第93話 人面の
"台所で料理をしていると、背後からもたれかかってくるものがある。それが恋人や友人の類ならば良いが、全く知らない人物だったらどうすれば良いでしょう。"
これは私がいつも仕事を頂いている出版社に送られてきた差出人不明の便りだ。手紙には上記の内容をもっと詳細に記したものと一緒に、手紙の主らしき男性が背中を向けている写真が入れられていた。その細くもなく太くもなく程よく肉のついた背中には紫色の痣がいくつも密集し、人の顔のような形を描いている。
私は初め人面瘡かと思ったが、編集部の人々から「人面瘡は出来物なのでこれは違うだろう」と訂正された。
「この顔が例のもたれかかってきた人かな」
「多分。でもそれでどうしろって言うんですかね」
「雑誌かWebコラムで紹介します?」
机の上に置かれた手紙と写真を編集部の人々が囲うように立ち議論を繰り広げた。
差出人の詳細が無いとはいえ、人様から送られてきた手紙を無許可で雑誌に取り上げるのはプライバシー面で危うすぎる。もしかしたら差出人情報を書き忘れただけかもしれないし。
しかしそうすると、他のどこでもなく出版社に手紙を送ってきた理由がわからない。相談であればその辺の寺社にでも送れば良いのに、何故出版社なのか。
編集部の人々は暫く議論を続け、市街の駅前にできたフルーツパーラーの話にまで議題が移ろいかけたところでようやく結論が出た。問題の手紙について出版社が定期的に出している雑誌の編集後記に簡単な概要を記すことにしたそうだ。
「出版社に送ってきたってことは、何かしらの本で取り上げろって言いたいんだと思うんですよ。でもそうじゃなかった時を想定して、大々的に取り上げるんじゃなく編集後記に載せる程度で留めておくことにしました」
編集者の金本氏がしてくれた説明に私はなるほどと頷いた。確かに編集後記であれば載せたことにはなるし、手紙の全文や写真を公開しなければプライバシー面でもギリギリセーフといったところだろう。
「良いですね。して、その編集後記は誰が書くんですか?」
「黒牟田君です」
編集者の樹氏が私の手に手紙と写真を握らせる。
「え?僕編集者じゃないんですけど」
「ライター兼編集者ということで。今日から」
「え?」
編集長の但馬氏から「よろしく」と無理矢理に握手を交わされ、事務員の机から拍手喝采が起こった。わけがわからないので但馬氏を問い質すと次のような説明をされた。
まず、出版社の中で1ヶ月程前から私を専属ライターとして契約しようという話が持ち上がっていたらしい。しかし昨今、編集者の人手不足が激しく金本氏や樹氏の残業時間が増えてきた為に、私をライター兼編集者という役割にして他のライターが書いた原稿を校閲させようという話に至ったそうな。
仕事はこれまでより忙しくなるが在宅勤務のままで良く報酬も固定分から大幅に増えるとのことで、最近光熱費の大半を同居人の秋沢氏に支払ってもらっていた私としては受けざるを得なかった。
「頑張ります!」
「契約書類は郵送しとくので」
「えいえい!」
こうして私は差出人不明の不審物に関する記事(編集後記)を自宅へ持ち帰ったのだった。
その日の夕方、私は台所に立ち浮かれ気味に豚ミンチとシメジを炒めていた。不気味な物体を持って帰ったことよりも給与が増えることにこの上ない喜びを感じていたのだ。
フンフンとお気に入りの曲を口ずさみながら料理をしていた矢先、私の背中に何かが触れた。いや、触れるどころかもたれかかってきた。その瞬間、私は手紙に書かれていた内容と写真に写っていた顔のような痣を思い出し戦慄した。アレは誰かに伝染するものだったのかと。
だとすると編集部の人々も今頃─怪奇現象がネズミ講式に伝染していくことを想像しながら恐る恐る背後を振り返る。そこには不思議そうに目を丸くする秋沢氏の姿があった。
「あら、おかえり…」
「ただいま。…夢中になってたね」
「うん、まあ」
ぎこちないやり取りの後、私は秋沢氏に「もたれかかった?」と訊いた。秋沢はウンと頷く。
「疲れたから羽を休めさせてくれる立派な肩が欲しかったんだよ」
「アゲハ蝶だ」
「いいから慰めて」
やれやれと呆れながらも秋沢氏の頭を撫でてやる。秋沢氏が嬉しそうな笑顔を浮かべるので犬みたいだと思った。
後日、TVで若い男性の変死体が見つかったというニュースが流れた。男性は自宅にいたにも関わらず全身を何かに押し潰されていたそうで、私はあの不審な手紙を思い出して寒気を感じつつも編集後記を仕上げた。
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