第33話 公衆トイレ

我が家から歩いて5分程のところに、公衆トイレ付の公園が存在する。そこは昼間こそ近所の子供達や主婦で賑わっているが、日が落ちるとヒト気が無くなり、時には柄の悪い青少年達がタムロし始める。

ついでに公衆トイレには「出る」という噂があり、私も同居人の秋沢氏も近づかないでいた。



ある日、我が家に知人を集めて飲み会をしようという話になり、夕方頃、私の知人である金本氏や細木氏、樹氏、ミン君と共に秋沢氏が仕事から帰るのを待っていた。しかし秋沢氏は夜9時を回っても帰って来ず、また電話も応答しないので勤め先に電話をかけてみた。電話に応対した男性社員からの返答は「秋沢なら定時で上がりましたが」とのことだった。

何か事件に巻き込まれたのではないか。胸が騒ぐのを感じた私達は手分けして秋沢氏を探した。しかしどれだけ探しても見当たらず、私達は一旦例の公園に集合し、秋沢氏に電話をかけてみた。すると付近からA沢氏が設定しているものと同じ着信音が流れ始めた。


「いるいるいる!この辺だ!」


「どこ!?」


「トイレじゃね!?」


全員であの公衆トイレに近づくと、着信音が一層大きくなった。

間違いなくここだ。もしやトイレの中で電話に出られない程の事態に巻き込まれたのか。ゆうきさん誘っときゃ良かったな、と我々共通の知人にしてボクシングの経験者である女性の話をしながら、樹氏とミン君に外で待ってもらい私と金本氏、細木氏の三人で男子トイレに乗り込んだ。

やや黒ずんだタイル張りの壁に覆われ、左手に小便器が5つ設置された男子トイレは一見無人だった。しかし右手奥、大便用の個室から聞き慣れた着信音が流れている。


「秋沢君?」


呼びかけるが返事は無い。3人で恐る恐る個室に近寄り、もう一度「秋沢君?」と呼ぶ。


「…初郎君?」


僅かに秋沢氏の声が聞こえた。やっぱりここにいるのか。「皆心配してるよ」と個室に向け喋りかける。すると秋沢氏からこのように問われた。


「今日の朝ごはん言える?」


何故急にそんなことを。質問の意図に戸惑いつつも、私は「目玉焼き」と答えた。


「他には?」


他には焼いたウインナー、白米、納豆、白菜キムチ。今朝の朝食として出したものを全て答えると、さらに質問を投げ掛けられた。


「納豆とキムチの銘柄は?」


確か納豆がお○め納豆の4個入りで、キムチは○家のボトル詰めの奴だ。事細かに答えると、また質問をされた。


「納豆に何か混ぜてたでしょ」


確かに混ぜていた。千切りキャベツと辛子だ。千切りキャベツ入りの納豆が私の好物だからだ。

それも答えたところでようやく扉の鍵を開ける音が響き、辺りを窺うように秋沢氏が顔を出してきた。


「あ、秋沢君…」


安堵したのも束の間、秋沢氏の手が伸び私の顔を掴んだ。


「何!?なになになになに!?」


慌てて振りほどくと、秋沢氏が個室から飛び出してきた。そして辺りを見回した後「良かった」と呟いて泣き出した。


「どうしたの」


秋沢氏に尋ねてみるが、彼は子供のように嗚咽を漏らすばかりで答えない。

私達はしばし秋沢氏が泣き止むのを待ったが、少年とも見紛うような見た目の人間を大の男が囲んでいるのは絵面的にまずいということで我が家に戻ることにした。


秋沢氏を慰めながら我が家に戻った後、落ち着いてきた秋沢氏に改めて「どうしたの」と尋ねた。秋沢氏は金本氏から渡された缶ビールを一口飲んで話し始めた。

以下、秋沢氏の話である。




夕方の6時半頃。仕事を定時で上がり帰路についていた秋沢氏は、地元の駅から我が家に続く道を歩いている途中で猛烈な尿意に襲われた。その時周囲にはドラッグストアがあったが、店のトイレを使うと何か買わなきゃいけない気がするからと秋沢氏は我が家まで我慢することにした。

しかし我が家を目前にして秋沢氏の尿意は限界に達してしまい、秋沢氏はちょうど近くにあった例の公衆トイレに駆け込んだ。治安が良くないというのはわかっていたが、少し用を足すぐらいなら何も起こらないだろうとタカを括っていた。

トイレに入って一番手前の小便器に溜まり溜まった尿を放出し、手を洗う。そうして晴れやかな気分でトイレを出ようとしたところで、出入口から人が覗き込んでいることに気づいた。それは男性とも女性ともつかない容貌をしており、血色の悪い顔で秋沢氏を見つめている。

やばい人かな。どうやり過ごそうか秋沢氏が悩んでいると、覗き込む顔の下にキラリと光るものが見えた。

何あれ。あ、包丁…。瞬間、秋沢氏は背後にある個室へと駆け込んだ。

それからずっと個室に閉じ籠り誰かが来るのを待ち続けていたらしい。


「あれが生きてる人なのか死人なのかはわかんないけどさ、多分『出る』って言われてるのアイツなんだろうなぁと思ったよ。だってあの個室、上の方鉄格子になってるし…」


そうだったか。秋沢氏に言われて初めて鉄格子の存在に気づいた。その鉄格子が件の人物の目撃談を受けて作られたものであるとすれば、もし鉄格子が無かったらきっと、衝立の上から例の人物が入ってきて…。

すっかりと背筋の冷えた私達は、二度と例の公衆トイレに入らないと決めて酒盛りを始めた。


「さっきの問答で思ったんですけど、初郎君って朝ご飯ちゃんとしてますよね」


スルメを摘まみながら金本氏が言った。


「え、そう?」


「そうですよ。羨ましいなぁ。僕なんか給料を服と趣味に注ぎ込みたいから基本駄菓子で米食ってますもん」


そういえば金本氏はとても細い。たまには良いもの食べなさいと諭すと、金本氏は「月イチで贅沢してますよ!」と胸を張った。


「へえ、何食うんです?」

「チーズバーガーです!」


直後、全員が各自の持ち寄ったお菓子やオカズを金本氏の取り皿に乗せた。金本氏の腹が目に見えて膨れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る