一環として青年の話を聞いてみたくなったのだ。


以下、青年の話である。


先月末頃、会社近くのアパートに引っ越した。


築20年程の3階建てアパートで部屋は二階。間取りは1K。交通の便が良く近くにコンビニがあり、値段は相場より少し安い。

住み始めてはや数日、引っ越しの荷物を片付けきった辺りから妙な現象に悩まされ始めた。

ベランダの柵に何かが打ちつけるような音がする。

アルミ製の柵をひん曲げんばかりの勢いを感じられる轟音がベランダから響いてくる。隣家や上下階かと思われたが、それにしては音が近すぎる。

ベランダから下を覗いても何かが落ちていった様子は無い。

また音は青年が気を抜いている時に鳴る為、何がぶつかっているのかを確かめもできない。

気持ち悪さを感じながらも住み続け、そして今日、会社から帰った瞬間に青年は見てしまった。薄いレースのカーテンに覆われた掃き出し窓の向こう、ベランダの柵に大きな影が打ちつけ落ちていくのを。


「大きな影」


僕が繰り返すと青年は小さく頷いた。


「言いにくいんですけど...子供みたいなシルエットでした」


慌ててベランダに出て下を覗くと、例によって何も無かったと言う。

"子供みたいなシルエット"という表現に嫌な感じを覚えながら、不動産屋からは何の説明も無かったかと問うと青年は首を横に振った。


「あんなものを見てしまった以上、あの部屋にいるのが嫌で仕方なくなって...」


そこまで言って俯いてしまった青年には申し訳ないが、私は内心「めちゃくちゃおもしれえ」と興奮していた。

今すぐにでも怪異の真相を探って文章に起こしたい。そんな欲求に駈られた私は「一緒に解決策を練りましょう」等と格好いいことを言いながら事故物件に詳しい知人を呼び出した。

呼び出してから約20分、青年もとい秋沢氏と簡単な自己紹介をしている間に知人の事故物件マニア但馬氏が店に現れた。私が但馬氏に事情を説明すると、但馬氏は秋沢氏に住所とアパート名を尋ねながらスマートフォンで何やら調べ始めた。それから5分も経たないうちに「あの」と秋沢氏に声をかけた。


「秋沢さん、もしかして203号室ですか?」


「あ、はい、そうです」


「あのー、秋沢さんのお部屋自体は特に何てことないんですよ。ただね、ちょっと上が、ね」


言いながら但馬氏が私と秋沢氏にスマートフォンの画面を見せた。

画面に映っているのは10年程前の児童虐待事件の記事だ。


「義理の父親が子供を虐待の末にベランダから落としたっていう事件なんですけどね、これ秋沢さん宅の上階のお話なんですよ。ちょうど真上。」


但馬氏の淡々とした事務的な説明を聞きながら、秋沢氏の顔がみるみる青くなっていくのが見てとれた。話としては面白いが何の解決にもならないし、悪い方向に向かっている。私は但馬氏の説明を遮り「ヤモリの仕業かも」と言った。


「ほらヤモリって獲物にとどめ刺す時めっちゃ打ちつけるんですよ。ビターンビターンって。結構エグい音がしてですね」


すごい偶然ですよねー等と引きつった笑いを浮かべながら秋沢氏に語りかけるも、秋沢氏はその場で泣き出してしまった。


「上の階で落とされた子が、ウチのベランダの柵にぶつかって落ちたってことなんですよね?」


しゃくり上げながら問うてくる秋沢氏をどうしたものかと見ていると、但馬氏から「何とかしろ」という視線が注がれるのを感じた。

調べたのはお前だろ、と思ったがそもそも但馬氏を呼び出したのは私なので私が秋沢氏をケアしなければならない。ファストフード店の真ん中で泣きじゃくる童顔の青年と、それを前に固まるそこそこ歳のいった男二人。他の客や店員の視線が刺さるのを感じながら私は考えに考え、その末に秋沢氏に「ウチに泊まってはどうか」と提案した。初対面なのにハイなんて返す奴がどこにいるんだと、言ってしまった後で気付き取り消そうとしたが、秋沢氏は藁にも縋りつかんばかりの様相で「いいんですか?」と返してきた。


「お願いします。お礼は後日必ずさせて頂きますので」


額がテーブルにつきそうな程頭を下げる秋沢氏にいよいよ周囲からざわつく声が聞こえだしたので、慌てて秋沢氏の顔を上げさせ3人揃って店を退散した。

それからコンビニで秋沢氏の分の下着を買い、私が住む賃貸マンションへと上げた。

順番に風呂を済ませた後、酒とスナック菓子をつまみながら秋沢氏と世間話をした。私は秋沢氏から何かネタ集になる話を聞き出そうとそれとなく話を振った。秋沢氏の話の引き出しは多く、「御堂で"神様"と遊んだ話」「廃屋で奇妙な声がついてきた話」など面白い話を多く聞けた。さらに私が記事を執筆している(ほぼコピーだが)雑誌で扱うアーティストのファンとのことで、どこまでもネタになる人だと興奮した私はつい「もうウチに住んじゃえ」等とぬかしてしまった。さすがに戯言として捉えられるかと思ったが、秋沢氏は目を輝かせ「いいんですか?」と問うてきた。

言い出しっぺである以上断ることもできず、そしてネタの源泉を手放すのも惜しいと感じ、私は「次の新居を見つけるまで」という条件の下秋沢氏を我が家に住まわせることにした。

後日、有給を取り引っ越しの準備を始めた秋沢氏のお宅にお邪魔しお手伝いをした。荷物をまとめる間にも時折、ベランダの柵に何かが打ちつける音が聞こえたが、私も秋沢氏もベランダを見ないように務めた。

そして荷物と秋沢氏だけが我が家に移り住み、それから何週間かかけて件のアパートを引き払うことができた。


そんな出来事から2年程経過した現在、秋沢氏は今も我が家に住んでいる。

秋沢氏は「黒牟田さんと出会えて本当に良かった。今すごく安心して暮らせてます」と仰るが、実は我が家も事故物件であるということはいまだ言い出せていない。

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