第92.5話 雇用

2017年、夏。美容師の細木は買い出しの帰り道、細身の青年が啜り泣きながら歩いているのを見つけた。彼の手には角二の白封筒。平常、履歴書などに使われるような封筒なので、細木は青年が就職活動をしている最中なのだろうと察した。ただ服装はブラウンのカットソーに濃紺のワイドパンツといったラフな装いで、その辺の商社というよりはアパレルや美容師等の仕事を探しているように見える。

美容師なら何かしてやれるかもしれない。そんな親切心から細木は青年に声をかけた。


「仕事探してんの?」


青年は細木の声に気づくなり赤くなった顔を細木に向け、小さく「はい」と答えた。


「勤めてた美容室が潰れて、それから3ヶ月ぐらいずっと仕事を探してるんですけど、どこもいっぱいいっぱいみたいで…」


やっぱり美容室か。涙を腕で拭う青年の前で細木は1人で頷き、それから青年の顔をじっと見ながら「さあどうするか」と考えた。

現在、細木の店では従業員を募集していない。というのも、細木の店は席が2つしか無いので細木1人で十分回すことができるからだ。あと給料計算が面倒臭いのもある。

しかしこの青年1人ぐらいなら雇ってやれるかと思った。青年は見る限り真面目そうで、コミュニケーション能力もそこそこありそうで、何よりウルウルとした仔犬のような瞳を見ると放っておけなくなるのだ。


「…ウチ美容室だけど面接する?」


細木の問いかけに青年が目を見開いた。


「…良いんですか?じゃあ日時を…」


「今からで良いよ。次の予約まで時間あるし、俺の店すぐそこだから。先に名前訊いて良い?」


「…木下純也です!」


青年が元気よく名乗る。その瞳にはまだ涙が残っているが、ウルウルというよりはキラキラと輝いて見えて、細木は眩しさを感じつつ「店長の細木だ」と名乗り返した。




この後の面接で、木下青年がここ1週間ほど満足に食事を摂れていないことがわかった。貯金も次の光熱費を払えば尽きてしまうが、実家には頼りたくないとのことだったので、細木は家事を手伝うことを条件に木下青年を自宅に住まわせることにしたのだった。

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