第92話 噂の婚約者
※Twitterにてフォロワー様より頂いたお題をもとに書きました。その節はありがとうございました。
Twitter上で1年以上書かせて頂いている『長い話』で何度も綴ってきたが、私の家には秋沢という会社員の男性が住んでいる。
彼が我が家に住み始めたきっかけは第1作目の『出会い』で書いたように事故物件で起きる怪奇現象に悩まされていた秋沢氏を私が思いつきで住まわせたことであり、当時はお互い次の新居を見つけるまでの一時しのぎとしか考えていなかったが、何だかんだもう3年も一緒に暮らしてしまっている。お陰で家事の分担や貯金ができるようになったし夜が寂しくなくなった。
ただ、同時にお互い恋人を作ろうという気を失ってしまった。私は元々モテる方ではないので良いとして、持ち前の愛くるしさで女性からよくモテる秋沢氏すら恋人を作らなくなってしまった。これは理由としてお互い同居生活が楽しくなって恋愛への興味が失せてしまったというのがあるのだろうが、一方でお互いがお互いに遠慮している節もあるように思える。「自分に恋人が出来たら、相手に気まずい思いをさせてしまうかもしれない」と。お互い無意識に恋愛を御法度と捉えているのだ。
それにも関わらず、先日私について友人の間で妙な噂が流れていることがわかった。それは友人達と集まって酒を飲んでいた時に金本という出版社勤務の男から聞かされたことで、私が近々どこぞの誰かと結婚するという内容だった。「どこぞの誰か」という表現がなされているのは問題の相手が誰なのかわかっておらず、昔からの腐れ縁だとかお見合いで知り合った相手だとか諸説あるからだ。
この根も葉も無い噂に案の定秋沢氏が黙っていなかった。
「何それ!僕知らないんだけど!」
秋沢氏は丸く大きな目をもっと大きくして叫び、それから2〜3秒と経たぬうちにメソメソと泣き始めた。無理も無い。自分がずっと遠慮してきたことを、同じ境遇にあるハズの友人が自分の知らないところで享受していた(ことになっている)のだから。
私は泣きじゃくる秋沢氏を宥めつつ友人達に「どこでそんな噂を聞いたのか」と尋ねた。すると友人達は首を傾げつつこんな戯言を吐いた。
「そういえば…どこだっけ」
私はその場でキレにキレた。何故出処もわからない噂を簡単に信じるのかと。俺はトイレットペーパーかと。
一頻りキレ続けたところで金本がハイと右手を上げた。
「して、結婚はデマだったんですか?」
「デマです!」
デマかよ。友人達が呆れたような声を上げてその場に崩れる。その中の1人、細木氏が「おかしいと思ったんだよ」と笑っていたが、私の前でお見合い説の存在を語ったのは(出処はどうあれ)この男である。
何はともあれ私の結婚などというデマを払拭することはできた。そうして安心したところへ、ライター仲間の木村氏が更に場を混乱させるようなことを言い出した。
「そういえば黒牟田君が女の子と歩いてるところ見た気がする」
何をコイツと思ったが、私にも1人だけ女性の友達がいるのでその人のことだろうと返した。しかし木村氏はそんな感じじゃないと言う。
「もっと仲睦まじげにしてたんだけど…あ、でもアレどこで見たんだっけ」
友人達からフゥーという声が上がる。私は木村氏にコブラツイストを喰らわせた。それから家を出ていこうとする秋沢氏を捕まえながら私は野郎共に「あやふやな記憶でデマを流すな」とキレ散らかした。野郎共は「秋沢を捕まえる初郎君、誘拐犯みたいだな」などと茶化しつつも私に関する変な噂が流れ出した時は一旦私に確認すると約束してくれた。
今度こそデマを払拭できた。安心して秋沢氏に缶チューハイを勧める私のスマホに、突然誰かからのメッセージが入った。相手は女友達のムラヤマさんだ。
『きみ結婚するって?』
本当にどこから噂が流れているのか。怒りを通り越して恐怖を感じた。
この後、両親や兄からも結婚について問い質す電話がかかってきた。その度に私はどこから聞いた噂なのかと問い返したが、皆口を揃えて「どこだっけ」と言った。
あまりにも気味が悪いので第六感が優れているムラヤマさんにSNSで何か見えないかと訊いてみたが『全然』とのことだった。
『まあでもデマってそんなもんじゃない?突然どこからか現れた出処不明の情報を何も考えずにを鵜呑みにしてしまうような』
モロに被害を受けている側としてはそれで終えられると気持ち悪いのだが。どうにかしろとクレーマー紛いの抗議をしそうになったところで私は気づいた。
ムラヤマさんの好きな漫画にこのような設定があった。誰かからある特定の能力を継承した人間はこれまでに同じ能力を継承した、またこれから同じ能力を継承していくであろう人間の記憶を共有することができる。また、作品に登場する各種能力の始祖たる力を持つ人間の記憶については他の能力者も垣間見ることができるというもの。似たような要領で誰かの記憶を垣間見てやしないかと主張してみたら、ムラヤマさんから鼻で笑うコアラのスタンプを送られてしまった。しかし最後にはこんなメッセージを送ってくれた。
『きみの身近で誰かが結婚したら、きっときみの読みが正しいよ。なんの能力かは知らんけど』
3日後、母伝いで遠方に住む従兄弟から『1月に結婚式をします』という連絡を受けた。そういえばこの従兄弟は背が高く雰囲気が私とよく似ている。もしかしたら皆、何の弾みでかは知らないが従兄弟の記憶を共有してしまったのかもしれない。世の中とは不思議なことが本当に多いものだ。
まあ何はともあれ、これでデマは完全に払拭されたし秋沢氏が我が家を出ていくことも無くなった。
私は今度こそ安心して、秋沢氏が以前買ってくれた黒牟田焼のマグカップに牛乳を注いだ。
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